2012年10月20日土曜日

【第118回】『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(山岡淳一郎、草思社、2007年)


 後藤新平と言えば関東大震災後における東京復興である。3.11後の復興の時期に、なにかと比較の対象となったことが記憶に新しい。もちろん名前は知っていたが、 恥ずかしながらこれまで彼の人物像に深く触れる機会がなかった。

 まず考えさせられたのは「公」に対する後藤の意識である。権力者はともすると民衆に対して滅私奉公としての「公」を強いる傾向にあるが、後藤はそうではなかった。為政者としての後藤自身が「私」を捨てて、大衆とともに生きようとするというあり様が震災からの復興をはじめとしたチャレンジングな政策の実現を可能にしたのであろう。

 こうした「公」の意識を後藤が持てた理由はなにか。

 そこにはいろいろな要素が影響しているのであろうが、とりわけ彼を取り巻く多様な対人関係に着目したい。彼の周囲には、いわゆる「右」から「左」まで様々な価値観を持った人材が揃っていたそうだ。目標を共有してプロジェクトを実現するためには、目標の実現と関係のない価値観までが同一である必要性はない。むしろ、困難なプロジェクトを実現させるには、異なる価値観を持ったメンバーが集まっていた方が強いのかもしれない。現代のダイバーシティを先取りするような彼の有する人間関係こそが、「公」的なプロジェクトを成功させる要因となったのではないだろうか。

 では、プロジェクトの実現へと至るために多様性を受容し、他者を客観的に理解することができたのはなぜか。

 注目したいのは、後藤とその若き日における師匠にあたる安場保知とのやり取りである。後藤より十二歳年長で同じく安場の下に仕えていた阿川光裕から後藤は「師匠の安場をも絶対視するのではなく客観的に見つめよ」と言われたという。至言であろう。一方的に何かを信じるということは、それを自分の中に入れこむだけに過ぎない。そうではなく、対話を通して他者の貴重な知恵や意見を自分の中で咀嚼する。そうすることが実践に結びつく抽象度の高い知恵を紡ぎ出す。対話を通じて自由と自律を重視する姿勢こそが、多様性の受容と客観的な他者の把握に繋がったのではなかろうか。

 自由と自律を重視する後藤の思想が凝縮されていると考えられるものが「自治三訣」と呼ばれる彼の考え方である。それを引用して終わりとしたい。

 人のお世話にならぬよう
 人のお世話をするよう
 そして報いを求めぬよう

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