二十代中盤の頃、研究対象としても自分自身の問題としても、キャリアについて真剣に考えた時期がある。その頃に知人に勧められて読んで以来、折に触れて本書を読み返すようにしている。
目覚し時計に叩き起され、ネクタイをしめ、満員電車に揺られて通勤して行くからには、そこで払った犠牲に相当するだけの実質的な見返りがなくてはならない。そして、もし働いても働かなくとも会社に縛られている時間に対して同じ給料が支払われるのなら、その見返りとは金銭以外のものでなくてはならないのだ。それが仕事の手応えに他ならない。(68頁)
働くことは、生きていくために、もっと言えば食べていくために必要なことであることは間違いないだろう。しかし著者は、合理化によって単調化する傾向のある近代的な意味での仕事において、そこに手応えを感じたくなるものだとしている。働くことによって、自己や自分の意味を外化しようとしているのであろう。
現代の「労働」を「自己疎外」などという便利な言葉であまり簡単に処理してはならない。もしも今日の「労働」の中には「自己疎外」しかないのだとしたら、これこそが「疎外」された俺だ、といえるギリギリの地点にまで自分を追い込んでみる必要がある。(178~179頁)
仕事に意味を見出すことが難しい状況であっても、それを安易に仕事の近代化に伴う疎外に逃げることを著者は厳しく戒める。マッチョな思考なのかもしれないが、自分自身を仕事に没入させて意味を見出すべく努力を続けることが私たちには求められているのであろう。
働くということは生きるということであり、生きるとは、結局、人間とはなにかを考え続けることに他ならない。(180頁)
著者の最後の言葉を意識しながら、働くということを考えて生きてみたいものだ。
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