2012年3月11日日曜日

【第74回】『人を助けるすんごい仕組み』(西條剛央、ダイヤモンド社、2012年)


 午後2時46分に日本人の多くが黙祷を捧げた厳粛な日に、あの震災後に生まれた支援活動である「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の書籍の感想を記すことはなにかの縁であろう。そうすることが支援の一つになると考えることは烏滸がましいと思うが、少なくとも私一人の心に一年前の出来事を刻み込むという意味では悪くないのではなかろうか。

 著者をはじめて知ったのは大学院で質的研究を行っていた頃である。質的研究と言えば佐藤郁哉さんが大御所であるが、私にとっては佐藤さんとともに著者の書籍や論文を読んで研究手法を学んだものである。特に著者のライブ講義集は私にとってバイブルのような存在である。

 その著者が東日本大震災の直後に日本最大級の支援組織を立ち上げた、というニュースを見た時には驚いた。大変失礼ながら、学者がどのように支援活動を行うのかがイメージがつかなかったのである。しかし、後日「ほぼ日。」での糸井さんとの対談記事を読み、そして本書を読むことで、学者ならではの強みを活かして支援活動を行っていることがよく分かった。

 まず、震災とそれに付随する津波をはじめとした災害という出来事に対する意識の持ち方である。起きた出来事は変えられないが出来事の意味は事後的に決めることができるという考え方を意味の原理という。ここで重要なのは何でもポジティヴに意味付ければいいというポジティヴ心理学の陥穽に陥らないことである。本当につらい経験をしている最中の方に対してポジティヴな側面に目を向けさせようとして安易に語りかけると、傷口に塩を塗り込むことになりかねない。

 ではどうするか。著者は、未来を切り拓くのはあくまで意志の力であると強調する。つらい出来事があったからこそ今がある、と言えるように「行動する」という強い意志で未来を変えていこうとすることが必要なのである。そうすることで結果的に過去に起きた出来事に意味を見出せるようになると著者は主張する。ただし、行動するという具体的なアクションを行えるようになるためには、出来事との一定の距離感を取ることもまた必要である点には留意が必要であろう。

 こうした考え方をもとにして志を同じくする人々を集めるために、著者はTwitterを活用した。物事を起こす場合には従来、縦のピラミッドでパワーを動かす政治型の構造が用いられた。それに対して、横のラインでつながる草の根型の構造は社会運動で用いられたが、長く継続しないことが限界であった。その限界を突破するためのしくみとして、Twitterが著者に力を与えたとも言えるだろう。こうしたTwitterやFacebookをはじめとしたツールにより直接民主主義の理念型に近いものが実現される様は、東浩紀さんの『一般意志2.0』を併せ読むと理解し易いであろう。

 人を集めて組織作りを行うと、もともとは同じ想いで集まった人同士が対立してしまうことがよくある。その果てに組織が空中分解してしまうということも多いだろう。そうしたことを防ぐために著者が用いたのが信念対立を避けるという構造構成主義のルールである。信念とは価値観である。ある価値観で共通していても、全ての価値観が一緒の人というのはあり得ず、したがって組織の中の人々が同じ価値観のみで構成されることは不可能だ。著者の立ち上げた組織に照らしてみれば、原発への推進か反対かというテーマは容易に対立を生じるものであった。したがって、基礎となる部分は価値観を同一にすることが重要であるが、原発賛成・反対という信念対立を避けることにしたという。

 行動するためにはこうした信念対立を避けるということは組織を運営する上で必要不可欠な配慮であるとともに、メリットもある。つまり、多様な価値観を持つ人々からなる組織は強いのである。それを著者はドラゴンクエストの職業になぞらえて例示しているのが分かり易い。引用すると「戦士や武術家(現地ボランティア)、商人(会計班)、魔法使い(Web班)といった攻撃力重視になりがちだが、CEJのような僧侶(賢者)や癒しの場がないと、ピンチのときに全滅することになる」というのは至言であろう。とりわけ、CEJ(Cure East Japan)という支援者の心のケアを行うことに価値を置く人々がいるというのはこれまでのボランティア組織に掛けがちな大事な視点でなかろうか。

 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は災害時をはじめとした今後のボランティア組織の組成と運営に活きるであろう。それとともに、一般的な組織論にも用いることができるかもしれない。学術と行動のあたらしい融合のかたちを提示する著者の取り組みにこれからも注目したい。


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