2012年3月31日土曜日

【第77回】『新編 教えるということ』(大村はま、筑摩書房、1996年)


 今年も新入社員研修の季節となった。一昨日、勤務先のグループ会社にて新入社員(厳密には内定者)研修を行ない、私にとって7年目の新入社員研修がスタートした。新入社員研修の経験が7年目になるということは、2006年に担当させていただいた某有名消費財メーカーやIT販社の新入社員は、この4月で入社7年目を迎えることになる。当時の私は入社4年目の25歳であったから、現在の彼(女)らは当時の私より三年も社会人経験が長くなったわけであり、月日の経過の早さに驚くばかりである。

 25歳で研修講師を担うというのは世間一般からすると若いのかもしれない。これは私のインストラクションのパフォーマンスが他者より優れていたということでは決してなく、当時のあの会社の営業担当者としては当たり前のキャリアパスであった。しかし、人材育成業界での平均値よりは大幅に若かったはずであり、営業でもあった私たちはそれを一つのウリにして実際に受注していたのだから実際に若かったのであろう。

 「やっぱり若いからダメだった」と言われないよう、私たちは講師デビューの前には1~2ヶ月を掛けて研鑽したものだ。講師トレーニングでは先輩社員から容赦のないフィードバックを受け、自発的に模擬ロールプレイを相互に見せ合ってフィードバックをし合う。営業活動で疲れ切って帰社した後に、残業代も出ない状況の中で、できない自分に直面させられ、出口の見えない胃が痛い時期を経てデビューを果たすわけである。私たちには職業人としてプロの自覚があった。少なくとも「年齢も若く初めて実施するのだから失敗してもしかたがない」という発想を持つ者は皆無であったと言い切れる。

 こうした社会人教育の現場に立つ身からすると、著者が学校の先生方に向かって述べている「若いからといって失敗が許されない。」という言葉には唖然とした。この言葉を発せざるを得ないということは、この言葉の内容を実践できていない教師が多いからであろう。公務員である公立学校の先生方の中には、プロ意識というものが欠落した方が残念ながら多いというのは嘆かわしいことである。

 著者が前述の発言を行なった背景として「教育とはかけがえのないものである」という意識があったようだ。とりわけ、初等・中等教育においてこどもへの教師の影響力というものははかりしれない。教師の力量や人間としての有り様が、こどもの成長を規定することはおそらく間違いない。とりわけ、他者を教育する方法を学ぶのは学校の先生から学ぶことがほとんどであるため、学校の先生の教育レベルが、次世代の学校の先生の教育レベルを規定することになる。その影響は学校にだけではなく、残念ながら企業における教育レベルにも影響は及ぶ。教師のレベルが低ければ、それは世代を超えて広範囲に伝播することになるのである。

 こうした残念な日本の教育現場の状況には驚くばかりであるが、彼(女)らを鼓舞する著者の経験と意識には目を見張るものがあり、教育を志す身として刺激を受けた。

 第一に、著者は文部省(現在の文科省)のカリキュラムに必ずしも縛られず、教科書を教材の一つと言い切り、「単元学習」という概念を提唱し実践してきた。文章の論理構成を読解し、思考を深め、学習テーマを突き詰めるためには、教科書は必ずしも適していない。教科書とは学習指導要領に書かれている条件を担保するために編まれたものであろうから、必要最低限の網羅性はあれど十分な深みは担保されない。したがって、最低限のものを暗記させることには向いていても、生活や社会において考えながら行動することに必要なものは兼ね備えていない。こうした制約要因を踏まえて、著者は教科書を一つの教材に過ぎないと喝破した点は慧眼であろう。

 私が感銘を受けた教師を思い返しても、著者の発言には納得感がある。小学校5・6年時の私の担任は、教科書を最後まで終えないことで(良くも悪くも)有名であり、実際半分程度しか終わらない科目もあった。しかし、私は学習塾をはじめとした学校外の教育機関に通っていなかったが、中学以降の学力に悪い影響はなかったと思う。むしろ教科書に重きを置かない授業は、私にとってありがたいものであった。たとえば「修学旅行で訪れる日光東照宮のクイズを旅行中に出すので、それについて自分たちで調べよ」といった学習課題をよく与えられた。そのため、モティベーションレベルの異なる複数人で学ぶことの困難と意義、自らテーマを深掘りして課題を設定して学ぶことの面白さを経験できた。これは、今から考えれば大学でのゼミでの活動や、大学院での研究活動の原体験とも言えるものだった。なにより、自主的に学ぶことの楽しさとその結果として知的好奇心は自分たちで高めることができることを学ばせてもらったことに感謝をしている。

 こうした将来の生活や仕事の糧となる教育を行なえる教師というのは、こどもが義務教育を終えた後に一人で生き抜けるように育てるということをゴールにしているのだろう。これが第二に感銘を受けた著者の指摘である。教師がこどもを好きであり、彼(女)らときちんと接することは当たり前であると著者は述べる。その上で、真の愛情とはこどもが一人で生き抜けるように育てることである、と著者は述べる。

 第三に、こどもは一人ひとり異なるものであり、一人ひとりに合わせて教育を行なうことの重要性を著者は説く。学習能力の低い生徒に合わせてスピードを緩め、学習能力の高い生徒に同じ問題を二度解かせた教師への辛辣な批判は的を射ているだろう。なぜなら、学習能力が低い生徒にとっては自分のせいで学習が遅くなっているという劣等感を生ぜしめ、学習能力が高い生徒にとっては学習とは数をこなすというつまらない経験として認識させるからである。その結果、学習能力が低い生徒は卑屈に生きるようになり、学習能力が高い生徒はいつまで経っても暗記を第一に捉え、他者から与えられた課題の枠組みから離れられず、職務経験やキャリアを主体的に創り込めない優等生で終わりかねない。

 では、教師とはどうあるべきなのか。

 著者は、教師自体が研究を行ない続けるべし、というシンプルかつ本質的な主張をしている。ここには三つの意味があると言えるだろう。第一に、教育というかけがえのない現場に立つ人間として、常に自分の課題を見据えて学び続ける必要がある。生徒は多様であり、社会の変化に合わせて、彼(女)らが生きる社会の有り様は変わる。したがって、それに合わせて自分自身が学び続ける必要がある。ここでの「学び」とは知識やマニュアルの暗記を意味しないことは自明であろう。知識やマニュアルの暗記は、対象を画一化して行なうものであり、それでは多様な生徒や状況に対して対応できるはずがないからである。

 第二に、学ぶことに伴うつらさを自分自身が経験し続けなければ、生徒が学ぶ際に感じるつらさを実感を持って認識できないということである。つまり、自らも学び続けることで、学び続ける生徒への共感性を身に付けよ、ということである。新しいことを学ぶことは結果的に人間を豊かにするが、その過程では痛みが伴う。さらに、総学習時間のうち、約9割はできない自分と向き合う厳しい時間なのではなかろうか。そうした苦しいときにいかに苦闘して未来を切り拓くか、という経験を自分自身が現在形で取り組んでいなければ、その苦労を超えた学習のすばらしさを生徒に伝えることは難しいだろう。

 第三に、教育方法自体を研究するということである。著者は「未来に対して建設できないなら、私は、さっさとやめた方がよい」と述べている。至言であろう。教えることを生業としていれば、それまでの経験でなんとなくこなすことは造作ない。しかし、それを繰り返すと自分自身の応用可能性が狭まる。それだけではない。現在でも学校教師の教育レベルが低いままであるとしたら、教育に携わる志ある者同士が教育方法を共有して相互にフィードバックをし合う必要があるだろう。研修講師、大学教授、塾講師といった様々な教育者と定期的にお会いし、自分の教育手法について確認することと、常に良いものをそこに付け加える努力を私は試みている。これはたのしいから行なっているのであるが、それと同時に、教育というかけがえのないものに携わる者としての責務が為せるものでもある。

 かくいう私も修行中の身である。先だって行なった外国籍の方々への研修では、結果的に全体としては成功だったとは言え、通訳を介して行なったために私のインタラクションの技能はほぼ通じなかった。私が全く話せない言語であったことが主要因ではあるが、はたして英語であったら対応できたかと言えば、正直あやしいと思わざるを得ない。教育・研修の結果を出すことは職業人として当たり前であるが、その過程で「教えるということ」を工夫し続けチャレンジし続けることが私たち教育者には必要であろう。これは私への自戒である。

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