本書のタイトルをはじめて目にした時は、医療技術の信頼性や副作用の問題といったスキャンダラスなものが扱われているのではないかと思ったが、それは誤解であった。医薬品メーカーの開発部門における勤務経験のある著者の視点から、医薬品の開発プロセスの難しさや業界の持つ特性について述べられた書籍である。医薬品業界に詳しくない私のような読者にとっては、医薬品業界を学ぶ格好の入門書と言えるだろう。
まず、医薬という言葉について、著者は「病気に関わっているタンパク質に結合し、その働きを調節することで症状を和らげる物資」と定義している。薬を飲んで早く病気を「治す」という言い回しを幼い頃から聞きまた使ってきた薬学に疎い身からすると、医薬が「症状を和らげる」という表現は興味深い。さらに、病気を「退治する」かのように錯覚していた私にとっては、医薬が「病気に関わっているタンパク質に結合」するという部分も新鮮であった。医薬というとどこか私たちの身体に相容れない物質のように思いがちであったが、存外なじみやすいものなのかもしれないと思いを改めた次第である。
こうした医薬を扱うメーカーの特徴は、プロダクトの値段である薬価が公定価格であるという点にある。換言すれば、自分たちで創った製品の価格を自社で決められないという、およそ他の業界では考えられない特異な状況なのである。さらに、薬価の改定は二年ごとに行われ、そのたびに価格が平均5~7%強制的に下げられる、というのだから製品ごとに営業戦略を立てることは難しいのだろう。
個別のメーカーから日本の医薬市場へと目を転じれば、高齢者の増加に比例して増大する医療費をいかに削減するかが国家レベルでの最重要課題となっている。先発薬を使うよりもジェネリック医薬品を使う方が医療費の負担が少ないことは自明であるため、日本政府としてジェネリックの普及に力を入れているようである。具体的には2012年度までに普及率を30%にするという目標が立てられているが、日本ジェネリック製薬協会によれば2011年度の普及率は23.3%であり、目標との乖離は小さくない。では、この目標じたいが妥当ではないのか、というとそうでもない。同じく日本ジェネリック製薬協会によれば、諸外国の2009年度における国内のジェネリック医薬品の普及率は、アメリカの72%を筆頭に、カナダ66%、イギリス65%、ドイツ63%、フランス44%、スペイン37%、イタリア36%、と医薬品市場の大きい先進各国と比べて著しく日本の普及率が低い現状であり、普及率30%という目標数値は決して高くない。
ではなぜ日本ではジェネリック医薬品の普及が遅れているのか。それは直接的な利用者である最終消費者と、薬局で薬を扱う薬剤師、および薬剤を選定する医師に対してその価値を適切に伝えられていないからではないか。風邪や頭痛といった日常的な病気に関しては、先進的で高価な先発薬を使わずとも、安価な後発薬を使いたい患者さんは潜在的に多いだろう。常用している薬品であれば、消費者である患者さんの価格感応度が高いことは想像に難くない。したがって、患者さんが後発薬を安心して選べるように、一つは広報活動に注力することが有用であろうし、MRが医師や薬剤師に自社製品の特長を正確かつ的確に伝えることが今後の課題であろう。つまりは、ジェネリック医薬品メーカーの有する、健全な意味での営業力を高めることが肝要であると考える。
また、ジェネリック医薬品が普及しないこととは別に、いわゆる2010年問題が医薬業界での大きな問題がある。すなわち、新たな先発薬が生まれづらい状況が世界規模で起こっているというのである。著者によればこの問題の原因の一つとして、近年進展する医薬品業界どうしの大型合従連衡があるようだ。つまり、企業規模を大きくすることで開発費を削減できる一方、利幅の大きいメガヒット製品を開発することに焦点を当てすぎて、各国の最終審査に通らない状況が続いているのである。誤解を恐れずに言えば、ホームラン狙いになりすぎて打率が著しく低下してしまっている、というところであろう。
これは、イノベーションのジレンマの応用問題と言えるのではないだろうか。むろん、イノベーションのジレンマの要諦は、度重なる改善によって技術スペックが市場ニーズを追い越してしまい、破壊的イノベーションを起こした下位市場に駆逐される点にある。しかし、医薬業界における2010年問題は、イノベーションのジレンマが起こる組織上の問題、すなわち組織の拡大が短期間における利益規模の増大を引き起こし、小さなヒットの積み重ねを組織として許容できなくなる問題と同じように思えるのであるが、どうだろうか。
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