2012年1月7日土曜日

【第62回】『フェルメール 静けさの謎を解く』(藤田令伊、集英社、2011年)

 フェルメールはよく「静謐の画家」と形容されるように、静けさを描写した絵画のイメージが強い。フェルメールが静けさをどのように実現しているのか。その理由を明らかにするべく探求しているのが本書である。

 著者は結論として、色彩、素材と構図、意味性の剥奪、光の描写、という四つの要素が静けさを構成しているという。

 第一に色彩について。「フェルメールブルー」と言われるように、フェルメールと言えば青である。青が静けさを表現していることは科学的にも傍証されているそうだ。日本の研究者が、「真珠の耳飾りの少女」で描かれている少女の青いターバンの色をコンピュータで青、黄、赤、緑、黒、白の六色に変換して被験者の印象がどう変わるかを測定したらしい。その結果、青のものが静かで落ち着いた印象を持ったといい、これは色彩心理学の知見とも整合するものであるとのことだ。

 青を主題として描く絵画は他にも多くある。そうした中でフェルメールを際立たせるものが、第二の要素である素材と構図にある。まず、フェルメールの描く素材自体は極めて少ない。フェルメールの作品の中には、ある対象を描いたと思われる部分が上塗りされて素材を消した形跡がよくあるという。意図的に対象を減らすことでいわば絵画を無言化して静謐さを表現するということである。さらに、絞り込んだ対象を絵の一部にしか配置しないことで、描写される範囲をごく狭くする構図を用いることで静けさを増している。

 第三に意味性の剥奪が挙げられる。当時の絵画の一つの流行は教訓的風俗画であった。教訓的風俗画とは人としてどうあるべきかを描写する絵画であり、悪徳揶揄型と美徳奨励型という二つのスタイルがある。当時の鑑賞者は前者、すなわち悪徳揶揄型を好んだためにそちらの絵画の方が多い。よく私たちが目にするものとしては、家の外側に品のないものを内側に上品なものを想起するものを描くものや、男女とワインとを描くことで悪徳を想起させるものである。フェルメールはこうした流行を追わず、美徳奨励型を好んで描いたため、表情を読み取りづらい女性のみを描き、余分な他の存在を配置していない。したがって、意味やメッセージ性が希薄になることで、静けさが助長されているのである。

 最後に光の描写がある。フェルメールと言えばポワンティエである。ポワンティエとは、光が当たって輝いて見える部分を白い点描で表現する技法である。光の描写については、フェルメールの作品の中でも変化が見えると言われるが、強くて明瞭な光から淡くておぼろな光を経過してポワンティエの活用に至り、さらにポワンティエ自体を抑制することで静謐感を高めている。

 こうした四つの要素はそれぞれが別個に機能しているというよりは、渾然一体として相互に影響を与え合っていると言えるだろう。構造的に把握することは私の好みであり興味深く読めたのであるが、やはり実物を鑑賞するにかぎる。出版間もない本書を読んで無性にフェルメール展に行きたくなったところに、Bunkamuraの「フェルメールからのラブレター展」が用意されているのは、作者の狙いと考えるのは邪推であろうか。

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