格差拡大という社会的な問題への対策として、格差をひとまとめに捉えても意味がない。日本社会においてどの格差が拡大し、どの格差は必要悪で、どの格差は縮小すべき課題なのかを切り分ける必要がある、と著者は主張する。
ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』などをもとにして、著者は現代のニューエコノミーの特徴を「豊かな社会」「IT社会」「グローバル社会」と端的にまとめている。こうした特徴を持つ現代社会においては、多様な人々の多様なニーズをどう把握して具現化するかという「新しい発想とそれを実現できる企画力」と、それを効率的に行う「システム構築力」とが求められる。ここではこうしたスペックを持つ人材を非定型作業労働者としよう。
非定型作業労働者が活躍できる前提には、企画から落とし込まれた事務作業を粛々とこなす定型作業労働者があると著者は述べる。それは現実的には、一部の非定型作業労働者と大部分の定型作業労働者というかたちで構成されることになるだろう。職務形態という観点のみで捉えるとこうした切り分けが問題であると断じたくなるものであるが、ニューエコノミーが生み出す製品・サービスの受け手の観点からは否定しづらい。ITの進展により利便性が増す生活を企画する主体としての非定型労働者を放棄するという選択肢は取りたくないだろうし、マクロ経済上の観点から考えても望ましくない。
しかし、定型作業労働者の現状をそのまま肯定するわけにはいかないだろう。職務形態の峻別は必要悪として認めざるを得ない一方で、そうした方々への支援のあり方は改善が求められているのである。定型作業労働者にとって、自分自身が「労働者から期待される存在であるかどうか」という不安の結果として希望格差が生じることは本来は軽減できる問題であり、軽減させる必要がある。
実際、定型作業労働者の端的な例と言えるフリーターを対象として著者が行った調査において、こうした希望格差が表れているそうだ。具体的な数値は述べられていないが、フリーターを選択した若者のうちのほとんどがいずれは違った立場になりたいと回答したという。さらに、フリーターになった当時の状況はともあれ、フリーターの状況が中長期化している人にとっては、現在の状況はいわば「強いられている」という側面が強い。
では希望格差が生じる理由はなにか。
著者はその理由を三つの要因から説明している。第一に努力が仕事能力の向上に結びつかず生産性が上がらないという生産性の要因。第二に生産性が上がっても収入の上昇に繋がらないという収入の要因。第三は努力しても生活水準が上がらないという生活水準の要因。このモデルは、第一の要因が説明変数であり、第二と第三の二つの要因を結果変数と捉えるべきであろう。このように考えると、モティベーション理論に造詣のある方は1960年代のブルームを嚆矢としてポーター=ローラーが1970年代に提唱した期待理論を想起するだろう。モティベーションという作用を、努力がパフォーマンスに繋がる期待と、パフォーマンス向上が報酬の向上に繋がる期待、とに因数分解した期待理論と著者の主張は近似している。すなわち、著者の社会学的なアプローチに基づく主張の妥当性は、心理学の領域からも認められていると言えよう。
では、努力がパフォーマンスの向上と報酬の向上に結びつかなくなった原因はなにか。著者はその大きな理由は日本における戦後教育のパイプライン・システムの崩壊にあるとしている。つまり、受験勉強という努力を行うことが、偏差値が上がるというパフォーマンスに繋がり、良い会社に入るという報酬へと帰結するかつてのシステムが機能しなくなったことが原因である。
現代から考えればこのシステムには大きな瑕疵がある。かつて受験勉強において求められたインプット重視型のパフォーマンスは、現代の企業において求められるパフォーマンスと異なるものになった、という点である。現代の企業においては、冒頭で述べた通りアウトプットを前提として、どのような企画を行い、それを実装する効率的なシステムをいかに構築するか、が非定型作業労働者に求められる。したがって、大学に入るまでのインプット型の努力は、非定型作業労働者に求められるパフォーマンスに結びつかなくなったのである。そうであるのに、世間が認める良い大学に入ること自体が今でもゴールであると思われていることが問題の根源であろう。
こうした誤解はさらに根深い問題を生み出す。同じ学校の同級生の中において、望ましいキャリアを積める人とそうでない人とが生み出されるという現実である。社会において評価されるポイントよ大学入学において評価されるポイントとが全く異なるのであるから卒業後のキャリアに違いが生み出されることは本来当たり前だ。しかし、同じ大学に入るという同じような努力の質と量をしてきたと認識している人にとっては、自分にできなくてなぜ他者にできるのかが信じられず大きな不満となる。学校機関におけるキャリア教育が盛んになりつつあるが、受験指導に汲々としたり、資格取得をいたずらに鼓舞するものが大半であると言われる。これでは大学に入る前に求められるインプット型の学習を助長するだけである。そうではなく、企業や顧客から求められるエンプロイヤビリティーとはなにか、それを身につけるべくどう学生時代の努力をアンラーンして学生以降の生涯学習に繋げるか、といったことを考えさせるコンテンツを提供すべきであろう。
社会に出る前の学生への取り組みとともに、その後の社会人への取り組みもまた喫緊時である。希望格差は外部不経済を生み出すからである。2008年の6月に秋葉原で起きた痛ましい通り魔事件を持ち出すまでもなく、派遣切りという定型作業労働者は雇用を失うリスクが低くなく、生きる希望を失う方による外部不経済の影響は計り知れない。そうした方々を政府としてNPOとして支援することももちろん重要であるが、日常的には定型作業労働者の方々への感謝の気持ちを持つこともまた重要であろう。人間にとっての希望とは、なにも金銭に集約されるものではなく、他者との日常的なあたたかい関わりの中で生まれるものなのだから。