2012年8月12日日曜日

【第98回】『タオ 老子』(加島祥造、筑摩書房、2006年)


 一ヶ月ほど前に『論語』の感想を記した時の方法を今回も踏襲し、印象に残った箇所を引用し、それに対する覚え書きを記していくこととしたい。

「道(タオ)の働きは、なによりもまず、空っぽから始まる。それはいくら掬んでも掬みつくせない不可思議な深い淵とも言えて、すべてのものの出てくる源のない源だ。」(第四章)
【メモ】隙間を埋めようとするのではなく、空を積極的に創ること。

「我を張ったりしない生き方だから、自分というものが充分に活きるんだ。」(第七章)
【メモ】我を張り争ってしまうのは弱く限定された自分を守るためのものにすぎない。

「私たちは物が役立つと思うけれどじつは物の内側の、何もない虚のスペースこそ、本当に役に立っているのだ。」(第一一章)
【メモ】空を常に用意しておいて偶機に任せることが創造性を産み出す。

「社会の駒のひとつである自分はいつもあちこち突き飛ばされて前のめりに走ってるけれど、そんな自分とは違う自分がいるーそれを知ってほしいのだよ。」(第一三章)
【メモ】「あきらめる」とは「明らかに極める」と同じ。メタ認知の重要性でもある。

「こういう人だから無理をしないんだ、タオを身につけた人というのは消耗しない。消耗しないから古いものをいつしか新しいものにしてゆく。いつも「自分」でいられて新しい変化に応じられるのだよ。」(第一五章)
【メモ】多少の無理をしても精神を消耗させるまではしない。刷新していくイメージ。

「自分を曲げて譲る人は、かえって終わりまでやりとげる。こづかれてあちこちするかに見える人は自分なりの道を歩いてる。」(第二二章)
【メモ】敵を作らないこと。多少の譲歩が結果的に信念を貫くことに繋がる。

「タオに欠けた相手だったら、君はその欠けたところで付きあったらいいんだ。相手の欠けたところを楽しめばいいんだ。」(第二三章)
【メモ】能力や人徳に劣る人物に対していらつかず、その部分をたのしむゆとりを持つ。

「自分をひとによく見せようとばかりする者は自分がさっぱり分からんのさ。」(第二四章)
【メモ】SNSの危険性。「盛る」ことで自分を見失うリスクに気をつけること。

「他人に勝つには、力ずくですむけれど自分に勝つには柔らかな強さが要る。」(第三三章)
【メモ】柔らかな強さとは自分を拓くことであり、バリューのストレッチングである。

「これが正しいからやる、なんてことばかり主張する人は浅いパワーを振り回してるのさ。」(第三八章)
【メモ】SNSでたまに見る。自戒の意味も含めて気をつける。

「物や生き方を控え目に抑えた時にかえって得をする。」(第四二章)
【メモ】ヴェーバーの考えるプロテスタントの倹約主義と近いか。

「無為とは知識を体内で消化した人が何に対しても応じられるベストな状態のこと、あとは存在の内なるリズムに任せて黙って見ていることを言う。」(第四八章)
【メモ】変化への対応。受容。自ずから然り。

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