2012年8月18日土曜日

【第99回】『知識労働者のキャリア発達 キャリア志向・自律的学習・組織間移動』(三輪卓己、中央経済社、2011年)


 研究において、概念をいかに定義するかはその研究の質を規定する。先行研究は丹念に客観的な網羅性を担保するために丹念に行う必要があるが、それをどのように関連づけるかは自身の研究における関心に依存することになる。したがって、自身の関心に合わせて概念は定義づけられることになる。

 本書は、そのタイトルにもある通りキャリアに関する書籍であり、キャリアの研究を書物にしたものである。シャインや太田肇さんの先行研究を主に参照しながら、キャリア志向を「自己概念に基づいて認識されたキャリアの方向性、長期的に取り組みたい事柄と仕事の領域、働くうえでの主要な目的意識」と定義している。ここに著者の問題意識は集約されていると言っても過言ではないだろう。つまり、キャリアは金井壽宏さんや平野光俊さんの主要論文にあるように回顧と展望という二つの事象に分けて捉えられることが多いが、本書では後者の展望にあたる将来志向性を重視している点に特徴があると言えよう。

 著者の研究課題の一つは、キャリア志向が学習にどのような影響を与えているのか、である。まずは、インタビュー調査による探索的アプローチによって、複合的なキャリア志向を持つようになった対象群が、単一の専門職志向を持つ対象群と比べて、複雑で多様な学習を行っている、ということが明らかにされている。本書は新興専門職とされるソフトウェア開発者とコンサルタントが調査対象である。すなわち、そうした職種において、専門職志向だけではなく、それ以外のたとえば管理職志向といった他の志向をも併せ持つ対象群が現実に適応すべく多様な学習を行っている、という発見は興味深い。

 こうして探索的アプローチで明らかとなったファインディングを精査するために、仮説検証型アプローチとしてアンケート調査を試みている。その結果、上述した仮説が妥当であることが明らかになるとともに、こうした異なるタイプの学習が職務上における高い成果や満足度に繋がっていることを明らかにしている。学習を説明変数に、成果と満足度を従属変数に置いて考えれば、本研究はクランボルツやジェラットといった教育学系のキャリア理論を定量的なアプローチで進展させるものであることが分かるだろう。

 さらに、こうした多様な学習がどのようになされるかについての研究結果もまた興味深い。著者によれば、組織をまたぐキャリアを志向する者であっても、組織を軽視して個人が独力で学習するということは効果的でないと主張する。すなわち、キャリア自律、バウンダリーレスキャリア、プロティアンキャリア、が声高に叫ばれる時代であっても、組織を学習の場として活用することが知識労働者の成長にとって有益なのである。加えて、組織や集団といったグループを重視し、その中で他者と協働する態度や能力が重要であるという著者の示唆は注目すべきであろう。

 こうした新しい知識労働者の成長を促すために、企業には複数のキャリア志向に配慮した人的資源管理が求められることは著者の言を俟つまでもない。しかし、著者が例として挙げているプロジェクト・マネジャーに対してインセンティヴを与えたり、マネジメントの責任範囲の大きさに応じて職務給や役割給の設定が必要、というのは外発的動機付けに傾き過ぎではなかろうか。むしろ、複数のキャリア志向を持つことの有用性を社員の腹に落とし、日常の業務の中でどのようにストレッチするのか、という内的な意識付けへの支援を人事は行うべきであると私は考える。

 本書のように研究者の論理構成は抑制が利いていて心地よい。自身が得た知見が過度に文脈依存的でないかについて丹念に調べ、一般化する方法を検討し、その上で自身の理論の射程距離を明確に制限している。文脈依存性の高いビジネス書ではなく、本書のような研究書が当然のごとく読まれるようになれば、日本企業の知識労働者の生産性の低下が嘆かれる時代は終わるのかもしれない。


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