2013年11月16日土曜日

【第221回】『戦争と平和(四)』(トルストイ、工藤精一郎訳、新潮社、1972年)

 まず、アンドレイ公爵とピエールとの対比をもとに検討を試みる。

 『そうだ、あれは死だった。おれは死んだーーとたんに目をさました。そうだ、死はーー目ざめなのだ』と、ふいに彼の心の中にひらめいた、そしてこれまで知りえぬものをかくしていた帷が、彼の心の目の前に開かれた。彼はそれまで縛られていた身内の力が解放されたような気がして、それ以来彼を去らなかったあのふしぎな軽さを感じた。 彼が冷たい汗をかいて目をさまし、ソファの上でわずかに身体を動かすと、ナターシャがそばによって、どうなさったの、とたずねた。彼はそれに答えなかった、そして彼女の言葉がわからずに、ふしぎそうな目で彼女をみた。(121頁)

 死の直前に最愛の存在を前にして、絶対的な孤立をアンドレイ公爵は感じる。その孤絶感こそが、目ざめであり、目ざめることとは彼にとって死を意味することであった。これと対照的な著述がピエールの感覚の描写に表れている。

 結婚生活七年後にピエールは、自分は悪い人間ではないという、うれしい、確固たる自覚をえた、そしてそう自覚したのは妻の中に映し出されている自分を見ていたからだった。自分の中には、彼はすべてのよいものと悪いものがまじりあい、たがいに影を落し合っているのを感じていた。しかし妻に映っている彼の映像は、真によいものばかりだった。いくらかよくないところのあるものはことごとくはねのけられていた。そしてこの映像は論理的な思考の方法からではなく、別なーーふしぎな、直接的な方法から生れたのだった。(501~502頁)

 同じ愛する存在を前にしている状況においても、アンドレイ公爵が孤独から目ざめを意識したのに対して、ピエールは妻という存在から自分を意識する。アンドレイ公爵が戦争で負った大けがによって死ぬのに対して、ピエールは妻と子どもたちと平和に生きている。生と死、孤立と連帯、戦争と平和。アンドレイ公爵とピエールとを対比させながら、この大作は完結を迎えるのである。

 次に、戦争について。

 当時フランス軍が占めていたその輝かしい状態を保持するためには、思うに、特別の天才など必要としないはずである。そのために必要なことは、軍に略奪を許さず、モスクワで全軍に支給するだけ手に入れられたはずの冬の衣類を用意し、モスクワにあった全軍を半年以上養うことのできる食糧(これはフランスの歴史家たちの指摘するところである)を確実に掌握するという、きわめて簡単で容易なことを実行することであった。ところが歴史家たちの認めるところによれば、この天才の中の天才で、軍を支配する力をもっていたナポレオンが、これを何もおこなわなかったのである。(155頁)

 なぜフランス軍はロシア軍に負けたのか。戦争の天才ナポレオンはなぜ負けたのか。演繹的にゴールから落とし込んで戦術を打っていくわけではない。一つひとつの積み重ねこそが戦争なのである。そしてそれは、一つの失敗が次々に連鎖していくものでもある。

 規則による決闘を要求した剣士は、フランス軍であり、剣を捨てて、棍棒を振上げた相手は、ロシア軍である。フェンシングの規定の中ですべてを説明しようとする人々が、ーーこの事件を書いた歴史家たちである。(221~222頁)

 フランス軍の打った手が合理的でなかったということではない。喩えれば、サッカーをまっとうに行おうとするフランス軍に対して、ロシア軍は敢然と手を使ってボールをゴールに押し込んだのである。公然としたルール違反が許されたのは、領土の問題もあろう。すなわち、ロシア軍は「自分たちの国土」というナショナリズムを喚起されるものであり、是が非でも守らなければならないものであった。そうした感情が、冷静にルールを守る姿勢を遠ざけたのであろう。

 戦争のいわゆる規則からのもっとも明白で有利な逸脱の一つは、かたまりあっている人々に対する、ばらばらな人々の行動である。この種の行動は、戦争が国民的な性格をおびた場合に常にあらわれるものである。このような行動は、集団と集団の対決という形のかわりに、分散して、小人数で襲撃し、大きな力を向けられると、すぐに逃げ、機会をねらって、また襲撃するという方法である。スペインでゲリラがとったのがこの行動であり、コーカサスの山岳民がおこなったのがこれであり、一八一二年にロシア人がおこなったのがこれであった。 この種の戦いはパルチザン戦法と称され、こう名づけることによって、その意味は説明されていると思われてきた。ところがこの種の戦いは、どのような規則にもあてはまらないばかりか、神聖なものと認められている一定の戦術上の法則にまっこうから対立するのである。法則は、攻撃する者は、戦闘の瞬間に敵よりも強力であるために、その兵力を結集しなければならぬ、と語っている。 パルチザン戦法は(常に成功であることは、歴史が示しているところだが)この規則にまっこうから対立している。(223~224頁)

 相対的に劣位にある国民国家はパルチザン戦法をとることが往々にしてある。それは自然の発露であるとも言える。ベトナム戦争でも有効であり、テロリズムもこの戦法の応用と考えることはできるだろう。戦争とはなにか。守るべきものはなにか。戦争という一つのテーマをもとに、様々なことを考えさせられる。

 最後に、歴史について。

 機関車の運動を説明しうる唯一の概念は、目に見える運動に見合う力の概念である。 諸民族の運動を説明しうる方法となる唯一の概念は、諸民族のすべての運動に見合う力の概念である。 ところが、さまざまな歴史家たちが、じつにさまざまな、目に見える運動にぜんぜん見合わない力を、この概念の意味と見ている。ある者はそこに、英雄に本来そなわっている力を見ている、ーーこれは百姓が機関車の中に悪魔を見るようなものである。ある者はーーいくつかの力から派生する力を見る、ーーこれは車輪の回転のようなものである。またある者はーー知的影響を見る、ーーこれは風に流される煙のようなものである。 それがシーザーやアレクサンドルにせよ、ルターやヴォルテールにせよ、個々の人物の歴史ばかりが書かれて、すべての人々、一人の例外もなく、事件に参加したすべての人々の歴史が書かれないあいだは、ーー他の人々をして一つの目的を目ざす活動に向けさせる力を、個々の人物に帰さぬわけにはいかない。そして歴史家たちが知っているただ一つのこのような概念が権力なのである。 この概念こそ、現在の叙述法に際して、歴史の在留を自由にこなすことのできる唯一のペンなのである。(570頁)

 私たちはとかく特定の「歴史的」人物が「歴史」を創っていると捉えがちである。藤原道長が貴族政治の礎を築き、源頼朝が武家政治を確立し、坂本龍馬が近代社会を創った、と教わることが多い。しかし、著者はある時代に生きている一人ひとりの営為の連なりが歴史を作るという歴史観をここで提示している。『戦争と平和』においても、ナポレオンを特別視せず、また冬将軍とも呼ばれるロシア軍によるフランス軍撃退をも一つひとつの部隊や個人の営為の為せる業であるとするのである。


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