前回に引き続き『戦争と平和』。内面描写が印象的な一冊であった。
ところで、おれがドーロホフを撃ったのは、自分が侮辱されたと思ったからだ。ルイ十六世が処刑されたのは、犯罪者と考えられたからだが、一年後に、彼を処刑した連中も殺された。これも何かの理由があったからだ。何が悪いのか?何がよいのか?何を愛し、何を憎まねばならぬのか?何のために生きるのか、そしておれはそもそも何なのか?生とは何か、死とは何か?全体をあやつっているのはどんな力なのか?』と彼は自分に問いかけた。しかしこれらの問題のどのひとつに対する解答もなかった。ひとつだけ非論理的な答えはあったが、それもぜんぜんこれらの問題に対するものではなかった。それは、『死ねばーーすべてが終りだ。死ねばすべてがわかるかーーあるいは問いかけることをやめるだろうさ』ということだった。だが、死ぬのも恐ろしかった。(130頁)
莫大な資産を得たピエールは、その資産目当てで結婚した妻から受けた裏切り行為に苛まれる。苦しむ中で、善と悪、生きる目的、考える意味について自問自答する。デカルトの述べるようなコギト的世界観に至りながらも、考える主体たる自分自身を否定することもできないという人間の弱さを白状する。生きる意味を真剣に考える、思春期に私たちの多くが経験するであろう内面の苦しみが、鮮やかに描写される。
一人きりになっても、ピエールはまだ苦笑をつづけていた。彼は二度ほど肩をすくめて、はずそうとするように、手を目かくしのところへもっていったが、思い直しておろした。目かくしをされていた五分ばかりのあいだが、彼には一時間ほどにも思われた。手がむくんで、膝ががくがくした。疲れが出たような気がした。彼はひどく複雑な、さまざまな感情に責められていた。これから起ることが、恐ろしくもあったが、なんとか恐怖心を見せたくないという思いのほうが、それよりも不安だった。何が起るのか、どんなことが彼のまえに展開されるのか、知りたい好奇心もあった。しかし何よりもうれしかったのは、ヨセフ・アレクセーエヴィチとの出会い以来たえず空想してきた、あの更生の道へ、善徳と活動の生活の道へ、ついに踏み出す瞬間が来たのだという思いだった。(148~149頁)
宗教的経験とはこうしたものなのかもしれない。苦しい状況の中で宗教に光を見出す心情は私には分からないが、そうした状況下でピエールのような判断を下すということもあり得るのだろう。しかし、ピエールがその後も悶え、苦しむという事後の展開にもまた、現実世界に対する著者の描写が表れている。
長い別れののちに会うと、いつもそういうものだが、話は長いこと落着かなかった。彼らは自分でも簡単には語りつくせないと承知しているようなさまざまなことを、短くたずねたり、答えたりしていた。そのうちにようやく、話は徐々にさっきまでは断片的に語られたにすぎなかった過去の生活や、未来の計画や、ピエールの旅行や、その取組んでいる仕事や、戦争などといった線に落着きはじめた。(204~205頁)
ピエールとアンドレイ公爵とが、久しぶりに会った際の情景である。古くからの友人や懇意にしている知人と長い期間を経て会うとよく起こる収まりの悪さ・居心地の悪さを見事に描き出している。近しい間柄であればあるほど、自分の文脈を相手が分かってくれている、もしくは分かっていてほしいと思う。そうであればこそ、こうした落ち着きのなさが当初は起こるものなのだろう。
「何が正しく、何が正しくないかなどということはーー人間の決められることじゃないさ。人間てやつはつねに迷ってきたし、これからだって迷いつづけるのさ、しかも正しいとか正しくないとか決めようとするときほど、ひどい迷いにおちこむものさ」(208頁) 「しかし、人それぞれの生き方があるさ。きみは自分のために生きて、そのために危うく自分の生活を滅ぼしかけたと言い、今度他人のために生きるようになって、はじめて幸福を知ったと言う。ところがぼくが経験したのは、まるで反対のことだ。ぼくは名誉のために生きてきた(だが、そもそも名誉とは何だ?これもまた他人に対する愛ではないか、他人のために何かしてやろう、そして他人の賞讃をえようという願望ではないか)。このようにぼくは他人のために生きてきた、そしてほとんどどころか、完全に、自分の生活を滅ぼしてしまったのさ。そして、自分一人のために生活するようになってからだよ、やっとすこしずつ落着きをとりもどしてきたのは」(210頁)
先述した居心地の悪さには、お互いの見えない経験の相違による内面のすれ違いも表れている。何をもって正しいものと見做すのか。この命題に対するピエールとアンドレイ公爵との違いを明確にすることで、著者は読者に対して問いかけている。
彼が泣きたい気持になった最大の理由は、ふいにまざまざと彼に意識された恐ろしい矛盾、彼の内部にあったある限りなく大きな漠然としたものと、彼自身がそうであり、彼女さえもそうである、あるせまい肉体的なものとのあいだにある矛盾であった。彼女がうたっているあいだ、この矛盾が彼を悩ましもし、喜ばせもしたのだった。(402頁)
アンドレイ公爵が深い沈鬱から解放された瞬間の心理的描写である。沈鬱からの解放は、単純な喜びではなく、悩みというマイナスの感情をも伴うと著者はしている。単純にポジティヴにもなれないし、また単純にネガティヴな感情だけが私たちの心を占めるということもないものだ。
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