2013年11月2日土曜日

【第216回】『孔子伝』(白川静、中央公論新社、1991年)

 本書は、三年半ほど前にある恩師から頂戴したものであり、通読するのはその際に読んで以来である。それまでは孔子や儒教というものとは縁のない生活を送り、歴史の一つであるとしか考えていなかった。しかし、変化が激しく、不安定な社会、という孔子が活躍した春秋時代の特徴は現代にもそのまま該当する。歴史や古典を学ぶということは翻って現代を眺める上でも有益である。遠回りのように思える過程から見える景色は格別だ。

 まず、孔子その人についての著者の論評を見てみよう。

 自己の理想像に対する否定態としての、堕落した姿を、孔子は陽虎のうちに認めていたのではないか。孔子はつねに周公を夢みることによって、理想態への希求を捨てなかった。それが孔子の救いであった。はじめての亡命以来、二十二年の間、孔子は一つの声と、一つの影の中でくらした。それは何れも、孔子自身が作り出したものである。 人は誰でもみな、そういう声を聞き、影をみながら生きる。それが何であるかを、はっきり自覚する人は少ない。その意味で、孔子やソクラテスのような人は、稀な人格であった。偉大な人格であった。そしてもしそのことに注意しなければ、この偉大な人格の生涯を貫くリズムを、把握することは困難であろう。(62頁)

 自分自身がなにを是としてなにを非とするかを自覚すること。次に、それぞれを具現化するイメージをはっきりと持つこと。肯定することと否定することとを比較すると、否定する力の方が時に強くなりがちだ。他国を否定することで、自国民としてのアイデンティティーを持とうとするナショナリズムという現象を想起すれば分かり易いだろう。こうした中で、いかに肯定する力を持つかが大事になる。孔子にとっては、善政としての誉れが高かった周公をイメージしながら理想態を希求できたことが、彼の考えを練り上げていくうえで大きかったのであろう。

 体制が、人間の可能性を抑圧する力としてはたらくとき、人はその体制を超えようとする。そこに変革を求める。思想は、何らかの意味で変革を意図するところに生まれるものであるから、変革者は必ず思想家でなくてはならない。またその行為者でなくてはならない。(119頁)

 理想態を希求するということはすなわち、現在の否定態との対立をも厭わないということである。変革を起すためには、その礎となる考え方を提示することが大事である。それとともに、単に頭で考えるだけではなく、それを伝道すること、さらには伝道するために日々の生活の中で実践し続けること。こうした地道な一つひとつの活動が大きな変革へと繋がるのである。

 次に、新しいものを創造する際の伝統の重要性について取りあげる。

 哲人は、新しい思想の宣布者ではない。むしろ伝統のもつ意味を追及し、発見し、そこから今このようにあることの根拠を問う。探求者であり、求道者であることをその本質とする。(13頁)

 いたずらに、新しいこと、革新的なこと、創造的なことばかりを求める人がいる。そうしたものが肯定的なものを生み出すことがあるのも事実であろうが、変えること、刷新すること、そのこと自体が目的になり、現実を見ていないことも多い。孔子のような、思想を生み出した人物が、伝統的な価値観や現実を見据えた上で、探求を行ったという著者の考察にいま一度留意してみたい。

 ではそもそも伝統とは何なのだろうか。

 人々の生きかたのあらゆる領域にはたらきながら、そのはたらきを通じて精神的定型ともいうべきものを形成し、発展させてゆくものが伝統であるとすれば、それはきわめて多元的・包摂的でありながら、しかも体系をもつものであることが要求される。その条件をみたしうるものが、伝統でありうるのである。そしてそれをはじめてなしとげたのが、孔子であった。(67~68頁)

 多元的・包摂的であると同時に体系を持つ、という多元性と一元性という一見すると相矛盾するものを成立させているものが伝統であると著者はしている。南北に空間的に広がる一方で、元号という時間的な統一体を用いているという現代の日本という国を考えれば、ここでの伝統についてイメージを持てるだろう。ともすると正しい歴史や一つの歴史観という体系ばかりに目が向きがちになるが、伝統が保有する多様性/ダイバーシティにも私たちは目を向けるべきだろう。伝統から学ぶということは、こうした相反する二つの態度を併せ持つことによって為されるのではないだろうか。

 儒はもと巫祝を意味する語であった。かれらは古い呪的な儀礼や、喪葬などのことに従う下層の人たちであった。孔子はおそらくその階層に生まれた人であろう。しかし無類の好学の人であった孔子は、そのような儀礼の本来の意味を求めて、古典を学んだ。(109~110頁)

 過去から学ぶという行為は、現在行われている事象に関して、その過去からの変遷を学ぶことである。孔子が行ったように、自身を取り巻く環境についてその本来的な意味を探求することが自然であり効果的なのであろう。隣の芝生は青く見えるものだが、私たちが学ぶべき教材は存外身の回りにあるものだ。

 伝統をもとに新しいものを創造するには一つの核となる考え方が必要であろう。儒の考え方の骨格を為すのは仁であると著者はする。第三の点として仁について見ていく。

 孔子が、従来その意味に用いられたことのない仁の字を、最高の徳の名としたのは、「仁は人なり」ともいわれるように、同音の関係によって、いわば全人間的なありかたを表現するにふさわしい語と考えたからであろう。そしてこれによって、伝統的なものと価値的なものとの、全体的な統一を成就しようとしたのであろう。(中略)仁は単に情緒的なものではない。「あはれ」というような感情でなく、きびしい実践によって獲得されるものである。しかもその実践は、行為の規範としての礼の伝統によるものでなければならない。(113頁)

 伝統を用いて、厳しい実践の繰り返しによって、新しい価値観としての儒として成り立たせること。論語の中にある温故知新を地でいくような考え方である。伝統をいかに現実に活かすかという取り組みは厳しいものである。その過程ではうまくいかないことの方が多いに違いない。しかし清濁を合わせ飲んだ結果として、現実的でかつ革新的な考え方が生まれるものなのだろう。

 儒教は、中国における古代的な意識形態のすべてを含んで、その上に成立した。伝統は過去のすべてを包み、しかも新しい歴史の可能性を生み出す場であるから、それはいわば多の統一の上になり立つ。(中略)そしてその統一の場として、仁を見出したのである。(中略)伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。儒教はそののち二千数百年にわたって、この国の伝統を形成した。(115~116頁)

 仁によって統一された儒の考え方の中には、本質的な多様な過去の伝統が包含されている。ために、伝統の内側に運動の萌芽が含まれることになる。静と動とが同居することも伝統の一つの特徴であり、ゆたかな可能性の源となるのであろう。

 第四に批判に対する孔子の向き合い方について。

 批判とは、自他を含む全体のうちにあって、自己を区別することである。それは従って、他を媒介としながら、つねにみずからの批判の根拠を問うことであり、みずからを批判し形成する行為に他ならない。思想はそのようにして形成される。(175頁)

 批判を行うことで自説の存在価値を明らかにする。そのためには、批判の対象物は世間に真っ当なものとして認知されている方が望ましい。したがって、孔子の儒教は批判の対象として晒されることが多かった。批判がなされ、その批判に対して再批判がなされる。こうした運動によって考え方が深まる。儒教は思想の媒介的な役割をも担ってきたし、現在でも担っている。

 それぞれの思想の根源にある究極のものを理解することは、それと同一化することとなるのではないか。それゆえに批判は、一般に、他者を媒介としながらみずからをあらわすということに終る。それは歴史的認識を目的とするいまの研究者にとってもいいうることである。(182頁)

 批判をすることにって、自分自身のかたちを明らかにする。他者との境界を打ち出すことによって、自分自身の輪郭を明らかにする。換言すれば、批判するという行為によって、批判者の力量や懐の深さが自ずと外に表れる。著者がわざわざ「いまの研究者」にも当てはまるということを付言している意味について私たちは考えるべきだろう。

 相似たものほど、最もきびしく区別されなければならない。そのために、その対立点は極端にまで強調される傾向がある。(179頁)

 すべての批判行為が許されるわけではないだろう。とりわけ、不必要なまでに対立点を強調するときには、いったん立ち止まって自分自身のあり方を考えるべきかもしれない。

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