村上春樹さんの対談本は面白い。おそらく、事前の知識面に関する準備が十全に為されていることと、それに基づいて質問が練磨されていることに因るものだろう。加えて、相手や対象に対する尊敬と興味・関心の強さもまた大きいのかもしれない。
村上 小説を書いていると、だんだん自然に耳がよくなってくるんじゃないかな。逆の言い方をすると、音楽的な耳を持ってないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。両方向から相互的に。(129頁)
頭が単純にできているもので、この箇所を読んで、良い音楽を聴こうと強く思った。音感が良いと語学の習得が早いと聞いたことがある。良いリズムを聴けることで、良いリズムでのアウトプットを文章という形式でできるようになるのではないだろうか、という仮説は、いくぶん納得的だと私には思える。
村上 小澤さんが結局、全員のぶんをカバーしていたんだ
小澤 だってアシスタントがブロードウェイでアルバイトして、穴を開けているときに、レニーが急に病気でもしたら、演奏会ができないじゃないですか。だから僕が全部の曲を覚えました。良いのか悪いのか知らないけど、僕はいつも楽屋でごろごろしていたから(144頁)
小澤征爾さんがレナード・バーンスタインのアシスタント指揮者をしていた時代の頃を語ったシーンである。良い仕事が訪れる、単純にして簡潔な回答の一つがここに書かれている。バーンスタインのアシスタント指揮者は三人いたのだが、小澤さん以外の二名はアルバイト等で時に練習に出られない時があったという。そうした時に備えて、小澤さんは他のアシスタントの担当する曲も含めて全てを覚えておき、彼(女)らのバックアップを行っていた。こうした、ほとんとが結果的に無駄になることがわかっていても準備に余念なく、かつ本気で行うことが自分自身の糧となり、数少ないチャンスを逃さず結実させることなのだろう。
小澤 僕が言いたいのは、マーラーの音楽って一見して難しく見えるんだけど、また実際に難しいんだけど、中をしっかり読み込んでいくと、いったん気持ちが入りさえすれば、そんなにこんがらがった、わけのわからない音楽じゃないんだということです。ただそれがいくつも重なってきていて、いろんな要素が同時に出てきたりするもんだから、結果的に複雑に聞こえちゃうんです(211頁)
一歩引いて解釈すれば、複雑なものをどのように読み解くか、という抽象的な事象に対するヒントに満ちた至言である。もちろん、複雑ではあっても合理的であったりストーリーがあるという前提条件はつくが、複雑な要素を一つひとつ丹念に見ていくこと。そうした一つひとつの積み重ねを理解することができて、解釈することができるようになる。
小澤 ある部分を演奏する人はもっぱらその部分だけを、一生懸命やればいいわけです。別の部分を演奏する人は、そっちとは関係なく自分のところだけをまた一生懸命やる。そしてそれを同時にあわせると、結果としてああいう音が出てくる。(212頁)
そうした一つひとつを解釈することを楽器の演奏に置き換えれば、自分自身の担当領域を懸命に練習してパフォーマンスできるようにすることである。とにかく、マーラーを聴きたくなった。
【第165回】『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)
【第295回】『ノルウェイの森(上)』(村上春樹、講談社、2004年)
【第296回】『ノルウェイの森(下)』(村上春樹、講談社、2004年)
【第295回】『ノルウェイの森(上)』(村上春樹、講談社、2004年)
【第296回】『ノルウェイの森(下)』(村上春樹、講談社、2004年)
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