2016年4月30日土曜日

【第569回】『新編 教えるということ【2回目】』(大村はま、筑摩書房、1996年)

 教育を職業としている身として、教育対象が子供とおとなという違いがあれども、学ぶところは多い。もっと違う言い方をすれば、教育対象が異なるが故に学べる部分があるのかもしれない。

 もう四十幾年も教員をやっていれば、かっこうよくやりたければ、何でもやれます。およそ困ることはないといえばいえるでしょう。どんな古い方法でも、今までやった方法ででもよかったら、すぐにでもやれます。
 けれども、それでは老いてしまうと思います。それは精神が老いてしまうことです。未来に対して建設できないなら、私は、さっさとやめた方がよいと思っています。(30頁)

 教える主体であるためには、教えられる客体への共感と理解が求められる。したがって、何かを教えるプロフェッショナルであれば、与えられたものだけではなく、自身で決めた課題を主体的に学ぶことが必要だろう。


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