2016年4月10日日曜日

【第564回】『人類哲学序説』(梅原猛、岩波書店、2013年)

 骨太な哲学に関する内容であっても、新書であればカジュアルに読める。久しぶりに新書の醍醐味を味読した心地がする。本書で著者は、自身の研究の履歴を振り返りながら、西洋哲学への耽溺と、そこからの脱却について丹念に記している。彼の思想の進展や展開の様を見ることは、人間の発達について学ぶことに繋がる。とまで書くと書きすぎであろうか。

 自然を征服することは大変難しいことであったにもかかわらず、デカルト哲学のおかげで人類は自然を征服することができた、と言ってもいいでしょう。しかし、征服した今、その征服がやがて人類そのものを滅ぼす危険性を持っていることが明らかになってきたのです。(73頁)

 著者が最初にはまったデカルトの思想に対する簡潔なまとめの後に、上記の引用箇所ではその限界を指摘している。物事を分解し、最小単位に小さくしていくことで、解決可能な問題へと落とし込む。そうしたアプローチが有効な時があることは事実であろうが、そうしたアプローチが対応できる環境が減りつつあるし、デメリットも存在する。

 賢治が伝えたかったその仏教思想こそ、まさに「草木国土悉皆成仏」の思想なのです。森羅万象のすべてが、星や風、虹や石といったものも、人間のように生きていて、仏に通じている、利他の心を持っていると語っているようです。(171頁)
 天台本覚思想である「草木国土悉皆成仏」という思想は、ありのままの現実を肯定し受け容れる、という面を持っています。流転の世界があり、弱肉強食の世界がありながら、そのような世界は、素晴らしい世界であり、それをありのまま受け容れようではないかという思想があります。(190頁)

 デカルトをはじめとした西洋近代の思想を否定した上で、「草木国土悉皆成仏」という概念へと著者は至る。起こっていることをただありのままに受け容れ、利他の心で他者に大事に接していきたいと思った。


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