同じ東山魁夷の作品でも、日本での作品とも、ヨーロッパでの作品とも異なる感じがするのだから、不思議なものである。タイトルにたぶんに影響を受けている可能性は高いが、中国の屹立とした自然の強さを感じさせる作品が多い。
この幻想的な風景。勝手なイメージだが中国の雰囲気がよく表れているように思う。
僕の中での謙虚とは、強い志を持って、高い目標に対して真剣に、客観的に自分を観察しながら取り組んでいくことだと思っています。誰かに褒められたときに『そんなことないですよ』と言うのが、謙虚だとは思わない。それはただ、自分を制限しているだけだというか、逃げ道をつくっているだけだと思うんです。そうじゃなくて、単純に目標を公言して、それに対して本気でどう取り組んでいくか。現実はそんなに甘くない。でも、その目標に対して自分自身をしっかり見つめながら成長しようとするのが、謙虚な姿勢なんだと思います(25頁)
圭佑は今、負けても泣かないですよね。子供の頃は泣くことでしか悔しさを発散できなかったけど、今は泣く代わりに、胸の中でもっと強くなるために次どうしたろう、と考えているんやと思います(57頁)
専門的スキルの限界を認識していないことが、エキスパートがしばしば自信過剰になる一因だと考えられる。(20頁)
直感が十分に規則性の備わった環境に関するものであって、判断をする人自身にその規則性を学習する機会があったのなら、連想マシンがすばやく状況を認識して正確な予想と意思決定を用意してくれるだろう。この条件が満たされているなら、あなたはその人の直感を信用してよい。(21頁)
利得 | 損失 | |
高い確率 確実性の効果 |
95%の確率で1万ドルもらえる 万一の落胆を恐れる リスク回避 不利な調停案も受け入れる |
95%の確率で1万ドル失う なんとか損を防ぎたい リスク追求 有利な調停案も却下する |
低い確率 可能性の効果 |
5%の確率で1万ドルもらえる 大きな利得を夢見る リスク追求 有利な調停案も却下する |
5%の確率で1万ドル失う 大きな損を恐れる リスク回避 不利な調停案も受け入れる |
あるタスクに習熟するにつれて、必要とするエネルギーは減っていく。脳に関する多くの研究から、何らかの行動に伴う脳の活動パターンは、スキルの向上とともに変化し、活性化される脳の領域が減っていくことがわかっている。(54頁)
バイアスを自分の力でコントロールする可能性に関して、私はおおむね悲観的なのだが、この利用可能性バイアスは例外である。というのも、バイアスを排除する機会が存在するからだ。たとえば報酬を分け合う場合などは、露骨にちがいが出るため、複数の人が「自分の貢献は適切に評価されていない」と感じると、チーム内で軋轢が起きやすい。そんなときには、各自の自己評価に従ったら貢献度の合計が一〇〇%以上になってしまうことを示すだけで、問題が解消することがよくある。あなたはもしかすると、自分に配分された報酬以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。(194~195頁)
代表性は、システム1による日常モニタリングの結果と密接に関連づけられている。最も代表的に見える結果と人物描写が結びつくと、文句なしにつじつまの合ったストーリーができ上がる。つじつまの合うストーリーの大半は、必ずしも最も起こりやすいわけではないが、もっともらしくは見える。そしてよく注意していないと、一貫性、もっともらしさ、起こりやすさ(確率)の概念は簡単に混同してしまう。(234頁)
モチベーション1・0:生存を目的とする人類最初のOS。
モチベーション2・0:アメとムチ=信賞必罰に基づく、与えられた動機づけによるOS。ルーチンワーク中心の時代には有効だったが、21世紀を迎えて機能不全に陥る。
モチベーション3・0:自分の内面から湧き出る「やる気!」に基づくOS。活気ある社会や組織をつくるための新しい「やる気!」の基本形。
<モチベーション2・0>が従順な態度を求めていたのに対し、<モチベーション3・0>は積極的関与を求める。それだけがマスタリー、すなわち物事に熟達することを可能にする。マスタリーの追求は、その重要性にもかかわらず第三の動機づけのなかではあまり目立たないことも多いのだが、経済の発展においては必要不可欠となってきている。(161頁)
韓国、金浦空港に強制着陸させられた四日間の事態は、世界の注目するところとなった。(中略)日本の警察、自衛隊、韓国空軍、米国空軍を振りきってピョンチャンに降り立った「よど号」のハイジャッカーたちはなによりも北朝鮮側にとってヒーローであり、事件は最大のプロパガンダになった。金浦空港に着陸させられたときから赤軍派学生たちのハイジャック行為は、本人たちとの意図とは別の政治的文脈のなかにおかれていたと考えられるのである。(70頁)
自ら「主体的」に答えを選択していくこの方法は、学習させられる側にも、強制されたという意識をもたらさない。そのかわり、一度自分が答えた結果の上に、次から次へと最初の答えに矛盾なく論理を重ねていかねばならない。途中で疑問を持つことは、それまでの自己を否定することになるし、そこにどのような矛盾があろうとも、それは自分が「主体的」に答えたはずのものであるからである。逃れようのない無限の循環がはじまった。自己を喪失せず、この無限循環の罠から逃れる術は、たったひとつしかない。チュチェ思想を「真理」として信じることである。(126頁)
「今さら、なにをいうのだ加藤、きみのお父さんはきみが人並みではないといっているのではない。より以上人間として進歩してくれと願っているのだ。きみは今のきみのままでいいのだ。なにもいまさら生活態度をかえることはない。加藤は加藤らしい生き方をすればいい。きみは少しは変わっているさ、きみのようにいろいろと変った考え方を持った人が集まってこそ会社は成り立っていくのだ」(207頁)
「試合の時に他の選手を見るのが好き。自分も頑張ろうと思えるから。良かった演技の人の表情を見ると、ワクワクが出てくる」(34頁)
「自分たちでメニューを考え、練習していました。私に足りなかったのは、自ら取り組む姿勢だったと気づきました」(61頁)
「ここまで話しあってるんだ、みんないっぱい意見を言いあうんだなと思いました」(同上)
燕岳は緑の這松地帯の上に白いなめらかな奇岩を擁していた。風化現象によって細く鋭く磨きあげられた白い岩群は、遠い昔からきめられた作法を維持するかのように、ひとつひとつが欠くべからざる美の要素として、どの一部を取っても、すべて絵の主題になり得るような配列をなしていた。(163頁)
なぜ、そんなふうに、巨大な石のかたまりが、そこにあるのだろうかという、自然の配剤に対する感謝をこめた疑念が青空に向って突き出ている槍ヶ岳を見たときに起った。そして、その槍こそ、日本の山を象徴する中心であるような気がした。(187頁)
冬山への挑戦という観念が大きな誤謬だった。戦いであると考えていたところに敗北の要因があった。山に対して戦いの観念を持っておしすすめた場合、結局は負ける方が人間であるように考えられた。老人のいった、えれぇこったということばは、えらいことだのなまったものだろうが、その言葉は哲学的な深みを持っているように考えられた。たしかに冬山をやることは、えらくたいへんなことであった。たいへんなことをやろうとする以上、たいへんな覚悟でかからねばならない、いそがず、あわてずに、慎重にやらねばならないということが、えれぇこったと口でいいながら歩くとえれぇことにならなくて済むのだ。それは、あの長い八ヶ岳の山麓を歩きながらためしたことであり、それがまた、冬の八ヶ岳の頂上においても通用することに加藤は刮目した。(238頁)
There will always be a gap. Our challenge is to be aware of it, understand it, manage it, and minimize any damage. (Kindle No.1138)
EA is the level to which employees’ expectations for their experience in the workplace line up with their perceived, actual experiences. Without EA, a transformational EX cannot be built. (Kindle No.1371)
Consider our easier analogy that a Contract is like an iceberg. The visible part above the water is the Brand Contract and the Transactional Contract. The mass lurking below the waterline, hidden from view, is the Psychological Contract. (Kindle No.3135)