2018年3月31日土曜日

【第823回】『中国への旅』(東山魁夷、新潮社、1984年)


 同じ東山魁夷の作品でも、日本での作品とも、ヨーロッパでの作品とも異なる感じがするのだから、不思議なものである。タイトルにたぶんに影響を受けている可能性は高いが、中国の屹立とした自然の強さを感じさせる作品が多い。

「江月明 東山魁夷」の画像検索結果

 この幻想的な風景。勝手なイメージだが中国の雰囲気がよく表れているように思う。

【第562回】『名画は語る』(千住博、キノブックス、2015年)

2018年3月26日月曜日

【第822回】Number948「僕らは本田圭佑を待っている。」(文藝春秋、2018年)


 直近の日本代表に久しぶりに呼ばれて再び注目を浴びているサッカー日本代表の本田圭佑選手を特集した本号。日本代表に初めて呼ばれた頃から、歯に衣着せぬ言動で良くも悪くも注目されてきた存在であり、今年の6月にロシアに行けるのかどうかは非常に興味深い。

 個人的には、有言実行のタイプには魅力を感じ、彼の進路に対する意思決定や大きな試合後の言動には注目してきた。そうした私のような方にとっては、「さすがはnumberだ」と納得する、一読に値する特集であろう。

 最初に彼が物議を醸したのは2009年9月のオランダ戦で、絶対的なフリーキックのキッカーであった中村俊輔選手に対して自分が蹴ると直訴したケースであろう。その試合の一週間後に、受けたインタビューで彼は謙虚という言葉に対する考え方を以下のように語っている。

 僕の中での謙虚とは、強い志を持って、高い目標に対して真剣に、客観的に自分を観察しながら取り組んでいくことだと思っています。誰かに褒められたときに『そんなことないですよ』と言うのが、謙虚だとは思わない。それはただ、自分を制限しているだけだというか、逃げ道をつくっているだけだと思うんです。そうじゃなくて、単純に目標を公言して、それに対して本気でどう取り組んでいくか。現実はそんなに甘くない。でも、その目標に対して自分自身をしっかり見つめながら成長しようとするのが、謙虚な姿勢なんだと思います(25頁)

 日本人の多くは、絶対的なFKのキッカーで年長者の存在に対してフリーキックを譲って事を荒立てないことを「謙虚」と捉えてしまう。しかし、本田選手の捉え方は全く異なるし、単に「謙虚」という言葉を否定的に捉えているのではなく、自身に対して厳しく律する考えに基づいていることに注目したい。

 次に、兄によって語られた記事もまた必読である。実の兄が語る人物像は、全てを読んでいただきたい内容であるが、肉親の語る温かくかつ熱い人柄が表れる以下の箇所が特に気になった。

 圭佑は今、負けても泣かないですよね。子供の頃は泣くことでしか悔しさを発散できなかったけど、今は泣く代わりに、胸の中でもっと強くなるために次どうしたろう、と考えているんやと思います(57頁)

【第815回】Number947「平昌五輪 17日間の神話。」(文藝春秋、2018年)
【第91回】Number807「EURO2012 FINAL」
【第417回】『察知力』(中村俊輔、幻冬舎、2008年)
【第413回】『In His Times 中田英寿という時代』(増島みどり、光文社、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

2018年3月25日日曜日

【第821回】『ファスト&スロー(下)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)


 上巻に続き、私たちの<当たり前>が揺さぶられる、刺激的で示唆に富んだ内容である。判断や評価に日常的に接する機会の多い身として、身につまされる思いがすると共に襟を正される思いもする。著者が長年の研究で明らかにしてきたエッセンシャルな内容を、私たち一般の読者がわかるように噛み砕いて説明してくれる贅沢な書籍である。

 個人的に興味深かった点を中心に内容を見てみたい。まずは、プロフェッショナルの直感について。

 専門的スキルの限界を認識していないことが、エキスパートがしばしば自信過剰になる一因だと考えられる。(20頁)
 直感が十分に規則性の備わった環境に関するものであって、判断をする人自身にその規則性を学習する機会があったのなら、連想マシンがすばやく状況を認識して正確な予想と意思決定を用意してくれるだろう。この条件が満たされているなら、あなたはその人の直感を信用してよい。(21頁)

 著者が明確に述べているのは、プロフェッショナルによる正しい直感と、そうでない直感とを峻別せよ、ということである。プロフェッショナルの卓越したスキルを重視する研究者との共同研究の結果として、直感が正しく機能する条件を明らかにした上記の引用箇所は非常に示唆的である。

 判断の根拠となる状況を認識・予想できる条件下での直感的な判断であれば正しく機能する可能性がある一方で、そうでない場合には留意が求められる。プロフェッショナルと呼ばれる人々の意見を私たちは盲信するのではなく、どのような条件で提示された意見であるかを検討することが有効なのである。

 次に興味深いのは、参照点、感応度逓減性、損失回避性という私たちの意思決定時の三つの基準に基づいていること(76頁)を明確にしたプロスペクト理論である。この理論を用いた現実的な意思決定の基準を噛み砕いて書いてくれているのがありがたいものである。以下の図13(126頁)のまとめが非常にわかりやすい。


利得 損失
高い確率
確実性の効果
95%の確率で1万ドルもらえる
万一の落胆を恐れる
リスク回避
不利な調停案も受け入れる
95%の確率で1万ドル失う
なんとか損を防ぎたい
リスク追求
有利な調停案も却下する
低い確率
可能性の効果
5%の確率で1万ドルもらえる
大きな利得を夢見る
リスク追求
有利な調停案も却下する
5%の確率で1万ドル失う
大きな損を恐れる
リスク回避
不利な調停案も受け入れる

 パフォーマンス・マネジメントにおいて目標をいかに設定し合意を得るかということは肝であるとともに難しい点である。その際に、被評価者側と評価者側がお互いにどのように目標を検討するか、ということは上記のマトリクスに現れているように思える。

【第819回】『ファスト&スロー(上)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)
【第729回】『人材開発研究大全』<第3部 管理職育成の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)
【第701回】『人事評価の総合科学【2回目】』(高橋潔、白桃書房、2010年)
【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)

2018年3月24日土曜日

【第820回】『一体感のマネジメントー人事異動のダイナミズムー』(林祥平、白桃書房、2018年)


 企業組織における異動・配置を、合理的かつ納得的に企画・運用することは難しい。対象となる社員のデモグラフィックデータを詳細に把握し、異動元および異動先の部署の人員構成や職務要件を踏まえて対象を選定する。また、実施のタイミングを最適化し、実施によって生じる「玉突き人事」も計画する。それと同時に、対象社員本人の意向や希望との整合性をインタビューや個人が提出した資料を基に擦り合せる。

 さらには、ライン部門のマネジメントの思惑と、スタッフ部門としての人事の案との間には相違があることが通常であり、ディスカッションを通じて合意を形成するためにはタフな交渉も求められる。もちろん、異動に伴う部署のマネジメントの不満や懸念に対応することも必要不可欠だ。

 このように、たしかに異動には、定性的・定量的なデータを基にしているという側面は大きい。しかしそれ以上に、多岐にわたるステイクホルダーとのタフなやり取りを考えれば、KKD(経験・勘・度胸)が最後には物を言うという側面も大きいのではないか。

 これまで、合意形成のためにKKDを用いるという建てつけで自身を納得させていたが、本書を読んで、改めて熟慮を持って異動に臨まねばならないと襟を正させられた。

 「どういった異動を経験すると従業員は能力を獲得してそれを上手く仕事で発揮するのか、そして組織の中核を担うことのできる人材に育っていくのか」(ⅱ頁)という視点で編まれた本書は、異動に携わる人事部門やラインのマネジメントにとって、参考となるものが多いだろう。

 上記の問題意識を基に著者が設定した三つの課題(3~4頁)は以下の通りである。

(1)異動経験が組織的同一化に与える影響
(2)職務経験から多重アイデンティティを形成・選択するメカニズム
(3)アイデンティティの意味形成とそのマネジメント

 定量的・定性的な分析を経て三つの課題に対する著者の結論をそれぞれ見ていく。

 (1)については、部門を超えた異動である非連続異動よりも部署間の業務上の親和性の高い連続異動の方が、組織的同一化に効果的であったとしている。つまり、短期的に自分自身のそれまでの部署での経験や知識が応用しづらい異動よりも、応用が効きやすい近場への異動が組織的同一化にとっては望ましいということである。異動という施策の費用対効果の観点からすれば「組織的同一化によって企業にとって様々な望ましい態度を引き出すために連続異動の方が都合が良い」(178頁)のである。

 (2)については、「組織アイデンティティの顕現を左右するのは当人の役割認識で合った」(178頁)と結論づけられている。つまり、異動に伴って変化する周囲からの役割期待と、自身の役割認識とのコンフリクトをどのように調整するか、またそうした調整を組織としてどのようにサポートするか、が鍵となるのである。

 (3)は、個人における意味形成と、本書の課題である中核認識を個人が持つように組織としてどのようにマネジメントするかという内容に分かれる。(1)の結論が短期的な社員側の意識であったのに対して、(3)の結論は個人としての長期的な意味づけであり、組織としてそれをどのようにマネジメントするかに焦点が当てられている。その上で、「中核認識は、組織アイデンティティの色々な側面を多用な職務経験から学び、比較し、その共通点を見極めるということでしか手に入れられない。すなわち、非連続異動が最も適した手段ということになる。」(180頁)と結論づけている。

 したがって、短期的な効果という観点では(1)にあるように連続異動が効果的であり、長期的な中核認識のマネジメントという観点では(3)にあるように非連続異動が効果的である、という棲みわけに私たちは留意が必要であろう。このように捉えれば、実践的含意にあるように社員全員に非連続異動が求められるのではなく、「限られた従業員(マネジメント人材)を戦略的に異動させ(非連続異動)、組織アイデンティティの中核に同一化させること」(187頁)が組織・人事マネジメント上の眼目となることは自明であろう。

【第729回】『人材開発研究大全』<第3部 管理職育成の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)
【第627回】『経営理念の浸透』(高尾義明・王英燕、有斐閣、2012年)
【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)
【第146回】『関わりあう職場のマネジメント』(鈴木竜太、有斐閣、2013年)
【第805回】『越境的学習のメカニズム』(石山恒貴、福村出版、2018年)

2018年3月21日水曜日

【第819回】『ファスト&スロー(上)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)


 本書で対比的に述べられている私たちの二つの思考は、本書の原題「Thinking, Fast and Slow」に端的に現れている。つまり、瞬間的に意思決定を下す迅速な思考と、時間をかけて考えた上で意思決定を下すゆっくりとした思考とである。

 本書では、前者がシステム1として、後者がシステム2と呼称されている。いかに私たちの日々の思考がシステム1によって為されているか、またシステム2と思っている判断がシステム1に影響を受けているかが詳らかにされ様は見事だ。

 私たちは、情報を取捨選択し、多様な選択肢を見据え、よく考えた上で意思決定を下すことが多いと思いがちだ。しかし、このようなシステム2よりもシステム1の影響が大きいという本書の指摘は新鮮であり面白い。単に興味深いだけではなく、人事に携わる身として、身につまされる箇所が随所にある。

 あるタスクに習熟するにつれて、必要とするエネルギーは減っていく。脳に関する多くの研究から、何らかの行動に伴う脳の活動パターンは、スキルの向上とともに変化し、活性化される脳の領域が減っていくことがわかっている。(54頁)

 この点は、業務への習熟とそれに伴う成長の鈍化として読み解けるだろう。当初はシステム2が作動していた業務であっても、時間の経過とともに習熟すればシステム1が作動する業務へと変容する。特定の業務に習熟すると、仕事が迅速かつ正確に進み、達成感や心地よさを感じるものだ。しかし、それが自身の成長や、可能性の開発に繋がるわけではない。いかにして、業務の効率性の追求と新しいチャレンジの付与とのバランスを取るか、が職務のアサインメントおよび個人のディベロップメント上の課題である。

 バイアスを自分の力でコントロールする可能性に関して、私はおおむね悲観的なのだが、この利用可能性バイアスは例外である。というのも、バイアスを排除する機会が存在するからだ。たとえば報酬を分け合う場合などは、露骨にちがいが出るため、複数の人が「自分の貢献は適切に評価されていない」と感じると、チーム内で軋轢が起きやすい。そんなときには、各自の自己評価に従ったら貢献度の合計が一〇〇%以上になってしまうことを示すだけで、問題が解消することがよくある。あなたはもしかすると、自分に配分された報酬以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。(194~195頁)

 マネジメント研修でぜひ伝えたい考え方である。メンバーは不満を抱くことが多いし、それはメンバーとしての自身の経験からもそう思える。自分自身の貢献を個人の視点から高く捉えるということは、相対的に他者の貢献度合いを低く見積もっているということである。となると、モティベーション理論の公平理論に照らせば、自身の貢献に対して報酬が不当に低いという不満を抱くことになるのではないか。引用箇所で述べられている通り、メンバー全員に特定のプロジェクトの貢献度合いを評価してもらい、その結果を匿名で全員にシェアして納得してもらう、ということを行うのが効果的なのでは思うが、いかがだろうか。

 代表性は、システム1による日常モニタリングの結果と密接に関連づけられている。最も代表的に見える結果と人物描写が結びつくと、文句なしにつじつまの合ったストーリーができ上がる。つじつまの合うストーリーの大半は、必ずしも最も起こりやすいわけではないが、もっともらしくは見える。そしてよく注意していないと、一貫性、もっともらしさ、起こりやすさ(確率)の概念は簡単に混同してしまう。(234頁)

 いやはや、採用、昇進・昇格、異動、といった場面で留意しなければならないポイントである。人事的な意味合いで、特定の社員を評価しなければならない情況は時にある。限られた情報の中でいかに評価内容を形成するか。非常に重たいテーマであるが、謙虚に自分の意見を創り上げる必要があるのではないか、と思った。

【第821回】『ファスト&スロー(下)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)
【第701回】『人事評価の総合科学【2回目】』(高橋潔、白桃書房、2010年)
【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)
【第729回】『人材開発研究大全』<第3部 管理職育成の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)
【第713回】『ワーク・ルールズ!(2回目)』(ラズロ・ボック、鬼澤忍・矢羽野薫訳、東洋経済新報社、2015年)

2018年3月18日日曜日

【第818回】『モチベーション3.0』(ダニエル・ピンク、大前研一訳、講談社、2010年)


 時代環境が変われば、モティベーションの源泉も変化する。著者は、その変遷を大きく三つに分類し、その源泉を情報技術におけるOSのアナロジーを用いて扉ベージで以下のように端的にまとめている。

 モチベーション1・0:生存を目的とする人類最初のOS。
 モチベーション2・0:アメとムチ=信賞必罰に基づく、与えられた動機づけによるOS。ルーチンワーク中心の時代には有効だったが、21世紀を迎えて機能不全に陥る。
 モチベーション3・0:自分の内面から湧き出る「やる気!」に基づくOS。活気ある社会や組織をつくるための新しい「やる気!」の基本形。

 内発的動機づけを研究していた身としては、著者の丹念な先行研究とその大胆かつ納得的なまとめに呻らさせられた。先行研究を編集する際には、自身の既存知識や仮説をまとめるために行うビジネス書が多いが、本書は、謙虚な先行研究を経てまとめ上げたことが窺える。だからこそ、シンプルでありながら深みのある提言となっているのであろう。

 著者は、モチベーション3・0の主要な要素として、自律性、マスタリー(熟達)、目的を提言している。ハックマン=オールダムの職務特性モデルを学んでいた身として自律性が入っていることは違和感がなく、また目的の重要性はよく言われるものであり納得できた。

 少し意外というか、新鮮な響きがあったのはマスタリー(熟達)である。チクセントミハイを用いながら説得的に述べられている。特に唸らさせられたのは以下の箇所である。

 <モチベーション2・0>が従順な態度を求めていたのに対し、<モチベーション3・0>は積極的関与を求める。それだけがマスタリー、すなわち物事に熟達することを可能にする。マスタリーの追求は、その重要性にもかかわらず第三の動機づけのなかではあまり目立たないことも多いのだが、経済の発展においては必要不可欠となってきている。(161頁)

 同一職務同一賃金という職務等級制度の流れを汲んだ考え方が日本企業においても述べられるようになってきている。しかし、ここでのマスタリーを考えれば、果たして企業が単純に同一職務同一賃金を志向して良いものなのであろうかと疑問に思えてくる。

 職務に基づいた評価制度を用いながら、いかに個人のマスタリーを促し、個人にとっても組織にとっても有益な状態が生じることをサポートするか。私たちに求められている課題は大きなものである。

【第33回】DRIVE(Daniel H. Pink, Canongate Books Ltd, 2010)
【第54回】“FREE AGENT NATION”, D H. Pink, BUSINESS PLUS, 2002
【第145回】“To sell is human”, Daniel H. Pink

2018年3月17日土曜日

【第817回】『宿命』(高沢皓司、新潮社、2000年)


 よど号ハイジャック事件を経て北朝鮮への亡命を果たした赤軍派メンバー9名の謎に包まれたその後について、丹念なインタビューとそこから得られた情報に基づいた深い考察。全共闘およびその一つの極致としての赤軍派とはなんだったのか。北朝鮮という異形の国家を形成する思想とは何か。亡命者が抱く祖国に対する意識とは。

 様々なことを考えさせられる力作であり、その礎となっているのが深いインタビューである。なぜ、赤軍派のメンバーが著者のインタビューに何度も応じ、きわどい内容を含む回答をしてくれているのか不思議でしようがなかった。最後にわかったのはシンプルな理由であり、著者自身も元赤軍派のメンバーであり、とりわけよど号事件のリーダーである田宮高麿の友人だったからだそうだ。しかし、それを仮に割り引くとしても、読者を魅了するストーリーであることに変わりはない。

 韓国、金浦空港に強制着陸させられた四日間の事態は、世界の注目するところとなった。(中略)日本の警察、自衛隊、韓国空軍、米国空軍を振りきってピョンチャンに降り立った「よど号」のハイジャッカーたちはなによりも北朝鮮側にとってヒーローであり、事件は最大のプロパガンダになった。金浦空港に着陸させられたときから赤軍派学生たちのハイジャック行為は、本人たちとの意図とは別の政治的文脈のなかにおかれていたと考えられるのである。(70頁)

 北朝鮮に長く駐留させられ、よく言えば優遇されることになったよど号のハイジャックメンバー。彼らがある意味で優遇されたのは、北朝鮮にとって他国に対するプロパガンダの役割を果たしたからである、というのは納得的である。うがった見方をすれば、ハイジャッカーにとってというよりも北朝鮮にとって、よど号事件は旨味があったと言えるのではないだろうか。では、なぜハイジャッカーたちは北朝鮮にとどまり続けたのか。

 自ら「主体的」に答えを選択していくこの方法は、学習させられる側にも、強制されたという意識をもたらさない。そのかわり、一度自分が答えた結果の上に、次から次へと最初の答えに矛盾なく論理を重ねていかねばならない。途中で疑問を持つことは、それまでの自己を否定することになるし、そこにどのような矛盾があろうとも、それは自分が「主体的」に答えたはずのものであるからである。逃れようのない無限の循環がはじまった。自己を喪失せず、この無限循環の罠から逃れる術は、たったひとつしかない。チュチェ思想を「真理」として信じることである。(126頁)

 何かを主体的に学ぶということは、結果的にその何かに従属するということを意味するものである。自由意志に基づいて行動した結果として、自由意志が弱くなる。いわば洗脳状態にする安易な手段に屈せざるを得なかったのは、生命の危険に対する意識に因るものか、それともハイジャッカーが若すぎたからなのか。

【第426回】『<民主>と<愛国>』(小熊英二、新曜社、2002年)

2018年3月11日日曜日

【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)


 美しい文章で、読んでいて清々しく、また主人公が結婚し子供が生まれていく中で次第に人間味を増していくストーリーが心地よい。しかし、そうであるからこそ、その最期を描くラストシーンは、読んでいて切なくなる。分かってはいても、アンハッピー・エンドは辛い。 

「今さら、なにをいうのだ加藤、きみのお父さんはきみが人並みではないといっているのではない。より以上人間として進歩してくれと願っているのだ。きみは今のきみのままでいいのだ。なにもいまさら生活態度をかえることはない。加藤は加藤らしい生き方をすればいい。きみは少しは変わっているさ、きみのようにいろいろと変った考え方を持った人が集まってこそ会社は成り立っていくのだ」(207頁)

 父の死に目に会えず、今際の際の言葉として父が婚約者に対して「人並みの人間にしてやってください」(204頁)と懇願していた様を兄から聞いて主人公はショックを受ける。その気持ちをメンターのように関わってくれている会社の先輩に話したところ言われたのが上記の引用箇所である。

 月並みだが、人の縁の大事さを感じる。精神的に落ち込んでいる時、自分に運が回ってきていない時、何をやってもうまくいかない時。こうした逆風の中であっても、自分から離れずに、むしろ親切にしてくれる人がいることで私たちはふと少し元気になれるのではないか。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)

2018年3月10日土曜日

【第815回】Number947「平昌五輪 17日間の神話。」(文藝春秋、2018年)


 今回のオリンピックは、見ていて清々しい想いがするシーンが多かったように思える。

 羽生結弦さんの怪我を押しての連覇は見事としか言いようがないし、素人にもその演技の美しさを感じさせる滑りは芸術的であった。女子団体パシュートの文字通り一糸乱れぬスケーティングは、同走している三人だけではなくリザーブを含めた四人の見事な連携を想起させ唸らさせられた。

 そのパシュートの団体メンバーの一人である高木菜那さんのマススタートでのラスト一周での駆け引きには驚くとともに感動的であた。また、金メダル最有力という呼び声による重圧の中で、女子500メートルで五輪レコードを出して優勝してみせた小平奈緒さんの圧巻の滑りには舌を巻いた。

 かつて「日本人はメダル○○○○」と公共の電波で放送禁止用語を用いて警句を述べたアスリートがいたことを記憶している方も多いだろう。五輪に出場するアスリートの方々が周囲の期待から受ける重圧は、一般人である私たちの感覚には遠く及ばないものがある。

 彼女の発言から20年以上が経った今、ネットでの拡散やSNSでの炎上も考えれば、メダル候補のアスリートが受ける重圧はより大きくなっているのかもしれない。だからこそ、そうした中で誠実に自身と向き合うアスリートの姿に、私たちは胸を打たれるのではないだろうか。

 冒頭では金メダルを獲得されたアスリートの方々について触れたが、本誌を読んで印象深かったのは宇野昌磨さんと藤澤五月さんの言葉であった。

 五輪が始まる直前に、宇野昌磨さんが出演している番組を見て、すっかりファンになった。なんというか、独特のキャラクターが面白く、また競技への取り組みに惹きつけられるのである。戦う相手は自分自身であると言い切る彼は、他者との勝負をどのように捉えているのか。その答えが以下の引用箇所に表れているのではないか。

「試合の時に他の選手を見るのが好き。自分も頑張ろうと思えるから。良かった演技の人の表情を見ると、ワクワクが出てくる」(34頁)

 まず、自分に集中したいであろう競技の直前に、他者の滑りを見ていることに驚く。「他者が気になるから自分に集中するために他者を見ない」のではなく、「自分との勝負だから他者の演技を見ながら自分自身の滑りに良いイメージを持たせる糧にする」という論理であろうか。メンタルトレーニングの一つとしても有効に思えるし、何よりも、フィギュアスケートという競技を愛し、そこで自分自身を高めようとする気概のようなものを感じさせられる。

 次に取り上げるのは、女子カーリングのスキップである藤澤五月さんが2015年に中部電力からLS北見へ移った際の以下の言葉である。

「自分たちでメニューを考え、練習していました。私に足りなかったのは、自ら取り組む姿勢だったと気づきました」(61頁)
「ここまで話しあってるんだ、みんないっぱい意見を言いあうんだなと思いました」(同上)

 LS北見のチームは、和気藹々とした姿があまりに有名である。しかし、あのような強い信頼関係を築く上で、練習や試合における喧々諤々の議論によって成り立っているのである。

 ともすると、チームメート同士で仲良くすることが大事である、というようにLS北見のみなさんを見て私たちは安易に思ってしまいがちではないか。モノカルチャーで育った人間には、異論を言ったり、意見を戦わせるのではなく、阿吽の呼吸で穏やかにやり取りすることが心地よいものであり、自分自身も残念ながらそうである。

 しかし、本当に信頼し合い、チームとして一つの目的に向けて取り組む上では、意見を言い合い、自分たちで主体的に仮説検証を繰り返すことが大事なのではないか。とりわけ多様な人々が複雑な環境で変化に富んだチームを形成する現代の組織においてはなおさらである。

【第416回】『チーム・ブライアン』(ブライアン・オーサー、樋口豊監修、野口美恵構成・翻訳、講談社、2014年)
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

2018年3月4日日曜日

【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)


 単独登山の開拓者である主人公の人生を描いた本作。冒頭の部分から主人公の短い人生が指摘されているために悲しい結末を予期しながら読まざるを得ない。

 先にある暗い結末を思いながら読み進めることは憂鬱ではある。しかし、山に臨む主人公の清々しい気持ちや、日常における不器用ながらも誠実に物事に取り組もうとする姿勢に魅了される。

 特に、山の描写には惹きつけられる。たとえば以下の二カ所を読んでいただきたい。

 燕岳は緑の這松地帯の上に白いなめらかな奇岩を擁していた。風化現象によって細く鋭く磨きあげられた白い岩群は、遠い昔からきめられた作法を維持するかのように、ひとつひとつが欠くべからざる美の要素として、どの一部を取っても、すべて絵の主題になり得るような配列をなしていた。(163頁)

 なぜ、そんなふうに、巨大な石のかたまりが、そこにあるのだろうかという、自然の配剤に対する感謝をこめた疑念が青空に向って突き出ている槍ヶ岳を見たときに起った。そして、その槍こそ、日本の山を象徴する中心であるような気がした。(187頁)

 山を近くから眺めたり、山の頂上付近からの眺望はあまりに美しく、どのように表現して良いかわからない。しかし、上に引用した著者の文章にはうならさせられるばかりである。これほど美しく、かつ飾らない表現はなかなかお目にかかれない。

 冬山への挑戦という観念が大きな誤謬だった。戦いであると考えていたところに敗北の要因があった。山に対して戦いの観念を持っておしすすめた場合、結局は負ける方が人間であるように考えられた。老人のいった、えれぇこったということばは、えらいことだのなまったものだろうが、その言葉は哲学的な深みを持っているように考えられた。たしかに冬山をやることは、えらくたいへんなことであった。たいへんなことをやろうとする以上、たいへんな覚悟でかからねばならない、いそがず、あわてずに、慎重にやらねばならないということが、えれぇこったと口でいいながら歩くとえれぇことにならなくて済むのだ。それは、あの長い八ヶ岳の山麓を歩きながらためしたことであり、それがまた、冬の八ヶ岳の頂上においても通用することに加藤は刮目した。(238頁)

 山に対する主人公の態度が清々しい。自然と対立しようとするのではなく、また敵わない相手として観念するのでもない。尊敬の念を持ちながら、大変なことであることを自覚して一歩一歩踏み進めること。登山だけではなく、人生にも言い換えることができそうな至言ではなかろうか。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)

2018年3月3日土曜日

【第813回】Tracy Maylett, EdD, and Matthew Wride, JD, “The Employee Experience”


 人事とは、極論すれば経営者のサポート役として、企業にとって求められる人財に関する企画を立案し遂行する役割を担う存在である、と少なくとも私は考えている。間違ってはいないと思うが、本当にそれでいいのか、という思いは常にあり、最近ではそうした思いが強くなってきた。

 なぜなら、そうした立ち位置で行われる施策は、ともすると多様な人財を十把一絡げに画一化して捉え、画一的な施策になりがちだからだ。モノカルチャーにおいては機能するかもしれないが、ダイバーシティが叫ばれる現代の組織においては、機能不全に陥りかねない。

 そうした問題意識を抱いている際に、社員側の立ち位置で施策を捉え直そうとするEmployee Experience(EX)という概念を遅まきながら知る機会があった。企業ではなく、個人の側に立って人事施策を考える上で役に立つ考え方が、本書では明快な論旨で論じられている。

There will always be a gap. Our challenge is to be aware of it, understand it, manage it, and minimize any damage. (Kindle No.1138)

 まず、私たちが組織に対して抱く期待と、現実との間には必ずギャップが存在する事実を理解しなければならない。ギャップがない状態を目指すことは非現実的であり、さらに必要なことは、一人ひとりでそのギャップの内容や程度が異なることを理解することであろう。したがって、人事として対応すべきことは、どうアラインメントを取ることを目指すことになる。

EA is the level to which employees’ expectations for their experience in the workplace line up with their perceived, actual experiences. Without EA, a transformational EX cannot be built. (Kindle No.1371)

 では、アラインメントを取る上で重要な要素は何か。著者は以下の六つの柱(Kindle No.1557)を提示している。

(1) Fairness
(2) Clarity
(3) Empathy
(4) Predictability
(5) Transparency
(6) Accountability

 六つはそれぞれに納得的なものであるが、全てを網羅しようとすることは難しい。著者の現実的な提案としては、このうちの四つをケアすることが重要(Kindle No.1587)であるという。

 ではどのようにケアすることが求められるのか。アラインメントをする対象は、社員が企業組織に対して抱く期待と現実に対する認識とのギャップである。こうしたギャップを軽減するためには、ブランド契約、取引契約、心理的契約という三つの契約をいかにメンテナンスするかにある。

Consider our easier analogy that a Contract is like an iceberg. The visible part above the water is the Brand Contract and the Transactional Contract. The mass lurking below the waterline, hidden from view, is the Psychological Contract. (Kindle No.3135)

 ブランド契約および取引契約が外部から見えやすいものであるのに対して、心理的契約は見えづらい。それを水中に隠れている氷山のようなものとして喩えられているのが絶妙だ。人事として、そうした見えづらい、また常に変化し続ける一人ひとりの社員による経験をいかにデザインするか。簡潔明快な本書が投げかける問いは、重たい。

【第728回】『人材開発研究大全』<第2部 組織参入後の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)
【第151回】『自律する組織人』(鈴木竜太、生産性出版、2007年)
【第147回】『組織と個人 キャリアの発達と組織コミットメントの変化』(鈴木竜太、白桃書房、2002年)
【第257回】R. Babineaux and J. Krumboltz, “fail fast, fail often”