2018年3月17日土曜日

【第817回】『宿命』(高沢皓司、新潮社、2000年)


 よど号ハイジャック事件を経て北朝鮮への亡命を果たした赤軍派メンバー9名の謎に包まれたその後について、丹念なインタビューとそこから得られた情報に基づいた深い考察。全共闘およびその一つの極致としての赤軍派とはなんだったのか。北朝鮮という異形の国家を形成する思想とは何か。亡命者が抱く祖国に対する意識とは。

 様々なことを考えさせられる力作であり、その礎となっているのが深いインタビューである。なぜ、赤軍派のメンバーが著者のインタビューに何度も応じ、きわどい内容を含む回答をしてくれているのか不思議でしようがなかった。最後にわかったのはシンプルな理由であり、著者自身も元赤軍派のメンバーであり、とりわけよど号事件のリーダーである田宮高麿の友人だったからだそうだ。しかし、それを仮に割り引くとしても、読者を魅了するストーリーであることに変わりはない。

 韓国、金浦空港に強制着陸させられた四日間の事態は、世界の注目するところとなった。(中略)日本の警察、自衛隊、韓国空軍、米国空軍を振りきってピョンチャンに降り立った「よど号」のハイジャッカーたちはなによりも北朝鮮側にとってヒーローであり、事件は最大のプロパガンダになった。金浦空港に着陸させられたときから赤軍派学生たちのハイジャック行為は、本人たちとの意図とは別の政治的文脈のなかにおかれていたと考えられるのである。(70頁)

 北朝鮮に長く駐留させられ、よく言えば優遇されることになったよど号のハイジャックメンバー。彼らがある意味で優遇されたのは、北朝鮮にとって他国に対するプロパガンダの役割を果たしたからである、というのは納得的である。うがった見方をすれば、ハイジャッカーにとってというよりも北朝鮮にとって、よど号事件は旨味があったと言えるのではないだろうか。では、なぜハイジャッカーたちは北朝鮮にとどまり続けたのか。

 自ら「主体的」に答えを選択していくこの方法は、学習させられる側にも、強制されたという意識をもたらさない。そのかわり、一度自分が答えた結果の上に、次から次へと最初の答えに矛盾なく論理を重ねていかねばならない。途中で疑問を持つことは、それまでの自己を否定することになるし、そこにどのような矛盾があろうとも、それは自分が「主体的」に答えたはずのものであるからである。逃れようのない無限の循環がはじまった。自己を喪失せず、この無限循環の罠から逃れる術は、たったひとつしかない。チュチェ思想を「真理」として信じることである。(126頁)

 何かを主体的に学ぶということは、結果的にその何かに従属するということを意味するものである。自由意志に基づいて行動した結果として、自由意志が弱くなる。いわば洗脳状態にする安易な手段に屈せざるを得なかったのは、生命の危険に対する意識に因るものか、それともハイジャッカーが若すぎたからなのか。

【第426回】『<民主>と<愛国>』(小熊英二、新曜社、2002年)

1 件のコメント:

  1. 今日6月15日初めての御堂筋の日に。是非とも宿命を手にしたくなりました。

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