2019年5月11日土曜日

【第954回】『フロイト思想のキーワード』(小此木啓吾、講談社、2002年)


 著者が亡くなる直前まで勤務されていた大学・学部にいながら授業を取らなかったことを後悔していた。フロイトを学ぼうと思いいくつか読んでみたが、初学者にとって本書には参考になる部分が多かった。キーワードごとにまとめられていて、その一つひとつのまとまりは簡潔にして明瞭である。

 フロイトといえば精神分析をはじめた人物である。精神分析をする側に対する提言だけではなく、される側に対しても述べている。

 フロイトは、精神分析を受けるに値する患者は自権者でなければならないと主張した。親からも周囲のあらゆる人々からも自立し、治療者と二人だけの秘密を保つことができる自我の持ち主でなければならない。このような自我によってはじめて、自己の内面に目を向け、精神内界の真実に立ち向かうことができる、と。(55頁)

 精神分析を受ける側の自立性をフロイトは主張していたという。治療者が自立的であれば済むのではなく、治療者と患者との相互交渉が精神分析であるのだから、患者側にも自立性が求められるという指摘は鋭い。こうしたお互いの自立性がなければ、依存関係が生じてしまうからであろう。

 夢解釈の方法は、顕在夢を個々の要素に分析し、連想をとり、その連想を再構成することを通して、夢の潜在思考を解読するフロイト独自の手法である。しかしフロイト自身、そしてそれ以後の精神分析は、治療中に語られる夢は、患者が語る自由連想の一つの内容として位置づけ、個々の要素の連想を限りなく解読していくという手法を必ずしもとらないようになる。あくまで、夢も自由連想の内容の一つとして位置づける。
 これに対してユング派は、むしろ夢の全体的なイメージを重んじ、類型夢解釈の手法を発展させて、さらに拡充法などを用いて、童話や神話、文学作品を重ね合わせ、個々人の夢に表現される普遍的無意識のあらわれを読み取る方向に発展した。また、治療の中でも、夢分析を最も重要な治療の一つとして位置づけ、場合によっては、クライエントが語る夢の分析に終始する治療のやり方をとることもある。(149頁)

 フロイトとユングの両者における夢解釈の方法の差異である。見事に対照をなしている。フロイトが要素ごとに分析して再構成するのに対して、ユングはゲシュタルト的に全体像をそのまま読み取ろうとする。

 どちらが優れているという話ではないのだろう。それぞれの違いを意識しながら、フロイトおよびユングを学んでいきたいものである。

 フロイトは、みずから不幸、災厄を求めるかのように行動する人々に注目し、その心の層に、本人も気づいていない無意識的罪悪感に由来する自己処罰心理が潜む事実を明らかにし、この心性を道徳的マゾヒズムと呼んだ。(281~282頁)

 道徳的マゾヒズムというワードは恥ずかしながら本書を始めて知った。フロイトが約百年ほど前に提起したこの概念が、現代のSNS文化でよく見かける現象の背景にあるように思えることに驚きを禁じえない。

【第931回】『新版 精神分析入門(上)』(フロイト、安田徳太郎・安田一郎訳、角川書店、2012年)
【第932回】『新版 精神分析入門(下)』(フロイト、安田徳太郎・安田一郎訳、角川書店、2012年)

0 件のコメント:

コメントを投稿