2019年10月22日火曜日

【第997回】『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一、守屋淳訳、新潮社、2010年)


 本書が流行する意味がよく分かり、また流行していることに安心感をおぼえる一冊であった。正直、渋沢栄一の『論語と算盤』を以前読んだ時にあまり頭に入ってこなかったのでそれほど期待していなかった。ただ訳者の大胆な現代語訳は、今を生きる私たちにとって、渋沢だったらどのようなニュアンスで伝えたかという意図で書かれたものであり、すんなりと入ってきたようだ。

 渋沢はなぜ『論語と算盤』を著したのか。訳者の解説によれば「「実業」や「資本主義」には、暴走に歯止めをかける枠組みが必要だ」(9頁)として、渋沢の座右の書であった論語を解説したそうだ。日本の資本主義の父とも言われる著者が、論語をその基盤に置いているのだから、現代の資本主義社会を生きる私たちの血肉となる内容となっていることに驚きはないだろう。

 特に興味深いと感じたのは、仕事の中における趣味に関する考察の部分である。

 仕事をするさい、単に自分の役割分担を決まり切った形でこなすだけなら、それは俗にいう「お決まり通り」。ただ命令に従って処理するだけにすぎない。しかし、ここで「趣味」を持って取り組んでいったとしよう。そうすれば、自分からやる気を持って、
「この仕事は、こうしたい。ああしたい」
「こうやって見たい」
「こうなったら、これをこうすれば、こうなるだろう」
 というように、理想や思いを付け加えて実行していくに違いない。それが、初めて「趣味」を持ったということなのだ。わたしは「趣味」の意味はその辺にあるのではないかと理解している。(106頁)

 趣味一般としてはやや古風な考え方かもしれない。しかし、仕事において工夫をしてみる、意義を自分なりに考えてプラスアルファしてみる、という意味ではこれほど腑に落ちる考えはないのではないだろうか。

 同一労働同一賃金の流れの中で、日本企業も職務主義へと舵を切ろうとしている。総論としては反対はしないが、そこで失われるものは一つひとつの仕事に意味を見出そうとしたら、能力を蓄積しようという働く個人の営為になりかねない。しかし、渋沢の上記のような考え方を、私たちは持ち続けることが、日本資本主義の叡智として重要なのかもしれない。

 自分を磨くことは理屈ではなく、実際に行うべきこと。だから、どこまでも現実と密接な関係を保って進まなくてはならない。(134頁)

 個人の営為として持ち続けることは、勉強するために勉強するのではなく、実践と結びつけようとしてインプットすることである。現代の日本社会には、美辞麗句を施して見てくれをよくするだけの「学びごっこ」のいかに多いことかと、渋沢なら慨嘆するかもしれない。

【第693回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)
【第662回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)

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