盧溝橋事件の約半年後に、当時の首相であった近衛文麿が蒋介石へ「爾後、国民政府を対手とせず」という声明を出したことは中学・高校の日本史でも有名な史実である。私も記憶にはあったが、その意味するところを正しく理解していなかった。著者によれば、これは盧溝橋事件以降の日中の戦闘状況を戦争とみなしていない、ということであったようだ。つまり、国家同士の戦争ではなく、不法行為を働く匪賊を討伐するという討匪戦として認識していたのである。
戦争ではなく、相手を対等な関係性のものとはみない。これは2001年のテロ以降にアメリカが相手を対等な関係性を持つものとみなさず、当然のこととして武力行使に踏み切った考え方と同じである、とする著者の指摘は鋭い。こうした指摘から考えられるのは、歴史とはアナロジーであり、史実を丹念に調べて分析を行うことで、現在以降の見通しを立てるということが歴史学の本分なのであろう。
ではどのようにすれば歴史から学べるのか。
著者は「いかに広い範囲から、いかに真実に近い解釈で、過去の教訓を持ってこられるかが、歴史を正しい教訓として使えるかどうかの分かれ道になる」と指摘する。つまり、歴史を時間軸と空間軸の二つから幅広く理解しておくことが一つめの鍵となる。二つめとしては、それを自分自身にとって都合の良い形ではなく、できるだけ真実に近い客観的なものとして解釈するということである。むろん、歴史は語る主体によって意味合いが揺れるものであるから完全な客観性というものはないが、作為的な変更を避けるという態度は必要不可欠であろう。
では1930年代の日本はなぜ歴史から学べずに戦争へと至ったのであろうか。
著者の指摘によれば、その一つの理由として当時の日本がイギリスやアメリカ、ソ連(ロシア)といった先発的な帝国から見て後発的な帝国であったことが挙げられる。すなわち、先発的な帝国が自国の経済を発展させるという目的で植民地を拡大させていったのに対して、日本は安全保障上の考慮として植民地獲得に走ったという。つまり、当時の日本にとっては、中国や東南アジアはソ連やアメリカといった脅威からの防衛線として「守る」という意識であったのであろう。
ここで述べたいのは自衛だから正当化されるということではない。むしろ、当時の日本が自衛という名目で戦争へと突き進んだ経緯から学ぶべきことがあるということである。日本の歴史では自衛を美化する傾向が強い。古くは鎌倉時代における「蒙古襲来」を神風によって自衛したという例がある。自衛による正当化を用いて野心的なことを述べる政治家や評論家の詭弁にだまされないことが、歴史から学ぶということなのではないだろうか。
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