修士課程の学生だった頃、また大学の研究機関で研究員として働いていた頃、よく図書館の中の書架を無目的に渉猟していた。ITを駆使して先行文献をリサーチすることも大事であるが、その一方で実際に本の背表紙を見てピンと来る良い本に巡り合う機会は一度や二度ではなかった。本書は、私の興味関心や業務内容としても当然チェックしておくべき書籍であったが、なぜか検索の網の目をすり抜けていたようで、名古屋駅の丸善を渉猟していて偶然見つけたものである。やはり大学の図書館や大きな書店に足を運ぶことは、私にとって欠かせない活動なのだろう。
CCL(The Center for Creative Leadership)の存在はずいぶん前から知っていた。しかし、CCLが具体的にどういった理論をもとにリーダーシップ開発に取り組んでいるのかについては恥ずかしながら無知であった。書名にもある通り、本書はCCLの考えるリーダーシップ開発のあり方やその具体的な実践の一部をコンパクト(とはいえ400頁超の分量はある)にまとめたものである。金井先生が最後に書かれている通り、研究者や人事・人材育成を担当する方はもとより、プロジェクトマネジャーやリーダーシップを発揮したい方にとって有益な示唆に満ちている。
リーダーシップ開発というイシューを考える上で、それを単独のイシューとして捉えると機能しなくなる。すなわち、経営上のイシューの構成概念としてリーダーシップ開発の位置づけと役割を考える必要がある。企業の中長期的な成長に向けて、リーダーを継続的に能力開発する、という基本的なスタンスが企業には求められる。本書ではそうしたリーダーシップ開発のアプローチとして、成長を促すためにはアセスメント、チャレンジ、サポートという三つの要素が求められるとする。
第一のアセスメントにおいては、360度フィードバックが主流となる。上司、部下、同僚、顧客といった自身を取り巻くステイクホルダーから多様なフィードバックを得ることで、他者から見た自分と自身が認識する自分との相違を把握することが気づきを与える。それに加えて本書が付け加えているポイントは、「究極のスキル群」という自社において求められるリーダーシップのコンピテンシーセットと、自身のコンピテンシーセットとを比較することである。これによって、求められるレベルと自身の現状のレベルとを明快に把握することができ、具体的な今後の自身の成長プランを策定することができる。アセスメント結果が継続的な育成や開発の指針となるわけである。
ここで大事な点は、360度フィードバックを単発のイベントにしないということである。本書で述べられている研究成果によれば、三日間のフィードバックセッションという時間を掛けたFIP(Feedback Intensive Program)を半年に二回程度行うことが大きな効果をもたらすそうだ。
もう一つ触れておくべきポイントは「究極のスキル群」の具体的なイメージである。私たちは通常、優れたリーダーの資質として、ビジョンを描く、戦略を策定する、人を巻き込む、といった厳しく仕事を行うイメージを持つが、著者によれば必ずしもそうではない。むしろ、リーダーシップ開発のゴールは円熟したリーダーを育成することであるとしている。つまり、厳しさと思いやり、自信と謙虚といった一見すると相反する要素を併せ持ち、物事に対して柔軟に行動できる存在が理想であるとしているのである。
こうしたアセスメントの後には、具体的な業務上のチャレンジを設計することが第二の要素として必要となる。チャレンジにおいて最も大事な点は、それを集合研修やケースといった仮想の場で鍛えるのではなく、あくまで職場で行うことである。仮想の場はあくまで職場での経験を補うものにすぎない。したがって、パフォーマンス・コーチングを通じて内省を支援することがチャレンジでは必要になるだろう。
ここで、誰がコーチするかという点に注目する必要があるだろう。つまり、人間関係を通じて成長が促進されるという側面である。著者はそうした人間関係を通じた成長のポイントとして二点を取り上げている。一つめは多くの役割を提供する人間関係が大事であり、換言すれば、指導する人と指導される人といった単一の役割ではなく、多様な役割の関係性を築き続けることが必要なのである。二つめは、その人がコーチングを必要としているまさにそのタイミングで的確な役割を提供できることである。的を得た支援の内容であっても、それがあまりに遅すぎれば気づきは大幅に減衰せざるを得ないのだ。
第三のサポートという観点は、アセスメントとチャレンジをいかに持続させるかというものである。まずアセスメントの結果は、能力開発以外の目的に使用しないという点が重要である。これは人事情報をコーポレイトが集約する傾向が強い日本型企業においては困難な発想かもしれない。したがって、人事や経営サイドの欲望をいかに抑えるか、ということが鍵となるだろう。実際に、CCLは360度フィードバックを能力開発の目的でのみ利用しているという。というのも、アセスメントの結果が会社に公表されるということがわかっていると、評価者の反応が変わってしまうことが研究成果から明らかであるからだそうだ。
さらに360度フィードバックでは企画主体にこまやかな心配りが求められる。たとえば、ある評価者区分では人数が著しく少なくなってしまって評価者が推察されてしまうことが起こりえる。そうした際には基本的にはその区分におけるスコアは書かないようにするのがセオリーである。しかし、上司だけは例外であると著者は述べる。すなわち、部長以上のアセスメントを行うと上司の数は限られることが通常であるが、上司からの評価は重要な気づきを促すことが多い。そこで著者は、上司に対して回答の匿名性が守られないことを事前にはっきりと伝えるべきであるとした上で、たとえ評価者が一人であってもフィードバックすべきであるとしている。
さらには、リーダーシップ開発のプログラムの中では真摯に自分自身に向き合ってもらうことが必要である。それに伴う否定的な感情については根気よく支援する必要があるだろう。すなわち、コンテンツ自体では率直なフィードバックやチャレンジをしてもらう必要があるが、プロセスにおいては人事や人材育成担当者が継続的なケアを心がける必要がある。企画側として、大いに考えさせられる大事な視点であろう。
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