2014年2月11日火曜日

【第250回】『詩経』(白川静、中央公論社、1970年)

 古代のテクストの意義を考えるためには、そのテクストが存在する以前の時代と、それが存在しえた時代とを比較する。歴史的な書物とは、まさに歴史を画する書物であり、違う側面から捉えれば、私たちはそうした書物を通して歴史というものを考えることになるのである。

 民謡の成立は民衆の成立を前提とする。古代の氏族社会はいたって閉鎖性の強い社会であった。氏族の奉ずる神々は排他的であり、好戦的であった。血縁的な紐帯を主とするその社会は、内部の血の結合を求めてやまなかった。人びとは外に向かって解放されることがなく、族長・氏の上の強力な統率のもとに、他に対して孤立的に生きるほかなかった。結婚さえも、特定の集団がその対象として定められている。そこには民衆はまだ存在していなかったのである。(13頁)

 民謡とは、開放性をキー概念とする民衆という存在があってはじめて成り立つものであると著者はしている。固着性の強いコミュニティばかりが存在している状況においては、民謡という自由なものは存在し得なかったのである。

 歴史的な時期をもっていえば、中国における古代的な氏族の解体は西周の後期からはじまり、わが国では『万葉集』初期の時代がそれであろう。この二つの古代歌謡集にみられる本質的ともいうべき傾向のうちには、おそらくこのような古代的氏族社会の崩壊という、社会史的な事実に基づくものがあろう。かれらは、それまで祭祀共同体として絶対的なおそれをもってつかえていた神々の呪縛から解放され、いまや歴史の世界に出たのである。人びとははじめてそこに自由をえた。感情は解放され、愛とかなしみとに身をふるわせることができた。新しく見出された自然は新鮮であり、人びとの感情は鮮烈であった。それは人間が歴史の上ではじめて経験する新生の時代であったといえよう。人びとは共感を求め合いながら、そのよろこびとかなしみとを歌った。(1415頁)

 中国における詩経、日本における万葉集の以前においては、先述したような固着性の強いコミュニティによる内側のベクトルが強く、そこから出た一般的民衆とのつながりは存在でき得なかった。したがって、こうした作品が出てきたことは、民衆の誕生、私的な感情の共有、といったことの基盤が出来上がったことを意味する。こうして、民衆が自由に感情を表現し、共有する礎ができあがったことが、民謡集から明らかとなるのである。

 偕老の願いも空しく、年の盛りをすぎて棄てられた女は、寄るべもない身の行く末を歎きながら、あげまきのころから馴れそめた若い日を回想する。そして男にもそういう回想があったらと思う。しかしそれは、今となってはすべて空しいことである。 殷が滅んだのち、王室や貴族に従っていた職能的な生産者たちは、また新しい支配者に隷属するか、あるいは別に生活の道を求めて生きる外なかった。鄭・衛の地には、おそらく生産と交易に自活の道を見出したものも多かったであろうが、その中から行商人なども出てくる。氏族の閉鎖性はすでに破れ、他所者がしげしげと出入するようになった農村には、こういう悲劇も少なくはなかったであろう。(141頁)

 歴史的な事実を類推させるようなエピソードが民謡として歌われる。比喩による表現というものは、民謡の一つの特徴を為すのであろう。民謡の持つ自由な精神が時代精神を歌いあげる一方で、時代精神が民謡という手段を必要とする。


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