2015年4月12日日曜日

【第431回】『免疫の意味論』(多田富雄、青土社、1993年)

 自然科学の書籍を読むことは、必ずしも自然科学を学ぶためではない。少なくとも私にとってはそうである。自然科学を概念的に理解しようとすることは、仕事や日常といった他の要素を考える上での思考訓練になるし、興味深いアナロジーを可能とする。

 身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。(18頁)

 本書で私にとって印象的であったのは、自己とは何か、自己を決めるものは何か、という点である。ここで著者は、脳ではなく免疫系が自己を規定するとしている。

 「非自己」の認識と排除のために発達したと考えられてきた免疫が、実は「自己」の認識をもとにして成立していたのである。免疫は、「非自己」に対する反応系として捉えるよりは、「自己」の全一性を保証するために存在するという考えが出てくる。
 ここにきて、「外部世界」を視る反応系としてではなく、「自己」の「内部世界」を監視する調節系としての「免疫」が浮かび上がってくる。(47頁)

 では免疫系はどのように自己を規定するのか。ここでは、非自己を認識し、排除するための機能を有する免疫系が、そうした認識と排除によって自己を規定するというアプローチが指摘されている。つまり、外部世界を把握するためのものではなく、自己という内部世界を調節するためのものとしての免疫系が指摘されているのである。

 たとえば、ジグソーパズルの箱の中には、お互いに相補的なすべての断片が入っている。つまり、一揃いなのである。しかしそれらの断片のエッジは、ひとつひとつ違っており、他のジグソーパズルの断片が紛れ込んだとしても部分的にはそれとつながることができるはずである。それは明らかに異物であるが、他のセットの中に入り込んでもつながることはできる。ただし、これによって図形は変ってしまうが。こうして、自己完結的ジグソーパズルは、外部の異物に対しても開かれていることになる(中略)。「閉鎖性」によって成立する「開放性」である。(64頁)

 簡潔にして明瞭な例示である。内部の構成物の多様性と、そうした一つひとつの多様性から一つの統一された像が成り立つ。加えて、一つひとつのパーツは交換可能であり、そうした交換可能性が開放性に繋がる。

 免疫系というのはこのようにして、単一の細胞が分化する際、場に応じて多様化し、まずひとつの流動的なシステムを構成することから始まる。それから更に起こる多様化と機能獲得の際の決定因子は、まさしく「自己」という場への適応である。「自己」に適応し、「自己」に言及しながら、新たな「自己」というシステムを作り出す。この「自己」は、成立の過程で次々に変容する。(中略)こうした「自己」の変容に言及しながら、このシステムは終生自己組織化を続ける。それが免疫系成立の原則である。(104頁)

 著者が超システム(105頁)と名づける自己言及し続けることで免疫系が成り立つというのは、分かるようで分からない。しかし、そこに自己の可塑性とともに統合性とを見出すこともできるように思える。


0 件のコメント:

コメントを投稿