2016年2月27日土曜日

【第550回】『角川インターネット講座3 デジタル時代の知識創造』(長尾真、角川学芸出版、2014年)

 インターネットというインフラができあがったことによって、知がどのように流通して創造されるのか。知の集積体として書籍が、本書では取り挙げられている。

 電子化された本は、拡張を目指した輝かしい挑戦の一方で、拡張を求めたがための限界をまざまざと見る結果に終わった。すべてはテクノロジーに依存することからくるものであり、新しさを追い求めることの結果だった。新しいことに何の価値もなかったのだ。より深く、より遠く心を通じあう手段を求めただけだったのに、それを実現する方法は開発途上のコンピューターや周辺の機器に頼るほかなかった。これらを繋ぎあわせ、都合のいい結果を追い求めたその果てに、一切を失う「無」が待っていた。あのシンプルな紙の本がもつ堅固な安定性、物静かな永続性の足下にも及ばなかった。本とは…ほんとうにただものではなかった。
 電子化された本への挑戦よりも、本の電子化が急激に進んでいった。(Kindle No. 10620)

 インフラが整えば必要な情報が流通するというわけではなく、情報の受け手としてのデバイスが必要であることがよくわかる。デバイスが整うことで、情報の受発信のあり方、情報の内容や形式といったものが形成されるのであろう。

 紙であれ電子であれ、パッケージされた入れ物にとどまる世界から、入れ物から出て、外形や実体をなくして存在する情報は、ウェブという網の中に生きていくことになる。入れ物を出て流浪する文字の行方に視点を移していかねばならない。デジタルは情報がリンクしあい、そこに新たな文脈を形成する。この基盤を堅持し育むことが否応無しにやってくる。(Kindle No. 10733)

 インフラとデバイスという制約要因はあれども、デジタル化の動きにより、私たちが利用できる知の形態は進化する。知の形態の進化とともに、私たち自身もアジャストすることが求められることも忘れてはならない。

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