小気味が良く機知に富んだ軽快なタッチでありながら、著者の主張する内容は難解である。読み心地を楽しみながら、わからない部分はあれこれ悩まずにさっと読み、あとから再読するということがいいのではないか。私にとって、三度目となる読書でも、わからない部分は多くあるが、以前とはまた違う読書体験であった。
思い出とは何か。誰も自分が思い出したいことだけを思い出します。その意味で、過去そのもの、客観的な過去なんていうものはないわけです。(中略)しかし、思い出したいことも思い出したくないことも、すべて「現在」として、意識には現存しています。「現在」として、この意識に現存しているわけです。思い出そうが思い出すまいが、それがすなわち自分の人生、全人生ということなのだから、その意味ではそれを客観と言ってもいいでしょう。ここで初めて客観という言葉を使っていいと思います。
自分の人生というのは、主観としての客観、そういう不思議な存在です。人生というのは、存在として、そういう不思議な構造になっています。そういう自分の人生を解釈により再構成し、意味づけし、物語化したものが、いわゆる自分史というものでしょう。(79頁)
自分を振り返るということは、自身のキャリアを考える上で重要な一つの要素である。どれだけ事実に基づいて振り返ろうとしても、そこには主観的な取捨選択が為されて物語として思い返すことになる。意識的に忘れるということもあるだろうし、他者に見せないものであっても第三者に被したくてアウトプットしないということもある。しかし、そうした主観的な意思決定が含まれていながらも、そうした存在自体が現在の時制において生じるという事実からすると、主観的意識も含めて客観的な認識であるというアクロバティックな主張が興味深い。ここに、主観と客観という、常識的には相反する概念の相互依存関係が指摘されている。
このような緩やかな筆致のなかで、緊張感やハッとさせられるものを楽しみたい方には、ぜひ一読を推薦したい書である。
0 件のコメント:
コメントを投稿