2016年6月19日日曜日

【第589回】『西田幾多郎ー生きることと哲学』(藤田正勝、岩波書店、2007年)

 本書は西田幾多郎の著作を理解するための入門書である。入門書を以ってしても西田の哲学を理解することは難しいが、アプローチするためのヒントは本書にたしかにあるようだ。

 言葉で言い表すことは、経験の具体的な内容をある断面で切り、その一断面で経験全体を代表させることに喩えられる。その一断面から経験の全体を眺めたとき、両者のあいだに大きな隔たりがあることはすぐに気づかれる。そのあいだに無限な距離があると言ってもよいであろう。言葉には必ず事柄の抽象化が伴っている。(56頁)

 学問の本質の一つは抽象化にある。ある現象を言葉で表すためには、捨象と抽象とがセットで求められる。削ぎ落とされることによって、現象そのものと言葉で形容されたものとにはギャップが生じることは致し方ない。こうした哲学という学問の限界を踏まえた上で、私たちが取るべき態度を以下のように西田は示唆する。

 事柄は外からではなく、事柄自身になってはじめて把握されるという考えは、初期の思想だけではなく、西田の思想全体を貫くものであった。後期の著作のなかでくり返して用いられる「物となって見、物となって考える」という表現がそのことをよく示している。(60頁)

 ある事柄自体を言語化によって客観的に把握しきれないのであれば、その事柄自体になって主観的に把握しようとする態度を併せ持つことだ。こうして西田は、客観と主観とをないまぜにした態度、つまりは学問的(客観的)態度と実践的(主観的)態度との両立を大事にしているのではないだろうか。主観と客観とが統合されるものとして、西田は「無の場所」という概念を提示する。

 「無の場所」は単に無であるのではなく、自己のなかに自己を投影するのである。しかもそれが投影される場所は、それ自身である。そのことを西田は、「自己の内容を映す鏡は亦自己自身でなければならぬ、物の上に自己の影を映すのではない」というように言い表している。
 ここでは「場所」が一つの鏡に喩えられている。通常は、自分の姿を映す者と鏡とは別のものである。しかしここでは、自己を映すものと映される場所とが一つである。全体が一つの鏡なのである。「無」である鏡がそれ自身のなかに形あるものとして自己を投影していくこと、そのことが『働くものから見るものへ』においては「自覚」と考えられている。
 そしてこの「自覚」を通して投影された形あるものが「判断」であり、「知」なのである。(96~97頁)

 自己のなかに自己を映す鏡があるという考え方によって、主体と客体という概念把握から離脱する。外の視点と内の視点とで交互に眺めることによって、主観か客観かではなく、どちらにも偏らず節度を保って判断することが可能になる、ということを提示しているのではないだろうか。その人生の末期に太平洋戦争を経験した西田にとって、こうした内と外の視点を持つということは重要だったようだ。

 西田が困難な時代のなかで、いま述べたような答を示しえたのは、彼が「外」からの眼をもった人であったということに深く関わっているように思われる。東洋と西洋の「はざま」という緊張をはらんだ場に立つことによって、西田は一方では、排他的な民族主義と帝国主義に対する批判の眼をもつことができたし、他方では「新しい世界文化の創造」について語ることができた。「内」を「外」に、「外」を「内」に映すことによって、新しい眺望を開いていったのである。(190~191頁)

 このような複眼的な思索を重視した西田であるから、京都学派と呼ばれる西田とその弟子たちによる学派は、西田の思想を絶対的なものとして解釈し踏襲するものではなかった。

 西田の「自ら思惟する」という信条とその実践から刺激を受けた人々のなかに、主体的に思惟する力が発火し、自らの思想を紡ぎだしていったその結果が、いわゆる京都学派であると言えるのではないだろうか。それは、まさに自立した思惟の飛び火であったがゆえに、多くの弟子は西田の思想を批判することも辞さなかったのである。むしろ批判することをバネにして周りの人々が自らの思想を紡ぎはじめたときに、はじめて知が飛び火し、燈火がともされたと言ってよいであろう。(186頁)

 知という開かれた態度が西田にあったということが大事であるとともに、彼のような素晴らしい師に対しても弟子たちが批判的精神を持って臨んだということも大事だ。優れた師であればこそ、自分自身の思想を批判的に論じてくる存在と、そうした人物たちとの対話を重視するのではないだろうか。このように考えると、師と弟子との相互に知に対するオープンマインドが必要であり、弟子の側には知的な文脈での躊躇は無用でありむしろ害悪と言えるだろう。


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