2018年1月3日水曜日

【第794回】『硝子戸の中』(夏目漱石、青空文庫、1915年)

 漱石にまつわる書籍を何冊か読んでいて興味を抱いた随筆。本書が書かれたのは、『こころ』の後であり、自伝的小説と言われる『道草』の直前の時期である。日々の何気ないことを筆の赴くままに書いているように見えて、自身の生い立ちに触れたりするなど、『道草』へと至る道のりをそこに見出そうとするのは深読みのしすぎであろうか。

 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑を冒して書くのである。(Kindle No. 23)

 本書の執筆動機を記した箇所である。新聞に掲載される本作品を、忙しい中で新聞を慌ただしく読む読者に対して申し訳ないと書きながら、皮肉ではないかとも思える。多忙だと言いながら、それをむしろ肯定的に解釈しようとする現代の私たちにとってもハッとさせられる言葉ではないだろうか。

 私はその時透明な好い心持がした。(Kindle No. 328)

 久しぶりに再会した旧友の言葉への漱石の印象である。漱石の描写の美しさが凝縮された表現である。

 毎日硝子戸の中に坐っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺し始めたのである。(Kindle No. 1481)


 最終盤に書かれた、本作品を終える箇所も印象的である。文豪・漱石の凄まじさを改めてまざまざと見せつけられたような気がする。


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