2018年10月20日土曜日

【第895回】『走れメロス』(太宰治、青空文庫、1940年)


 数ある太宰作品の中でも名作の誉が高い本作。NHKEテレの「100分で名著」で取り上げられているのを見て、読み直したくなった。同番組では、小学生が夏休みの読書感想文として取り組む本の一冊として特集されたものであったが、大人が読んでも問題はないだろう。

 改めて、信頼とは何かを考えさせられる。他者を信じて頼るということは、他力に通じるものがあるのではないか。自力は、あくまで信頼を証明するための存在として描かれ、メロスにしてもセリヌンティウスにしても、お互いがお互いに委ね合うことで信頼関係が醸成されている。

 しかし、他者に委ねるということは、自身の意思を軽視するようでもあり、決してやさしいものではない。まして、他者に委ね続けるということはおそらく不可能であり、どれほど大事な他者であっても時に委ねることが揺らぐこともある。

 メロスの立場に立って考えれば、自身を信じてくれる親友の代わりに、自身が処刑されるために王様のもとに戻るという正義の行為を信じていても揺らぐことはいくつもある。

 たった一人の肉親である妹の結婚後の平和な生活を続けるために村に残ったとしても誰が非難できるだろうか。また、行く手を塞ぐ山賊との戦いと、濁流の渦巻く川を渡ることで疲れ果て、王様との約束の期限に遅れても仕方がないと言えるのではないだろうか。

 多くの人にとって正当化される誘惑や困難によって他者への委ねが一時的に途切れる瞬間があるのはしかたがないのであろう。信頼関係があるということは、一時的に途切れた状態から他者に絶対的に委ねる状態に戻せるかどうか、に表れるのではないか。

 揺らぎながらも他者に委ねる状態に戻り続けるメロスの言動にリアリティがあるからこそ、その崇高な信頼関係に感動をおぼえるのである。

【第502回】『人間失格』(太宰治、青空文庫、1948年)
【第524回】『斜陽』(太宰治、青空文庫、1950年)
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