2019年2月9日土曜日

【第928回】『ビジネスリーダーのための老子道徳経講義』(田口佳史、致知出版社、2017年)


 最近は続けて論語および論語の解説書を読んできた。すると、無性に老子が読みたくなる。不思議なもので、バランスを取りたくなるのか、視野が狭くなるような気がするのが嫌なのか。我がことながら面白い。

 全ての物(万物)は、そもそも宇宙の根源「道」に住んでいる。
 ある日その故郷を出てこの世に生まれ出る。いわば旅行に出るのだ。
 人生という旅は「道」から出てそのまゝ遠ざかる。やがて折り返し地点がくる。そこで折り返して、今度は「道」に向って進んで行く。
 やがてまた「道」に入って帰る。それをこの世では死という。
 何だ、と思った。死ぬとは故郷の母の元に帰ることなんだ。この世に未練はあるが、故郷に帰るんだから、そんなに悪い事ではない。(2頁)

 死の危険に瀕した著者が老子を読んで会得した死生観である。

 老子を読んで死について考えさせられるということはこれまでなかったので意外な感を持った。しかしそれは、私自身が死を考える状況になかったからそのように読めなかっただけなのかもしれない。

 自分に即した読み方ができるのが、老子の古典たる所以なのではないか。

 もう一つ気に入った箇所がある。聖徳第三十二「朴は小なりと雖も天下敢て臣とせず。」の解説として道について述べられた箇所である。

 しかし敢えて名付ければ、「朴」と名付ければ、「朴」と呼ぶのが良いだろう。朴とは樸、切り出したばかりで何の手も施していない状態の木材だ。これから何が生み出されるのか。計り知れない可能性に充ち溢れている。人間でいえば、そうした人は、どんなに低い身分でも、誰も自分の使用人にして好き勝手に使うことが出来ないものだ。(143頁)

 老子における道は解説がないと理解していた。しかし著者は、道を形容する言葉として朴を紹介している。可能性に満ちた言葉であり、道をイメージする上で適した言葉ではないかと思った。

【第187回】『老子』(金谷治、講談社、1997年)
【第841回】『求めない』【2回目】(加島祥造、小学館、2007年)
【第608回】『老荘思想がよくわかる本』(金谷治、講談社、2012年)

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