『組織開発の探究』を読み、フッサールとともに読み直したいと思ったのがフロイト。ただし、難解な印象が強いので入門的に読めるものはないかと探してたどり着いたのが本書である。
講義を文字にそのまま起こしているからか、しっくりと入ってこない部分もありとっつきにくい。とはいえ書かれている内容は決して難しくはないので筋は理解できる。原著はもっとわかりづらいのであろうから、翻訳者の方々の努力には頭がさがる思いだ。
間違いは、意味と意向が認められる心的行為であることを知ったばかりでなく、また間違いは二つの相異なった意向の干渉からできたものだと知ったばかりではなく、なおその他に、この二つの意向の一つが他の意向の妨害者としてあらわれるためには、その意向はある抑制をうけたに違いないということを知った。(中略)間違いは妥協の産物である。間違いは二つの意向のうちのどちらかを半分成功させ、半分失敗さすことを意味している。おびやかされた意向は全部抑制されないしーーある場合をのぞいてーー全部発現されない。(85頁)
誤った言動を取ってしまったり何かを失念してしまうことは日常的によく起こることである。その背景には私たちの潜在意識が関与しているのではないかという仮説を著者は提示している。
同意できる部分もあれば、同意しづらい部分もある。つまらない言い方をすればケースバイケースということなのかもしれないが、何か間違ったことをしてしまった時に、意識を深掘りすると何かが見えることもあるのかもしれない。このように柔軟に捉えれば面白い仮説なのではないだろうか。
間違いに関する探究から、著者は有名な夢診断へと向かう。
精神生活にはまったく気づかない、非常に長い間まったく気づかない、いやおそらく一度も意識にのぼらなかった過程、あるいは傾向があると仮定する準備ができ上がった。だから無意識ということばは、一つの新しい意味をもつことになる。「そのとき」とか「一時的」とかいうつけたしは、無意識の本質から消えてしまう。無意識ということばは、単に「そのとき潜伏していた」という意味でなしに、永久に無意識的な、という意味をもってもよいことになる。(197頁)
無意識的に何かをするという場合の無意識は刹那的な感じがする。表面に現れる無意識は一時的であるかもしれないが、その本質は半永久的に貯蔵された無意識の記憶にあるのではないかというのが著者の仮説的な提示であろう。
エディプスコンプレクスや夢判断にはまだ違和感があるが、無意識が半永久的に私たちの顕在化された言動に影響を与えるということは、面白い仮説であるように思える。
【第864回】『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健、ダイヤモンド社、2013年)
【第870回】『夜と霧(新版)』(V・E・フランクル、池田香代子訳、みすず書房、2002年)
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