上巻で展開された「間違い」および「夢診断」に続いて、下巻では「神経症」が扱われる。相変わらず一読して理解しづらい文体ではある。しかしながら、一通り読み進めることでフロイトが何を言いたかったのかに触れることができるだろう。
患者は思い出す代わりに、いわゆる「転移」によって、医者と治療に抵抗する上に役立つような態度と感情とを実生活から借りてきて、それをくり返す。患者が男性なら、彼はきまってこの材料を自分と父親との関係から借りてきて、父親の地位へ医者を置く。そして人格の独立と判断の独立とを達成しようという努力や、彼の第一の目的である父と同等になりたい、父を圧倒したいという功名心や、感謝の念という重荷を人生で二度も背負わなければならないとは不愉快だという感情から、患者は抵抗を作り上げる。(73頁)
神経症の患者が医者に対して示す抵抗について書かれているこの箇所は、飛躍を恐れずにいえば、相談する側とされる側との一般的な関係に置き換えて読んでみると面白い。相談する側は、自身が主体的に相談している場合であっても、都合が悪い状況になると相談相手に投影を行うものではないか。
相談をするという行為によって、相談する人は相談される人より一段低く自身を見るようになるとシャインは『問いかける技術』で書いていた。そのような状況に対する潜在的な違和感が、相手の言動に敏感になり、相容れないもしくは受け入れたくない状況に直面すると抵抗として現れるということなのではないか。
しかし抵抗というものを否定的に捉える必要はないとフロイトは続けて述べる。
この種の抵抗を一方的に非難してはならない。それは患者の過去の生活のいちばん重要な材料をたくさん含んでいる。そしてもし私たちがこの抵抗を正しい方向に向けるたくみな術を知っていれば、この抵抗こそ、分析のもっともすぐれた足場になることを、あとではっきり教えられるだろう。注目に値するのは、この材料は最初はつねに抵抗に役立っているし、また治療に敵対するような仮面をかぶってあらわれてくることである。(74頁)
抵抗するということは、そこに相談者が大事にしているものが潜んでいるからということであろうか。相談者からの抵抗を受けると、カウンセラーでない普通の人間である私たちは戸惑ってしまう。
しかし焦らずに、泰然とその抵抗を受け止めること。受け入れた上で対話を続けることが求められているのかもしれない。
【第870回】『夜と霧(新版)』(V・E・フランクル、池田香代子訳、みすず書房、2002年)
【第864回】『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健、ダイヤモンド社、2013年)
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