2013年8月31日土曜日

【第194回】『豊饒の海(三)暁の寺』(三島由紀夫、新潮社、1970年)

 金銭や栄達を望まず、法務にひたすら取り組んで来た本多に転機が訪れる。扱っていた裁判の案件で偶然に莫大な財産を築き上げることになるのである。この財産に関する本多の見解が以下の部分によく表れている。

 「欲するものが何一つ手に入らず、意志が悉く無効におわる例を、本多はたくさん見すぎていた。ほしがらなければ手に入るものが、欲するが為に手に入らなくなってしまうのだ。」(26頁)

 欲すれば遠ざかり、欲さざれば近づく。こうした真理に至りながら、本作の結論部分では、欲するが故に愛する存在から遠ざかる本多の姿のコントラストが痛ましい。

 「恋とはどういう人間がするべきものかということを、松枝清顕のかたわらにいて、本多はよく知ったのだった。
 それは外面の官能的な魅力と、内面の未整理と無知、認識能力の不足が相俟って、他人の上に幻をえがきだすことのできる人間の特権だった。まことに無礼な特権。本多はそういう人間の対極にいる人間であることを、若いころからよく弁えていた。」(332頁)

 違う角度から表現すれば、真理やきれいごとを理解しながらも、それを体現し続けることの難しさを三島は本多を通じて示唆しているようにも受け取れる。品行方正な人間であっても、大金を唐突に得た直後に身を持ち崩すという形式は、莫大な金銭によって外面と内面との均衡が崩れることによって生じるのだろう。本多の場合は、不均衡を是正しようとする手段として、自身がその対象外であると信じていた恋へと傾倒するのである。

 こうした真理に関する考え方は死生観にも関連することとなる。死を意識することで、新たな生へと考えが至るようになるのである。

 「死を決したころの勲は、ひそかに「別の人生」の暗示に目ざめていたのではないだろうか。一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようとすると、人はおのずから、別の生の存在の予感に到達するのではなかろうか。」(34頁)

 松枝清顕の生れ変りである飯沼勲の第二巻の最終盤で至った心境をもとにここでは例示している。現在の生命に対して、冷静にかつ愚直に取り組むが故に、現在の生命の後の生命へと意識がいく。輪廻転生をする主体の核となる考え方に三島が触れている点に着目すべきであろう。

 生と死が繰り返される輪廻転生において、現在をどのように捉えるか。仏法のテクストを本多に紐解かせながら述べさせる三島の考えを最後に引用する。

 「最高の道徳的要請によって、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿頼耶識も亦、依拠しているのであった。
 しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。」(161頁)


2013年8月25日日曜日

【第193回】『豊饒の海(二)奔馬』(三島由紀夫、新潮社、1969年)

 『豊饒の海』第一巻で、松枝清顕が死の前に本多繁邦に「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」(50頁)と転生をほのめかした通りの場所で本多は清顕の生れ変りと出会う。その生れ変りである飯沼勲は、清顕の家の書生であった飯沼茂之を父に持つ。深い因縁と転生とが織り成す複雑な関係性の中で、1930年代の独特な空気の中で新風連を昭和に再来させるという純な精神で勲は改革を夢見て実行する。本多は、清顕の死を免れなかった自責の念で、勲の死を食い止めようとするが、自死を避けられずに、転生の物語は第三巻へと繋がる。

 転生という想念を考えることは、私たちに時間軸に対する意識を持たせることになる。将来とはなにか。過去とはなにか。時間という連続体の中で、現在をどのように意味付け、日常を生きるのか。本多は、自身の多感な時期に接した清顕を折りに触れて振り返ることで、時間への意識を思い浮かべる。

 「もろもろの記憶のなかでは、時を経るにつれて、夢と現実とは等価のものになってゆく。かつてあった、ということと、かくもありえた、ということの境界は薄れてゆく。夢が現実を迅速に蝕んでゆく点では、過去はまた未来と酷似していた。
 ずっと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついているように思われるので、夢との境目は一そうおぼろげになってしまう。それほどうつろいやすい現実の記憶とは、もはや夢と次元の異なるものになったからだ。」(9~10頁)

 若い時分には将来という膨大な可能性が目の前に拡がるために、将来を起点として現在を捉える。ある一時点での将来において求められるものから逆算して現在なにを行うべきかをカスケードダウンする。将来が静的なものであればそうした態度と行動によって合理的な最適解を導き出すことができるが、現実は多様であり変化に富んでいる。このような動的なあり方を前提に捉えれば、過去における一つの行動における多面性に目が向くようになる。過去の多様性とはすなわち、過去の蓄積としての現在の自分自身の多様性を生み出す源だ。したがって、自身の多様性に目を向け、将来のあり得るべき自身へと適合させていくことだ。

 そう、これはキャリア理論である。当時の三島がこうしたキャリアへの展開を視野に入れていたとは思えないが、人生論とはすなわちキャリア論である。60年代後半という社会運動が盛んな荒れた時代において転生をテーマとしながら三島が捉える独特な時間感は、2010年代という生活不安と格差社会という時代におけるキャリア論へと繋がる。

 このように歴史から学ぶということについて、三島は、明治初期の新風連を昭和に再来させようとする勲を諭す手紙の一部に記している。

 「私は何もキリスト教思想の清新を支持して、新風連思想の古臭さと頑迷固陋を嗤おうとする者ではありません。ただ歴史を学ぶには、一時代の一部分にだけ目をとられず、その時代をその時代たらしめた多くの複雑な相矛盾した諸因子を万遍なく検討し、一部分をしてその所を得しめ、その部分に特殊性を与えた諸要素をひとつひとつ考究し、以て全体的な、均衡のとれた展望の裡に、これを置いてみることが必要だと思うのです。
 私にはそれこそ歴史を学ぶことの意義だと思われる。なぜなら、いつの時代でも、現代というものは、一個人の目に映る範囲が限られており、その全体像を把握することは甚だ困難である。それならばこそ、歴史の全体像が参考ともなり鑑ともなるのであって、現在の時々刻々の部分的世界像に生きる人間が、時を隔てた歴史によって展望が可能になった全体的世界像を援用し、そのおかげで自分の管見を匡すことができるのです。それこそ歴史に対する現代人の喜ぶべき特権なのです。
 歴史を学ぶことは、決して、過去の部分的特殊性を援用して、現在の部分的特殊性を正当化することではありません。過去の一時代の嵌め絵から、一定の形を抜き出して来て、現代の一部分の形にあてはめて、快哉を叫ぶことではありません。それは単に歴史をおもちゃにすることであり、子供の遊びであります。」(136~137頁)

 個人という視点から、社会という視点における歴史を考える上での至言であろう。第一巻の書評で論じたように、時代思潮という膨大な川の流れの一部と捉えれば、ある地域のある時代における行動は全てが同じ考えの中にあるように映る。しかし、そこから一つのピースを持ち出して、現代の近しいと思える部分に適用させようとすることは誤っているというのが本多の手紙の主張だ。なぜなら、そのピースは他の要素との兼ね合いで収まっていたものであり、他の文脈にそのまま適応させることは不可能だからである。部分への意識を高め、そこから全体を想像し、仮説を立てる。その仮説を以て、現代社会に適用してみて、改善を加える。こうした地道な当て嵌めの繰り返しこそが、歴史から学ぶということであろう。

 歴史は繰り返すと言われる。全く同じ事象が起こるということではなく、アナロジーとして言われることであるが、そこには共通するパターンがあるのだろう。共通するパターンがあるということは、その主語は私たち個人ではなく、時代というものであろう。それが本書でも貫かれる輪廻転生というテーマである。

 「仏教では、こういう輪廻の主体はみとめるが、常住不変の中心の主体というものをみとめない。我の存在を否定してしまうから、霊魂の存在をも決して認めない。ただみとめるのは、輪廻によって生々滅々して流転する現象法の核、いわば心識の中のもっとも微細なものだけである。それが輪廻の主体であり、唯識論にいう阿頼耶識である。
 この世にあるものは、生物といえども中心主体としての霊魂がなく、無生物といえども因縁によって出来たもので中心主体がないから、万有のいずれにも固有の実態がないのである。」(256~257頁)

 時代精神に徒に従属することを強調したいわけではない。そうではなく、ともすると自己意識が強い現代社会において、時代精神の存在に目を向け、微小な存在としての私という謙虚な意識を持つことの重要性について考えたいのである。謙虚に歴史に学び、謙虚に生きること。現代は、こうした考え方を強調してよい時代なのではないか。


2013年8月24日土曜日

【第192回】『豊饒の海(一)春の雪』(三島由紀夫、新潮社、1969年)

 仏教における輪廻転生の概念を感得する題材として本書を読むと良い。このように本書を推薦していたのは法社会学者の小室直樹であったと記憶している。仏教にコミットする立場にないためか、宗教学の書籍を読んでも輪廻転生という言葉の持つ意味合いがよく掴めないため、小室の言葉を思い出して本書を読み始めた。特定のテーマを念頭に置いて読書をすると、そのテーマに惹き付けてその書籍を捉えてしまう。そうすることが興味関心を狭められて煩わしくもなるが、日常的に目にすることがない読者やジャンルに目を向けて新鮮な気づきを得ることにも繋がる。私にとっては、後者の意味合いが強い読書体験となった。

 著者は、主人公の輪廻転生を繰り返す様を見続けることになる、本多の長い語りの中で、転生の考えの根幹を為す個人の意志について以下のように述べている。

 「俺はこの間うちから、個性ということを考えていたんだよ。俺は少なくとも、この時代、この社会、この学校のなかで、自分一人はちがった人間だと考えているし、又、そう考えたいんだ。」(122頁)

 このように一人ひとりが持つ意志について触れた上で、そうした個人の意志が長い時間軸の中で希釈化されることについて著者はさらに論を進める。

 「百年たったらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、眺められる他はないだろう。(中略)一つの時代の様式の中に住んでいるとき、誰もその様式をとおしてでなくては物を見ることができないんだ」(122頁)

 個人の意志とは関係なく流れる、個と隔絶した歴史という存在。歴史のなかに埋没せざるを得ない個人。こうした有限な存在としての個人と、それに対立する歴史という構図から脱却するために、著者は、シャムから来ている王子との交流から本多に輪廻について空想させる。

 「たしかに人間を個体と考えず、一つの生の流れととらえる考え方はありうる。静的な存在として考えず、流動する存在としてつかまえる考え方はありうる。そのとき王子が言ったように、一つの思想が別々の「生の流れ」の中に受けつがれるのと、一つの「生の流れ」が別々の思想の中に受けつがれるのとは、同じことになってしまう。生と思想とは同一化されてしまうからだ。そしてそのような、生と思想が同一のものであるような哲学をおしひろげれば、無数の生の流れを統括する生の大きな潮の連鎖、人が「輪廻」と呼ぶものも、一つの思想でありうるかもしれないのだ。」(283頁)

 ここでは、先述した無機物としての歴史という考え方が、個々人の生き生きとした人生の繋がりという有機物としての歴史という意味合いから輪廻という概念が説明されている。こうした個人の行為と時代精神とが統合されて、有機体としての歴史という意味合いでの輪廻転生という考え方が形成される。その最初のクライマックスとして、主人公は死を迎える。

 「『お上をお裏切り申上げたのだ。死なねばならぬ』」(436頁)

 宮家と婚約中であった幼なじみとの悲恋の結末に対する責めを主人公に背負わせて早世させたのは、著者の思想という個人の思想が為せるものなのか、1960年代という時代精神が為させたものなのか。個人と歴史という対立を止揚したところにある輪廻転生の物語のはじまりの終わりである。

2013年8月18日日曜日

【第191回】Max Isaac & Anton McBurnie, “The Third Circle”

Citing from the research by Argyris, there are, the author suggests, two learning styles for leaders. One is single-loop learning, ‘making decisions based solely on our own opinions and knowledge, without objective means of telling whether we’re ignoring important information’.

The other one is double-loop learning. Based on double-loop learning, leaders ‘don’t have all the answers’, tend to be ‘open to receiving input, particularly on how their own behavior affects the achievement or non-achievement of the desired results’, ‘encourage dialogue’, and ‘engage others in finding permanent solutions’.

There are four steps in double-loop learning. First step is Discover. At this step, we have to find out and understand the gap between to-be and as-is. Second one is Invent, in which we seek for solutions solving their own problems found out at Discover. In order to instill the solutions to business, we have to Implement them. This is the third step. Then, through reflecting these three previous steps, we can get new findings at the last step called Generalize.

In a complicated and fast moving business environment, leaders can’t always last to have right strategies. And also, we can’t be aware all of our own problems. Then, using double-loop learning, it is important for us to be open ‘ourselves to seeing ourselves as others see us’.



2013年8月17日土曜日

【第190回】『ルネサンスとは何であったのか』(塩野七生、新潮社、2008年)

 ルネサンスとは何か。著者は「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネサンスと名づけられることになる、精神運動の本質」(15頁)と端的に結論づけている。

 むろん、こうしたインプットへの欲求は、アウトプットされることを伴う。文章であれ、絵画であれ、スピーチであれ、なにかを知悉し理解するためには、自身の内面を外化することによって、本質に至れるものである。組織心理学者カール・ワイクの言ではないが、自分がなにを考えているかはアウトプットしてみないと分からないものである。

 こうしたルネサンス期の特徴を生み出した背景はいったいなにか。内的世界をアウトプットすることが、キリスト教会によって抑圧されてきたことが挙げられる。というのも、キリスト教の教義では、信じる者は救われるとして、疑うことを否定してきた。ルネサンス以前の時代において内に押し隠されてきた外的世界や内的世界への疑義や探究心がルネサンス精神として外に押し出されたのである。

 このようなインプットへの尽きない欲求が、アウトプットとして一つの芸術スタイルを確立したということがルネサンス期における精神運動の本質であった。インプットへの欲求がアウトプットを生み出すというルネサンス期の特徴が、その時代を象徴する一人であるレオナルド・ダ・ヴィンチを未完成の創作家にしたといういう。その理由を著者は二点挙げている。一つめは、自分自身が思い描く内的世界をアウトプットしきれないというギャップに苦しんだからではないかという仮説。内面を外化しきれないのであれば、途中で創作を止めるという考え方である。

 二つめは、創作途中の段階で完成像を鮮明に描けてしまうため、最後まで完遂しなかったのではないかという仮説が挙げられている。内的世界を外化するための手段としての芸術活動は、内的世界を探るためのプロセスである。自身の内面に問いかけ、それを少しずつアウトプットすることで、結果的に自身の内的世界が外にかたちとして表れる。むろん、最初にテーマや方向性は存在するだろうが、それが完全に見えるということはない。したがって、途中の段階でゴールがくっきりとイメージできてしまう場合、内的世界の外化がルネサンス期の芸術の本質であるのならば、その段階で創作を止めることは理解可能だろう。

 インプットへの探求がアウトプットの欲求を促す。とはいえ、全員が芸術活動というかたちでアウトプットするわけではない。何がレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった芸術家と普通の市井の人々とを分けたのか。著者は、謙虚と傲慢不遜という一見すると矛盾するように思える二つのスタンスを兼ね備えた点をその解として指摘している。世界を探求してそれを描き切れるという傲慢不遜な意識を持ちながら、偉大な世界を容易に描き上げられるわけがないという謙虚な姿勢を保つ。普通の人であれば精神が分裂しかねないものを、高次な次元で止揚するのが芸術家の為せるわざなのだろう。

 だからといって、後世の<普通>の私たちが、そうしたルネサンス期の芸術作品を畏怖して鑑賞する必要はないと著者は述べる。「天才とは、こちらも天才になった気にでもならないかぎり、肉迫できない存在もである」(240頁)という言葉を意識しながら、芸術鑑賞をしたいものだ。インプットを探求してアウトプットを求める姿勢は、現代にも通ずる部分が大きい。現代に生きる私たちにとって、先述した著者のメッセージは、芸術鑑賞だけに留まらず、私たちのライフやキャリア全般においても適用すべき至言と捉えるべきであろう。

2013年8月16日金曜日

【第189回】『明智左馬助の恋』(加藤廣、文藝春秋社、2010年)

 『信長の棺』『秀吉の伽』に続く本能寺の変の前後を巡る著者の歴史ミステリーは、本書で完結する。織田と羽柴という二つの視点からこれまで明らかにされた、本能寺の変にまつわる、とりわけ信長の死骸に関する著者の推理の最後のピースが、本書の明智の視点により埋まる。

 なぜ明智光秀は本能寺の変を起こすに至ったのか?信長を討つ決意へと至る過程には、信長の少ない言葉数を光秀が誤解した点が挙げられている。この光秀の動きを直接的に促したのが公家・近衛前久である。天皇からの綸旨をちらつかせることで、官軍として信長討伐を行えるという大義名分を与えたのである。

 綸旨が得られるということが、信長を亡き者にした後に京都の朝廷と連携して権力の中枢にいられるという確信を与えたのだろう。後世の私たちが、ときに歴史の授業で学ぶように、信長への否定的な感情だけに流されて決起した、ということではなかった。

 しかし、その綸旨が出ることを光秀に伝えていた近衛前久の裏には徳川家康に与する茶屋四郎次郎がいるところまでは想いが至らなかった。さらに、秀吉が自身の動きを把握していたことも分からなかった。こうした、協力相手や将来の競合相手の動きを理解しきれなかった点が、光秀を破滅に導いたのである。

 光秀の苦悩を、婿である左馬助の視点から描く本作品は、明智光秀という人物への見方を変えさせられる。加えて、歴史の事象について、一つの視点から、特に後世の「歴史」という勝者の描くストーリーだけで捉えることの危険性を明らかにしている。

 前二作を読み、ある程度、本能寺の変をめぐる著者のミステリーは分かったような気がしていた。しかし、本書はなくてはならないものだった。明智家を知らずして、本能寺の変を理解することはできない。信長を英雄視する姿勢を批判するつもりは毛頭ないが、他方の光秀がなにを考えて本能寺の変を起こしたかを思い起こすこと。相対立する存在を対置させながら考えることこそ、歴史から学ぶということなのではないか。


2013年8月13日火曜日

【第188回】『新ヒューマンキャピタル経営』(花田光世、日経BP社、2013年)

 人事は現場から「ひとごと」と揶揄されている。人事パーソンが襟を正しながら読まざるを得なくなるような書き出しから本書は始まる。その理由について、ウルリッチの人事の四機能に基づきながら、日本企業の人事機能がそれぞれを果たしきれていないという現実を見せつけられると納得だろう。

 こうした人事の機能不全の処方箋として、著者は、人材管理機能と人財価値創造機能の二つを分けて考えるべきであると主張する。そのためには、人事とは社会環境や企業経営との関連が強いため、人事の役割と機能の変化を捉まえる必要がある。その潮流を把握するために、労務・人事、人的資源、人的資産、という三つの流れそれぞれについて、管理、開発という二つの段階で掛け合わせた六つに分けて解説されている。

 第一の労務・人事管理の時代は、戦後復興期に該当する1950年代から1960年代前半である。生産体制をほぼゼロから立て直すために、直近に求められる現場スキルの獲得と発揮を各企業は主目的に置いた。その手段として米国流の生産手法を積極的に習得することを奨励したため、ジョブに対して価値を置く職務中心主義での人事運用がなされた。

 第二の人材開発の時代は、1960年代後半から1970年代前半の高度経済成長期における人事の流れである。経済成長の著しい時期には、人材の採用と定着がキーファクターとなる。そのため、長期雇用を前提とした右肩上がりの賃金体系や社員の家族を含めた福利厚生のアレンジとともに、職務遂行能力の長期的な向上を目指す職能中心主義が人事上のパラダイムとなった。

 第三の人的資源管理では、人材開発の時代における正社員をあまねく底上げするスタイルから選別されたハイポテンシャル人材の集中活用へとシフトした。これは、1970年代半ばから1980年代半ばという第一次オイルショック後の景気変動へ対応するために各企業の行う戦略変更を担える人材を選抜・処遇するためのパラダイム転換であった。

 第四の人的資源開発では、安定的な企業成長を目指すために、人的資源管理において選抜・処遇された特定のハイポテンシャル人材をリテインしながら開発することに重点が置かれた。1980年代半ばから1990年頃といういわゆるバブル景気に湧く市場環境において、職務遂行能力を精緻化するという文脈化でコンピタンシーが活用され始めた。

 第五の人的資産管理の時代は、従来における組織を基軸に置いた視点から個を基軸に置いた視点への変容が特徴である。正社員個人を資産として見做し、人的資産を管理する期間、すなわち「一人前」になることを要求されるスパンが短縮された。そのために、教育・研修といった個人の資産管理への投資はコストパフォーマンスという視点を伴うこととなった。成果主義が短期的な結果主義となったのは、こうした人事上のパラダイムの結果であり、その背景としての長引く不況の結果であると言える。

 人的資産管理はバブル崩壊後から続き、2000年代半ばに第六の人的資産開発というフェーズへと移行する動きが見えかけたが、リーマンショックへの対応によって阻まれた。しかし、昨年あたりから人的資産開発への移行がようやく見られつつあると著者は指摘する。その特徴、すなわち今後の人事において予想されるパラダイムについて見ていこう。

 人的資源開発における最大の特徴は、企業が人を育てるという発想から抜け出し、人が育つという発想を持つことにあるという。人的資源管理の時代では、「ジョブの特定➡ジョブレベルの基準化➡個人のスキルレベルの把握➡ジョブマッチング➡タレントマネジメント➡スキルマッピングというプロセスで、従業員のポスト管理や能力開発」(70頁)を行うことで企業が人材を育ててきた。しかし、環境変化が激しく、企業がそれに対応してビジネス戦略を変更させる質と量が増大した現代においては、そうした人事のスタティックな対応は機能しなくなった。これは、現場での特定の職務遂行能力を高めるという意味でのOJTの機能不全と同根である。

 では人が育つ企業となるために、人事上の施策はどのようにあるべきか。著者は、短期的な対応と中長期的な対応とに分類して解説を試みている。

 まず短期的な対応について。ここでの短期的とは日常業務における人材の開発を意味する。従来の企業主導のOJTに対して、個の主体的な開発を支援するOJD(On the Job Development)を著者は主張する。OJDでは、「個の主体性をベース」にしながら、各個人が持つ「必ずしも当該業務に直接関連しない能力」をも含めた「多様な能力」や「可能性を発揮して、業務に工夫や改善をもたらす一連の活動」を支援することが求められる(78-79頁)。日常業務における自発的な一歩の踏み出しの連続によって、結果的に人が育つというしくみである。

 こうした個のジョブストレッチングを促すためには、同僚や上司とのこまかな情報共有や周囲からのコーチングや支援の引き出しが必要である。それとともに個人のキャリア自律が前提となる。これが中長期的な人事上の対応であり、キャリア目標を単年度および日常業務へと落とし込むかたちでOJDへと連動させるのである。しかし、同時に大事な点として、こうした演繹的なアプローチを静的にマッチングさせるのではなく、動的にアラインメントさせる視点を持つことである。すなわち、キャリアゴールを墨守するのではなく、状況変化に対して、価値観をもとにしながら柔軟に対応することである。「外的・内的の区別にとらわれず、キャリア全体を通じての成長機会や成長実感、多様なチャンスの拡大を目指したダイナミックプロセスこそが重要」(91頁)という著者の指摘に耳を傾けるべきであろう。

 本書では、上記のような著者のポイント整理を受けて、各企業での取り組み事例が紹介されている。自社のビジネス戦略や人事対応という文脈に引き合わせて、著者のポイントとともに読み比べると、事例を活用する縁となるだろう。


2013年8月11日日曜日

【第187回】『老子』(金谷治、講談社、1997年)

 孔孟に対する老荘。儒教という高度に倫理を重んじる孔孟と比べて、道を重んじ自然と調和する老荘は人間的なにおいのする思想である。では、老子の考えの根幹を為すと言われる「道」とはなにか。

 これこそが理想的な「道」だといって人に示すことのできるような「道」は、一定不変の真実の「道」ではない。これこそが確かな「名」だといって言いあらわすことのできるような「名」は、一定不変の真実の「名」ではない。 「名」としてあらわせないところに真実の「名」はひそみ、そこに真実の「道」があって、それこそが、天と地との生まれ出てくる唯一の始源である。(1 道の道とすべきは)

 道という言葉を私たちが聞くと、あるべき目的地があり、そこへと至る最適解としてのプロセスということを想起し易い。しかし老子によれば、道は変化するものであり、目に見えて同定できるものではない。ではどのように道を見出すのか。

 やってくるのを前から迎えてみてもその先頭はみえず、さきへ行くのをあとからついていっても、その後ろ姿はみえない。古いむかしの本来の「道」の立場をしっかりと守って、それによって現在の目の前のものごとをとりしきっていけば、古いそもそもの始原を知ることができる。それを「道の中心」とよぶのだ。(14 これを視れども見えず)

 道とはなにかと観念的に夢想するのではなく、道を意識しながら日々の実践の中でベストを尽くすことを老子は重視している。唯一の始原を目指しながら行動することで変化が生まれる。その変化をたのしむこと。そのためには、世界を成り立たせる多様な要素の相互関係に意識を向けることが重要である。

 世間のものごとはすべて相対的で依存しあった関係にあるのだ。(2 天下みな美の美たるを知るも)

 老子は相互依存関係に着目することを示唆する。美しくないものがあるから美しいものを見出せるのであって、究極の美というようなイデアが他と隔絶して屹立するわけではないのである。こうした考え方を基にしながら、自身への向き合い方、それに基づいた日々の行動、他者への対応という三点についてヒントを述べている。

 第一に、自身への向き合い方について見ていこう。

 この「道」をわがものとして守っているひとは、何ごとについてもいっぱいまで満ちることは望まない。そもそもいっぱいにまでなろうとしないからこそ、だめになってもまた新たになることができるのだ。(15 古えの善く道を為す者)

 過剰に欲求を満たそうとすることを戒めるのではなく、ものを持ちすぎると自身を変化できなくなることが重要なポイントだ。私たちの日常の中でもサンクコストが発生することは多い。時間やお金を投資すればするほど、そこに価値を内在的に見出してしまう。そうすると本来は変化したいのにも関わらず、新しいことへのチャレンジが遅れる。そうするとちょっとした躓きが挫折になってしまうほど、失敗に伴うリスクの質と量が深刻になってしまう。そうならないためには、「いっぱいまで満ちることは望まない」という節度を持つことが重要であろう。

 他人のことがよくわかるのは知恵のはたらきであるが、自分で自分のことがよくわかるのは、さらにすぐれた明智である。(33 人を知る者は智)

 そのためには自分自身を知ることである。他者を理解したり、その場の雰囲気を理解することももちろん重要であろうが、まずは自分自身を知ること。自分自身を理解することで、いたずらに他者から何かを得ようとするのではなく、自分自身の持つ多様な可能性に目を向けることができるようになる。

 自分でよくわかっていても、まだじゅうぶんにはわかっていないと考えているのが、最もよいことである。わかっていないくせに、よくわかっていると考えているのが、人としての短所である(そもそも自分の短所を短所として自覚するからこそ、短所もなくなるのだ)。聖人に短所がないのは、かれがその短所を短所として自覚しているからで、だからこそ短所がないのだ。(71 知りて知らずとするは)

 その上で、逆説的な言い回しをしながら、わかるということへの節度を老子は強調している。安易にわかったと思わないこと。最後の一文は論理矛盾とも言えるが、短所を自覚していればその短所を補えるから「短所がない」とも言える状況を生み出せるのである。

 第二に、行動について見ていく。

 つまさきで背のびをして立つものは、長くは立てない、大股で足をひろげて歩くものは、遠くまでは行けない。自分で自分の才能を見せびらかそうとするものは、かえってその才能が認められず、自分で自分の行動を正しいとするものは、かえってその正しさがあらわれない。自分のしたことを鼻にかけて自慢するものは、何ごとも成功せず、自分の才能を誇って尊大にかまえるものは、長つづきはしない。(22 企つ者は立たず)

 まず、自分自身を虚飾して他者に示すことのリスクが提示されている。ソーシャル・メディアが盛んな現代社会に対する警鐘と捉えられることもできるだろう。自分という人間をソーシャルな世界に公開することの必要性は疑うべくもないだろうが、自慢や尊大な姿勢に基づく公開では逆効果だ。

 自分で自分を見せびらかそうとしたりはしない、だからかえってその才能がはっきりする。自分で自分を正しいとしたりはしない、だからかえってその正しさがあらわれる。自分のしたことを鼻にかけて自慢したりはしない、だから成功が得られる。自分の才能を誇って尊大にかまえたりはしない、だからいつまでも長つづきができる。
 そもそも自分を立てて人と争うということをしない。だから、世界じゅうにかれと争うことのできるものはいないのだ。古人のいわゆる「曲がりくねった役たたずでおれば、身を全うできる」というのは、いかにもでたらめではない。まことに、それでこそ身を全うして完全なままで、生まれでてきた本源にその身を返せるのだ。(23 曲なれば則ち全し)

 自分自身を徒にアピールしようとしなければ、他者と争うということがなくなる。さらには、アピールしようとしないからこそ、その自身の持つ才能が他者から見えるようになり、成功が長続きするとまでしている。

 りっぱな武士というものはたけだけしくはない。すぐれた戦士は怒りをみせない。うまく敵に勝つものは敵と争わない。じょうずに人を使うものは人にへりくだっている。こういうのを「争わない徳」といい、こういうのを「人の力を利用する」といい、こういうのを「天とならぶ」ともいって、古くからの法則である。(68 善く士たる者は)

 さらには、争いを避けるというメリットについて、武士や戦士という争いを職業としているように一見見える存在を例示しながら述べている。江戸時代前期の剣豪・宮本武蔵の書物とも通ずる、他力や自然の重要性が示唆されている箇所である。

 ほんとうにわかっている人は、しゃべらない。よくしゃべる人は、わかってはいない。(56 知る者は言わず)

 あらそいとは腕や足で行うだけではなく、口によっても起こるものだ。口はわざわいのもととも言うが、しゃべりすぎることを戒める一文である。何かについて饒舌な時ほど、その事象について分かっていなかったり、自身にとって都合の悪い何かがあることは私たちの多くが経験しているのではないだろうか。

 第三に他者への対応について。他者と接する上でのポイント、およびその際の留意点についても、老子は示唆に富んでいる。

 善い人は善くない人にとっての学ぶべき師となり、善くない人は善い人にとっての反省の助けとなる。ところが、その師たるものを尊敬せず、その助けとなるものを大切にしないのでは、どんなに知恵があってもひどく迷うことになる。こういうのを奥深い真理というのだ。(27 善く行くものは轍迹なし) 

 反面教師はよく膾炙している言葉であろうが、そうした存在をも師として大切に扱うということはなかなかできることではない。しかし、どんな存在でも教師や反面教師として自身の糧にさせてもらえるのであれば、大事にすることは当たり前なのだろう。

 聖人はものを蓄めこんだりはしない。何もかもすべて他人のためにしながら、かえって自分がますます持つことになり、何もかもすべて他人に与えながら、かえって自分はますます豊かになる。(81 信言は美ならず)

 そうして糧を得ながら、得られた糧を社会に対して還元していくこと。アピールではなくて、シェアである。シェアすることが、エコロジーな社会を創り上げる一つの大きなステップとなる。

 こうした日々の実践を通じながら、最高の善について老子はアナロジーとして水を用いながら解説する。

 最高のまことの善とは、たとえば水のはたらきのようなものである。水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。そこで、「道」のはたらきにも近いのだ。(中略)そもそも、競い争うことをしないからこそ、まちがいもないのだ。(8 上善は水の若し)

 孔孟を重視するまじめな優等生と、老荘を重視する自然児的なリーダー。外形的に二つが存在すると考えるのではなく、自分の内なる多様性の中で、そうした二つの理念型を持とうと努めることが生きるヒントなのではないか。

2013年8月10日土曜日

【第186回】『キュレーションの時代』(佐々木俊尚、筑摩書房、2011年)

 マスメディアが情報を一元的・一方向的に発信し、私たちはそれを受信するという従来のマスコミュニケーションのあり方は現代では通用しなくなっている。著者の言葉を使えば、情報のビオトープ化が起きているのである。ビオトープとは「情報を求める人が存在している場所」(42頁)であり、情報の有り様が多様化し、偏在化しているのが現代の情報社会の特徴である。

 このようなビオトープ化した社会に適応している好事例としてfoursquareに焦点が当てられ、その特徴として三つの点が挙げられている。
 
 第一の点は「みずからはモジュールに徹し、巨大プラットフォームに依拠したこと」(140頁)である。これが機能するのは、優良なコンテンツがインターネットの世界に存在し、かつ接近可能性が高いというアンビエント化に拠るところが大きい。アンビエントとは「私たちが触れる動画や音楽、書籍などのコンテンツがすべてオープンに流動化し、いつでもどこでも手に入るようなかたちであたり一面に漂っている状態」(84頁)である。YouTubeやブログから有益なコンテンツが存在すること、アクセス網が整っているという技術面でのパスが用意されていること、という二点からアンビエントが実現しているのである。

 アンビエントな状態だけでは、一部の人は自身に合ったコンテンツにアクセスできるが、マジョリティはメリットをあまり享受できないということが起こる。インターネット勃興期の状態である。foursquareは、第二の工夫として「「場所」と「情報」の交差点をうまく設計したこと」(140頁)が挙げられている。ある場所において、情報が付加される行為が複数間で蓄積されることで、共感や共鳴が存在する持続的な関係性が築かれる。これはカネとモノの交換という旧来的な物質的で刹那的な関係性からの変容を表す。

 こうした情報の継続的な付加を主体的に行うこと、すなわち「その交差点にユーザーが接続するために、「チェックイン」という新たな手法を持ち込んだこと」(140頁)が第三のポイントである。主体的に場所に関わり、主体と客体が流動的に変化すること。これは茶道における一座建立という主客一体の理想と同じであるという著者の指摘は含蓄に富んでいる。さらには、自身の位置情報というともすればプライバシーとして秘したくなる情報を自ら開示するしくみによってプライバシーの問題を匠に回避している。その上で、自身の立ち位置や情報の獲得方法をユーザー側が選択するという観点では、Facebookの「いいね!」と同じような気軽さがある。

 こうしたfoursquareの三つの特徴を踏まえれば、現代における情報社会の一つのヒントとして「他者の視座へのチェックイン」(198頁)という発想が浮かんでくる。特定の新しい情報や概念といった無機物を見ても、自分の視座からではその斬新さを感受できないことが多い。しかし、他者の視座から世界を眺めると、その対象が日常的なものであっても想いもよらぬ気づきを得ることができることはイメージし易いだろう。師匠の言動を見るのではなく、師匠が見ている対象を見る、という伝統的な徒弟制度で言われることが現代の情報社会に活きているようで興味深い。

 このように考えれば、信頼するべきものは情報の信憑性ではなく、情報の発信者自体である。したがって、従来のメディアにおける情報への信頼から、ソーシャルメディアでは人への信頼へとパラダイムが転換していることに留意する必要があるだろう。こうした「視座を提供する人」(210頁)がキュレーターである。キュレーターは、情報が氾濫して、好もうと好まざるとアンビエントに取り囲まれる現代社会において重要性が増してきている存在である。「キュレーターの付与するコンテキストによって視座は常に組み変わる」(251頁)ものであり、「「同心円」的な関係性から、「多心円」的な関係性へ」(256頁)と関係性の変容が生じる。

 他者との関係性に加えて、自身の内側との関係性の多様性にも着目して考えてみたい。すなわち、膨大な数の分野を内包する存在としての個人、それぞれの分野において他者との関係性である。このような視点に立てば、自身のキャリアをキュレーションするという発想が現代では重要なのかもしれない。つまり、多様な関係性、多様な有り様、多様な経験をもとに自分自身のキャリアをどのように括るかということを内省すること。それとともに、内省して括ったものを、いかにソーシャルメディア上に提示し、それを随時更新し続けるかが鍵となるのだろう。


2013年8月4日日曜日

【第185回】『働くみんなのモティベーション論』(金井壽宏、NTT出版、2006年)

 よい理論とは実践的なものである。

 著者が本書でも折に触れて引用するKurt Lewinが述べたと言われる重たい言葉を体現するかのように、理論を引用しながら実践的な示唆に富んだ良書である。タイトルにもあるように、「働く」上で多くの「みんな」が時に直面する「モティベーション」の課題について気づきを得られることができるだろう。読み手によって多様な学びを得られるばかりではなく、同じ読者であっても、職務上の状況やキャリア上の課題に応じて、読む時によって多様な気づきを得られるのではないか。

 働く上でのモティベーションについて、著者はその源泉を、緊張系、希望系、持論系という三つに大別して述べている。

 緊張系とは、自身へのプレッシャーを糧にしてモティベートされるものである。ズレ、未達成感、ハングリー精神、危機感、などといったものから生じる、「自分はまだまだだ」といういい意味での緊張から生じるモティベーションと言えるだろう。

 希望系とは、目指す方向に向いたいという気持ちから生じるモティベーションである。夢、希望、目標、使命、ロマン、なりたい姿、楽しみ、あこがれ、達成感、自己実現、成長感、やりがい、といったものが挙げられる。自身の内側から内発的に生じるものばかりではなく、外発的に誘因されるものでもあることに留意する必要があるだろう。

 持論系とは、自身がモティベートされるポイントを自覚しており、意識的に自身のモティベーションを高める自己調整の能力である。したがって、緊張系や希望系と必ずしも切り離して捉えるべき概念ではなく、それらを包括的するメタな理論である。フォーマルな理論を自身の文脈に咀嚼して、再現可能な状態にできるという意味合いで考えれば、持論と呼べるだろう。

 持論系がメタな理論であることの意味合いは、緊張系と希望系とを統合するサイクルとして著者が例示している箇所(79頁)が参考になるだろう。何らかの違和を感知すると緊張が生じて不快に思い、その緊張を回避しようとする一方で、困難の行き先に希望を見出してそこに接近したいという前向きな気持ちも生じる。希望が叶えられると、満足して一段落する一方で、新たな視点から見られるより大きな希望を抱いて新たな目標から鑑みた現状とのギャップから緊張感が生まれることもある。このように緊張系と希望系とをサイクル構造として捉え、自身がどの状況にいるかを認識し、その状況下でどのように自身をモティベートできるかを認識し実行できるのが自己調整である。

 モティベーション理論の最先端が自己調整に行き着いた(16頁)という著者の指摘は興味深いことであるとともに、私たちにとって救いであるとも言える。というのも、私たちはベンチャー企業の経営者やアスリートといったプロフェッショナルは常にモティベーションが高い人たちであり、自分たちとはかけ離れた存在と思いがちだ。しかし、モティベーションが常に高いということはなく、モティベーションが低い状況であっても、その状況を認識し個人の持論で高めているのにすぎないのである。モティベーションの高低が先天的なものだと言われると「普通の人」である私たちは絶望するしかないが、持論によって自己調整できるのであれば後天的に対応可能だ。徒に読者を鼓舞したり安心を与えるのではなく、理論をもとにしながら自分自身で考えることによって健全な気づきを与える救いの書であると言えるかもしれない。

2013年8月3日土曜日

【第184回】『下山の思想』(五木寛之、幻冬舎、2011年)

 山を登った後は、下る必要がある。 登山に対する下山。下るプロセスがあるからこその登山だと著者は強調する。

 山を登る際に意識するのは頂上だ。頂上は一つの山に一つしか存在しない。しかし、頂上から下山してたどり着こうとする箇所は無数にある。過程も多様であるし、目的地も多様である。人によって、どのような道を通ってどこを目指しても自由である。頂上はゴールが一つであるのに対して、下山にはゴールがいくつもあるのである。

 多様なゴールが用意されているということは、心のゆとりが生まれることにも繋がる。たしかに、答えが一つしかなければ、答えから逆算して合理的に最適なプロセスを導き出すことができる。しかし、そうしたメリットがある反面、正解から外れてはならないという息苦しい側面もまたある。正しいプロセスから外れることはすなわち、効率性を損なうことに繋がるからだ。

 心のゆとりが生まれれば、歩く道の近くにある風景へと意識が自然と移る。登山では山の頂から現在地までを結ぶ線分に意識が集約されるのに対して、下山では線分ではなく自身の同心円上に視野が拡がる。風景を見るともなく眺めることは、頂上から現在地までの来し方を思いながら、ふもとへの行く末を思い浮かべることとも言えよう。それは、山というアナロジーを用いながら、自分自身の来し方行く末を考えるともなく考えることにも近しい。一個人であれ社会であれ、歴史を難しいものとして考えつめるのではなく、ノスタルジックにゆとりをもってたのしむものと見做す著者の言葉をよく噛み締めたいものだ。

 多様なゴールと多様なプロセスが許容される状況においては、唯一無二の正解を選び出す二者択一という発想は必要ない。安易な二者択一を選択するのではなく、ぎりぎりまで両極端の両立を考えること。これが下山をたのしむ姿勢であるとともに、多様性の中で多様な可能性を見出すためのヒントと言えそうだ。というのも、多様な社会においては、ある事象は、状況によって善にも悪にもなり得るからである。ある状況では善であった存在が、一つの変数が変わることで悪の存在に堕してしまう。こうした善と悪の変換が容易に為される世界に、私たちは好きであろうと嫌いであろうと生きているのである。

 格差社会という存在がその顕著な例である。現代において、富める国という国家は存在でき得ないのではなかろうか、という著者の指摘を考えてみる必要がある。つまり、全員が富める国家という現象は、起こりえなくなってきているのではないか。相対的に富める国家であっても、その中には一部の富裕層と一部の貧困層とが混在して成り立たざるを得ない。それを資本主義の機能不全と断罪することは容易であろうが、断罪したところでどのような対案を出せるのか。もし出せないのであれば、格差社会という両義的な社会の中でいかに多様な可能性を見出すのかを考える方が、健全な態度と言えるだろう。