2013年8月16日金曜日

【第189回】『明智左馬助の恋』(加藤廣、文藝春秋社、2010年)

 『信長の棺』『秀吉の伽』に続く本能寺の変の前後を巡る著者の歴史ミステリーは、本書で完結する。織田と羽柴という二つの視点からこれまで明らかにされた、本能寺の変にまつわる、とりわけ信長の死骸に関する著者の推理の最後のピースが、本書の明智の視点により埋まる。

 なぜ明智光秀は本能寺の変を起こすに至ったのか?信長を討つ決意へと至る過程には、信長の少ない言葉数を光秀が誤解した点が挙げられている。この光秀の動きを直接的に促したのが公家・近衛前久である。天皇からの綸旨をちらつかせることで、官軍として信長討伐を行えるという大義名分を与えたのである。

 綸旨が得られるということが、信長を亡き者にした後に京都の朝廷と連携して権力の中枢にいられるという確信を与えたのだろう。後世の私たちが、ときに歴史の授業で学ぶように、信長への否定的な感情だけに流されて決起した、ということではなかった。

 しかし、その綸旨が出ることを光秀に伝えていた近衛前久の裏には徳川家康に与する茶屋四郎次郎がいるところまでは想いが至らなかった。さらに、秀吉が自身の動きを把握していたことも分からなかった。こうした、協力相手や将来の競合相手の動きを理解しきれなかった点が、光秀を破滅に導いたのである。

 光秀の苦悩を、婿である左馬助の視点から描く本作品は、明智光秀という人物への見方を変えさせられる。加えて、歴史の事象について、一つの視点から、特に後世の「歴史」という勝者の描くストーリーだけで捉えることの危険性を明らかにしている。

 前二作を読み、ある程度、本能寺の変をめぐる著者のミステリーは分かったような気がしていた。しかし、本書はなくてはならないものだった。明智家を知らずして、本能寺の変を理解することはできない。信長を英雄視する姿勢を批判するつもりは毛頭ないが、他方の光秀がなにを考えて本能寺の変を起こしたかを思い起こすこと。相対立する存在を対置させながら考えることこそ、歴史から学ぶということなのではないか。


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