2013年10月14日月曜日

【第211回】『古事記講義』(三浦佑之、文藝春秋社、2003年)

 日本最古の歴史書と言われる古事記。歴史には、それを語る主体たる国民、そして国民の集合である国民国家を創り上げる作用がある。こうした観点からすれば、古事記には日本という国家のかたちや文化が現れていると言えるだろう。

 著者は、世界の神話には「つくる」「うむ」「なる」という三つの語り方があるとした上で、古事記は「なる」というタイプに該当するという丸山眞男の著述を引用している。偉大なるGodが無から有を創り出したり、神を生み出すのではなく、次々と神々が自ずから成り出すという多神教の発想。こうした考え方は、寒暖の差があり、雨が多く、自然が豊かな環境において成立する発想である。

 自然は肥沃な大地を生み出すとともに、危険な存在でもある。こうした自然に対してどのように接するか、ということが日本列島に古くから住む人々にとってのテーマであるとともに、古事記における神話のテーマとなる。その特徴を最初に顕著に表しているのがスサノヲの物語である。

 スサノヲのヲロチ退治を見てみよう。結婚前の少年であったスサノヲは、得体の知れない化け物であるヲロチの生け贄になるクシナダヒメを救う為に名乗り出る。ヲロチに酒を飲ませるように工夫を凝らし、したたか酔わせた後で、八つの頭をそれぞれ剣で切り刻む。こうして見事にヲロチを倒した後に、クシナダヒメと結婚して家族を設ける。シンプルな物語ではあるが、知恵と勇気とを持って自然の脅威を克服し、ただ破壊するだけではなく再生産という文化を築き上げる様が描き出されている。

 この構図は古事記における以降の英雄叙事詩にも引き継がれている。

 次にヲウス、後のヤマトタケルを取り上げよう。凶暴なクマソタケル兄弟の征伐を命じられたヲウスは、猛々しくはあってもまだ少年であった。まともに対抗するほどの力強さはない。そこでヲウスは、女装してクマソタケルの宴席に紛れ込み、酩酊した二人を個別に殺す。ここで興味深いのは、死の間際のクマソタケルから、ヲウスの勇猛さを見込んでタケルの名をもらい、ヤマトタケルと名乗るようになる点である。純然たる悪としての敵が存在するのではなく、主人公が成長する糧として敵が存在するという日本の物語の典型がここに現れていると言えるだろう。

 最後に出雲神話に出てくるオホムナヂについて述べる。「因幡の白兎」として知られる白兎を薬の知識で救う点は、医薬という知恵によって自然を克服するというポイントである。さらに、根の堅州の国を訪れ、スサノヲから与えられる幾多の試練を克服して、彼の娘であるスセリビメと結婚するのである。オホムナヂの成長物語であるとともに、スサノヲから英雄が継承されるという物語は、現代にも至る皇統の継承性・正統性という視点でも捉えられ、興味深い。

 古事記には、自然の克服と協調、その過程における少年の成長、文化を築き上げると言う意味での結婚と家庭の創造、というポイントが提示される。こうした日本における英雄のあり方と、ジョゼフ・キャンベルが述べるヒーローズ・ジャーニーという西洋における英雄物語とを対比しながら考えることも趣き深いのではなかろうか。

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