2015年1月31日土曜日

【第409回】『老子(2回目)』(金谷治、講談社、1997年)

 道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。(1 道の道とすべきは)

 老子における最重要命題は道であろう。この最初の章で述べられる箇所において、道とはイデアのように理念型があるものではなく、故に表現することができず、また変化するものであることが述べられる。目指すべきものではあるが、変化するものである、という反語的な老子の表現は、道に関する次の二つの箇所でも続く。

 道は沖しきも、これを用うれば或(又)た盈たず。淵として万物の宗たるに似たり。(4 道は沖しきも(「道」のはたらき(1))

 大成は欠くるが若く、其の用は弊れず。大盈は沖しきが若く、其の用は窮まらず。
 大直は屈するが若く、大巧は拙なきが若く、大弁は訥なるが若し。(45 大成は欠くるが若く(中空の妙))

 道とは、満ちることなく空っぽな存在であるからこそ無限のはたらきができる、とある。この逆説もまた、考えさせられるものであろう。現代社会においては、満たすことが重要であり、欠落していることは問題であると見做される。しかし、コップに満ちた飲み物を想像すれば分かるように、満ちていれば他のものを足すことはできず、持ち運びにも苦労する。失われれば喪失感をおぼえるために、保持しようと躍起になり、自分で自分を苦しめかねない。このように考えれば、老子が提案する道という存在もまた、一つの考え方としてゆたかなものであるように思えないだろうか。以下からは、こうした道という説明できない概念を、他の対象をもとにしながら説明されている部分を四つほど抜き書きしていきたい。

 上善は水の若し。水は善く万物を利して而も争わず。衆人の悪む所に処る。故に道に畿し。(8 上善は水の若し(不争の徳(1))

 第一は水である。「道に畿し」とまで書かれるほど、老子では道を説明する概念として水がよく用いられている。他者と争うことなく、他者よりも低い位置に居るにも関わらず、他の存在の生命を支える存在。自分自身の存在を主張するわけではなく、常日頃においては目立たない存在であるにもかかわらず、なくなればその存在のありがたみを思い出される。

 人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。
 足るを知る者は富む。(33 人を知る者は智(外よりも内を))

 第二は、「足るを知る」という考え方である。前段にあるように、私たちは他者のことを気にし、他者と比較することに意識が傾注してしまう。しかし、そうではなく、自分自身を眺め、自分自身を知ること。自分の内側を眺めることで、自分自身の現時点における有り様を知り、自分自身の内側を通じて、自分自身を取り巻く環境や接してくれる他者に感謝すること。

 下士は道を聞けば、大いにこれを笑う。笑われざれば、以て道と為すに足らず。(40 上士は道を聞けば(旧第四十一章)(「道」のありかた(3))

 第三は、道を目指す過程での他者との関係である。自分の信念を否定されると嫌な気持ちになるものだろう。少なくとも、私はそうだ。しかし、大事にしている価値観に基づいた言動であればあるほど、伝わらない人には伝わらないものだ。さらに悪いケースでは、正論を吐くことが「下士」にとっては攻撃と見做され、不要な反発を招いたり、理解されずに笑われてしまうこともあるだろう。そうであれば、ここで述べられているように、取るに足らない人物に否定されればさるほど、自分自身の有り様が道を目指したものになっている、と考えると精神衛生上も良いだろう。

 知りて知らずとするは上なり。(71 知りて知らずとするは(わかったと思うな))

 第四は、知るということである。自分が持っている知識をもとに他者を見下したりしないことはもちろんのこと、安易に理解したと捉えないこともまたここでは含意されていると考えるべきだろう。


2015年1月25日日曜日

【第408回】『生きるための論語』(安冨歩、筑摩書房、2012年)

 著者の書籍は何冊か読んできたが、やはり論語はいいなぁと改めて思わさせられた。著者のどの「論語本」でもキーコンセプトは基本的に変わらない中で、毎回、新鮮に読めてしまうのだから凄い。

 儒家は、外部からの強制をよしとしない。それは法家の発想である。それと同時に、無為自然をもよしとしない。それは老荘の発想である。儒家は、人間の本性に根ざしながら、それに基づく作動を他者と調和させ、学習して成長する道を求める。(16頁)

 まずは論語の立ち位置から。老荘との違いはそのままであるが、法家との違いに着目するべきであろう。法家が外在的な基準による強制を行なうのに対して、論語は内なる自然の基準に鑑みて柔軟に対応する。こうした基本的な立ち位置を踏まえて、著者が何度も主張する学習に関するキーコンセプトが提示される。

 何かにとらわれて、がんじがらめになって身動きがとれない状態が「罔」なわけである。
 そういうわけで、論語のいう「学」は、このような呪縛の契機を含んでいることがわかる。学ぶというのは、そういう危険な行為なのである。それゆえ、学んだことを、無反省に、一生懸命に復習したり練習したりすることを、孔子が勧めていたとは考えにくい。そもそもそれは、あまりやる気のしない行為であり、人間の本性に反する。(17頁)

 何かをインプットするという意味での「学」だけでは、私たちはインプットしたものに囚われてしまう。新しく得た知識は、自分自身の思考を拡げる可能性を持つとともに、それに囚われるリスクをも内包することに、私たちは自覚的であるべきだろう。こうした「学」の捉え方を踏まえた上で、有名な学而編の一節を著者は以下のように解釈する。

 先生が言われた。何かを学び、それがある時、自分自身のものになる。よろこばしいことではないか。それはまるで、旧友が、遠方から突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。そのよろこびを知らない人を見ても、心を波立たせないでいる。それこそ君子ではないか。(25頁)

 「学」をもとに「習」および「知」へと著者の解説は繋がっていく。こうした連関こそが、論語の真髄であろう。

 自分自身の変化を伴う解釈の過程は、「学習過程」だと言ってよいであろう。自分自身の既存の枠組みの中に外部から何かを取り込むことが「学」であり、それが自分自身のあり方に変化を及ぼして飛躍が生じる瞬間が「習」である。上の図式では、「知/不知」という分別の過程が「学」であり、それが自らに跳ね返って「知」が変貌する瞬間が「習」に相当している。(38頁)

 三者の往還関係のフィードバックループを回し続けること。こうしたフィードバックを修行のように苦しく回すのではなく、自然とたのしみながら回すことが、いいのだろう。ここから著者は他の論語の重要な概念を以下のように結びつける。

 私は、仁・忠・恕・道・義・和・礼という諸概念は相互に直接関係していると考えている。「仁」は学習過程が開かれていることであり、「忠」はそのときに達成されている自分自身の感覚への信頼を表現する。そのとき他者との関係性において自分自身のあるがままである状態が貫かれており、これを「心の如し」という意味で「恕」という。この状態にある人は、自らの進むべき「道」を見出し、そこを進むことができる。この道をたどっている状態で出遇う出来事において為すべきことが「義」である。「仁」の状態にある者同士の、調和のとれた相互作用が「和」であり、そのときに両者の間で交わされるメッセージのありかたを「礼」という。(111頁)

 簡潔にして明瞭な概念整理である。以上の七つの概念を総称して「論語の基礎概念系列」(111頁)と呼ぶことを著者は提唱する。こうしたことを実現できる人物が君子であり、君子とは以下のような人物であろう。

 自分を常にモニタリングして、人の言うことに耳を傾け、自分の間違いに気づいたら、直ちにそれを受け入れ、更に自分の行動を改める、これが孔子の追求する人間としてのあり方の根幹にある。(57頁)

 ここまでを踏まえて、今の私にとって個別具体的に感じ入ったのは以下の三点である。

 理不尽な攻撃に対してできるもっとも合理的な反撃は、恭しい態度で、誠実に、しかしきっぱりと、その攻撃の理不尽さを明らかにし、なぜそのようなことをするのか、理由を丁寧に尋ねることである。(114頁)

 どんなに言動や振る舞いに気を配っていても、他者から誤解を受け、理不尽と思える攻撃を受けることはある。そうした時に、反撃してしまうことはむろん良くないが、徒に謝るだけでも良くない。態度は恭しくしつつ、問題の所在と相手の対応について誠実にきっぱりとコミュニケーションを取ること。言うは易く行なうは難いことではあるが、心に留めておきたいことである。

 人間は、世界そのものを認識して思考しているのではなく、「名」によって世界の「像」を構成し、それによって思考しているからである。名と名との関係性を組み替えたり、あるいは名を与えられた像の運動を構成したりすることで、我々は思考し、行動している。それゆえ、名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう。(137~138頁)

 ウィトゲンシュタインを引用しながら著者はこのように述べる。ここでのハイライトは、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で述べている点が、論語での最重要ポイントである学習回路を開くことに繋がっているということであろう。名を介してしか世界を認識できないという制約を踏まえた上で、自分たちの認識に制約があることに自覚的でありたいものである。

 学習停止という「悪」は、伝染性がある。誰かがそのような「悪」の状態でコミュニケーションをとれば、その相手の学習過程が破壊される。一人が複数の人を「悪」に陥れるなら、それは鼠算的に増える。逆に、君子が学習過程を守り抜けば、それは感化という形で、他者の学習回路を駆動させる。これもまた鼠算的に増加しうる。このような不安定なダイナミクスを持つがゆえに、ちょっとした条件の違いや、各人の勇気の違いにより、社会には「悪」が蔓延したり、「仁」が満ちたりする。本当に覚醒した仁者が現れたとき、「仁」の側が一気に有利になり、天下に憂いが消えるということも、不可能ではない。(185頁)

 悪にも伝染性があり、仁にも伝染性がある。そうであれば、仁に満ちた社会を創り出すために、どのような状況であっても、私は、仁であり時間を長く続けたい。

2015年1月24日土曜日

【第407回】『日本の雇用と中高年』(濱口桂一郎、筑摩書房、2014年)

 とりわけ機能分化が進む外資系のスタッフ部門においては、HRの知識であっても、自身が日常的に接しない知識については疎くなる。しかし、顧客たる社員から見れば、どのチームの人間であろうとHRはHRである。社員の方々からの自部門の管掌範囲外の質問に対して、正確かつ網羅的に回答できる必要はないだろう。しかし、せめて相手の質問を的確に理解し、基本的な回答をしながら、適切な担当者を紹介するくらいはプロフェッショナルとして最低限行なえるべきだろう。こうした想いのもとに、本書のような、私にとってやや疎い領域に関しても随時知識を更新するようにしている。(今回もまた、自戒を込めて)

 本書では、戦前から現在に至るまでの、日本企業における人事制度を取り巻く流れが描かれている。そうした全体的な文脈の中において、「中高年」社員が企業の中でどのように扱われてきたかが論じられる。その際には、欧米諸国の企業における「中高年」の取り扱いとの対比を用いながら説明がなされているため、日本企業での「当たり前」が実は「当たり前」でないことが分かる。むろん、どちらの制度が優れているという類いの話ではない。そうではなく、相対化することによって見えてくる本質を理解すること、他国のプラクティスから学ぶべきものは学ぶこと、が重要ではないか。

 一九六〇年代後半には、事態はまったく逆の方向に進んでいきます。一言でいえば、仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給への思想転換です。これをリードしたのは、経営の現場サイドでした。その背景にあったのは、急速な技術革新に対応するための大規模な配置転換です。労働側は失業を回避するために配置転換を受け入れるとともに、それに伴って労働条件が維持されることを要求し、経営側はこれを受け入れていきました。日経連が理念としての職務給化を主張していたまさにその時に、企業人事の現場は職務給では配置転換が円滑に実施できないということを認識し始めていたのです。そして、この現場の声が日経連のスタンスを換えていくことになります。(46~47頁)

 現在においても根強く日本の企業人事のパラダイムとして残っているものが職能という考え方であろう。職能を中心にして、年功的な給与カーブ設計、使用者にとって裁量の余地の大きい配置転換、基礎教育も含めた人材育成、生活をケアする福利厚生制度、等が設計される。こうした職能パラダイムは日本企業で昔からあるものではないことに留意したい。戦後すぐの時点では、政府および日本企業は、両者の思惑が一致するかたちで、欧米的な職務給への転換を試みていたのである。しかし、その試みが、一九六〇年代後半時点における景気循環サイクルにおける短期的な不況に対応するために頓挫し、職能パラダイムが一気に主流になった。こうした職能への転換が、人事実務という現場から主張され、経営層や財界トップへと浸透したという点は着目するべきであろう。

 高度成長期には多くの業種でさらに頻繁に配置転換が行われるようになり、配転の効力を争う裁判も多く提起されるようになりました。そして、裁判例の大勢は、本来的な雇用契約の法理、すなわち労働者の職務は雇用契約で定まっているのだからそれを使用者側が変更するには契約を変更するか労働者本人の同意を要する、という法理を採用しませんでした。契約締結の際に包括的に合意しているという説明によって、労働者本人の同意を得ない配転を正当と認めてきたのです。つまり、日本の裁判所は、ジョブは雇用契約の本質的要素ではないと考えたわけです。(68~69頁)

 職能パラダイムは、高度経済成長期において若くて優秀な人材を、将来の管理職候補として幅広い業務を経験させるためにジョブローテーションを組むことで強化されたと言えよう。将来は管理職になれるという長期的な外的報酬と、景気拡大に伴う業容拡大によって手応えのある仕事が多いという短期的な内的報酬。両者が結びつくことによって、年功的な給与カーブに基づく若い時代の低賃金でも優秀な社員はリテインされた、と書くと言い過ぎであろうか。こうした定期的なジョブローテーションが機能するためには、厳格な職務給制度によって異動の度に給与が変更するのでは具合が良くない。小さな給与ダウンが大きなモラールダウンに繋がるからである。職務遂行能力という人間基点の評価項目を設けることで、異動によっても給与変動がないようにすることが、社員に不要な不満を生じさせることを避けられるのである。

 年齢とともに排出傾向の高まる日本型雇用システムの矛盾は、一九六〇年代から繰り返し繰り返し指摘され続けてきました。にもかかわらず、一九七〇年代後半以降はむしろ、日本型雇用システムを高く評価する議論が労働経済学の主流を占め、それがきちんと現実に向かい合うことを妨げてきたように見えます。小池和男氏は『日本の雇用システム その普遍性と強み』(東洋経済新報社、一九九四年)で、「しばしば日本の報酬制度は、たんに「年功」、つまり金属や年齢などと相関が高く、それゆえ「非能力主義的」とされてきた」としつつ、勤続二〇年を超えてもなお知的熟練は伸び続けるのだと主張し、それを形成するように日本の報酬制度は組み立てられていると述べています。つまり、とても合理的なしくみなのだ、と。(171~172頁)

 正確に言えば、白紙の状態で「入社」してOJTでいろいろな仕事を覚えている時期には、「職務遂行能力」は確かに年々上昇しているけれども、中年期に入ってからは必ずしもそうではない(にもかかわらず、年功的な「能力」評価のために、「職務遂行能力」がなお上がり続けていることになっている)というのが、企業側の本音なのではないでしょうか。その意味では四〇歳定年制論というのは、その本音を露骨に表出した議論だったのかも知れません。
 「職務遂行能力」にせよ、小池氏のいう「知的熟練」にせよ、客観的な評価基準があるわけではないので、それが現実に対応しているのかそれとも乖離しているのかは、それが問われるような危機的状況における企業の行動によってしか知ることはできないのです。そして、リストラ時の企業行動は、中高年の「知的熟練」を幻想だと考えていることを明白に示しているように思われます。(173~174頁)

 職能パラダイムでは、仕事ではなく人間に焦点が当てられる。職務遂行能力とは、本来は、自社において現在から将来において重要な「職務」を「遂行」するために必要な「能力」というような意味合いであろう。しかし、ここから「職務」のトーンが薄くなり、「能力」のトーンが濃くなったのが日本企業における人事実務の実情ではないか。こうなると、ある人材が一度向上させた能力が低下するということは考えづらくなり、現在の「職務」では使えない「能力」をも評価するということになってしまう。

 著者による小池氏への反論には概ね同意するが、私なりに補足するとしたらこうだ。知的熟練論は、本来は、現在および近い将来のビジネスに求められる職務に基づいた職務拡大と職務充実とを射程にしたものであり、単に仕事を幅広く経験すれば良いというものではない。若手社員は、学習カーブが右肩上がりであるために意識せずとも知的熟練が起きやすいが、一定の経験が過ぎた後は、個人が意識してキャリアやジョブをデザインしないと知的熟練は起きない。意識的なキャリアデザインやジョブデザインを試みることなく学習カーブが逓減傾向に陥った中高年社員は、変化の激しいビジネス環境下ではロー・パフォーマーになってしまう。

 こうした中高年のロー・パフォーマーが、企業の収益悪化によってリストラのリスクに晒されることは自明であろう。

 整理解雇自体に対する厳しい姿勢は、物事の反面でしかありません。裁判所は日本型来ようシステムを所与の前提として、整理解雇を一般の解雇よりも厳しく判断すべきとする一方で、解雇回避の努力を尽くした上でやむなく整理解雇をせざるを得ない場合に対しては、企業による被解雇者人選の自由をかなり認めています。(63頁)

 欧米ならば、まさに「恣意の入らない客観的基準」として中高年に有利なセニョリティ原則が用いられるわけですが、日本ではまったく逆なのですね。ここに、中高年問題の本質がよく現れているといえます。(64頁)

 リストラとは、整理解雇に伴って生じる事象であろう。日本における整理解雇の法理においては、四要件が判例をベースに形成されているために厳しく規制されていると一般的には思われている。しかし著者は、四要件が認められた後の整理解雇の対象者を選定する企業の権限に着目し、欧米のような客観的基準が求められず企業側に広い裁量が認められている点が問題の本質であると述べる。司法や立法における判断が現在のビジネスに合わなくなっていることは承知の上で、企業の人事実務に携わる身としても深く銘記したいポイントである。


2015年1月19日月曜日

【第406回】『医薬品業界 特許切れの攻防【後発vs新薬】激戦地図』(内田伸一、ぱる出版、2014年)

 スタッフ部門に勤務する人間ほど,ビジネス知識を意識的に取り入れる必要がある。ラインにいれば、実務を通じてバリューチェーンの少なくとも一部の実践知を自然と吸収することができる。しかし、スタッフ部門はそうではない。ともすると、機能分化した間接業務に埋没し、自社はおろか顧客や業界に関する生きた知恵と隔絶してしまう。そうしたギャップを埋めるために同僚や社外のステークホルダーと対話することが重要である。その前提として、対話を成り立たせるためには最低限の文字情報は更新していくことが必要だ。したがって、ときに本書のような書籍をもとに、自身の知識をチェックし、アップデートしていくことが肝要だろう。(と、サボりがちな自分を戒めてみた。)

 医療用医薬品に関する業界に属する方々にとって、本書はそうした目的に合致する書籍であろう。まず私にとって朗報であったのは、既に知り得ている内容や、より最新の情報を知っている部分がほとんどであったことである。率直に言って、安心したというのが正直な感想である。とはいえ、知識が整理しきれていなかった部分が多々あったのも事実であり、そうした部分を中心に、ジェネリック医薬品メーカーの立ち位置から見た3Cでまとめてみたい。

 まずはCustomerから見ていく。

 同一成分のジェネリックでもメーカーによってブランドが違っていて在庫管理が煩雑だったなどの理由から、ジェネリック使用をいやがる薬局も多く、傾向としては、こうした加算を利用している薬局はほぼ半分にとどまっていた。(131頁)

 一つの先発医薬品に対して、三十社を超えるジェネリック医薬品メーカーが後発医薬品をローンチすることも珍しくない。一方で、ジェネリック医薬品メーカーは、先発と比べて圧倒的に多品種生産をするため、一つ当たりの医薬品を潤沢に提供することは難しい。ために、品薄になるリスクを本質的に内包する。そうすると、調剤薬局がある患者にA社の薬剤を提供していても、ある日以降にその提供がストップすることが先発と比べて起りやすい。患者目線に立てばこうしたことは不安要素となり、その不満の吐き出し口は医者や薬局になる。ために、患者という顧客満足を重視するという当たり前の感覚を持てば、そうした薬剤は扱いづらい。そのため、ジェネリック医薬品は、調剤薬局に置いて扱いづらい部分があるのである。

 次にCompetitorについて。

 米国ではAGE(オーソライズドジェネリック)という制度があり、先発薬を扱っているメーカーが同時にジェネリックを扱う場合、特許が生きている間でも販売できるというもの。それこそ二重価格になって混乱すると思われるのだが、ジェネリック重視の行政の意志を示すものといえる。(122頁)

 AGEは純然たるジェネリック医薬品メーカーにとって脅威となるものであり、当然のように検討事項になっている。サノフィと日医工が2013年春に発表した国内初のAGEを記憶している方も多いだろう。先発にとってもジェネリック医薬品メーカーにとっても、こうした動きはウォッチする必要がある。

 長期収載品というのは、特許切れになったものの、ジェネリックと置き換えられることなく、従来通りに販売されている医薬品のこと。新薬メーカーの売上げ構成も、すべてが新薬でまかなわれるはずもなく、むしろ特許の切れた長期収載品の割合が6割以上というところがほとんどなのだ。(中略)
 その長期収載品の薬価を引き下げようというのだから、新薬メーカーにとっては影響が大きい。
 具体的には、ジェネリックが発売されて5年経過しても、ジェネリックが一定程度置き換えられていない長期収載品の薬価を最大2%引き下げるというもの。
①ジェネリック置き換え率が20%未満のものは2・0%(数量ベース)
②ジェネリック置き換え率が40%未満のものは1・75%
③ジェネリック置き換え率が60%未満のものは1・5%
 を、それぞれ“自動的に”引き下げるというのだ。(139~140頁)

 長期収載品もまた、ジェネリック医薬品にとっての主たる競合商品である。ブランド志向、安全神話が強い日本の独特な商慣習において、以前ほどではないにしろ、先発医薬品を重宝しジェネリック医薬品を嫌う顧客は依然として多い。その結果、長期収載品の売上高は、ジェネリックが浸透している欧米諸国では考えられないほどに高い。国民皆保険制度によって医療用医薬品の価格への感応度が相対的に低いことが、日本の独特な慣習を為す一つの主要な要素であろうが、それは国家の医療費負担に跳ね返る。したがって、政府としても長期収載品からジェネリックへの切り替えを進めているのである。

 最後にCompanyについて。

 生物学的同等性試験というのは、血中濃度の推移を図るもので、同一成分なのだから、先発薬と同じ変化を見せるものだが、必ずしも一致しない場合もある。溶出試験でも同じ。現在では試験がうるさくなったが、ジェネリック重視の前は、信じられないくらい、先発薬と推移が一致するものも多かったという。つまり、異なる添加剤を使っているのに、ぴったり先発薬と一致する、それはデータを操作しているとしか考えられないほどの完全な一致だった、というケースが少なからず見られた。(149~150頁)

 率直に言えば、私の最もあやふやな研究開発に関する知識を整理するために引用した。生物学的同等性試験、血中濃度、溶出試験、添加剤といった言葉は、個々には知っているが、このように文脈として理解できるのが、ありがたい。


2015年1月18日日曜日

【第405回】『知的資本論』(増田宗昭、CCCメディアハウス、2014年)

 著者は、CCC(カルチュア・コンビニエンスクラブ)の現CEOであり、LOFTやTSUTAYAを立ち上げたことで有名だ。近年では、代官山の蔦屋書店や、武雄市をはじめとした図書館などの公共施設の企画運営にも携わるなど、企画のプロフェッショナルである。その著者が、自分自身の経験や想いを紐解きながら、企画に関してじっくりと語る書であり、プロフェッショナルの言葉に唸る部分が多い。

 ではまず、良い企画とは何か。著者の言葉を見てみよう。

 会議室のチェアに座り、「何か目新しいことはないか」と考え始めた瞬間、そこから生まれる企画は形骸化し、生命力を失う。現場、すなわち顧客が実際にいる立場に立って、その人たちにとって本当に価値あることは何かを考え抜くことからしか、力のある企画は生まれてはこない。(15~16頁)

 良い企画とは、頭の中で考えて無から有を創造するものではない。頭で考えるだけでは、一見きれいに見える企画はできるかもしれないが、現場では機能しない画餅と堕してしまう。企画に携わる方々にとって、痛い記憶とともに思い返されることの多い含蓄のある言葉であろう。少なくとも私は該当する。では良い企画とはどのように為されるのか。著者は、現場を観察しながらそこにいる顧客という存在ありきで現場基点でデザインされるものである、とする。もう一段考えを深めていきたい。デザインとは何か。

 デザインとは、つまり可視化するということだからだ。頭の中にある理念や想いに形を与え、顧客の前に差し出してみせる作業。それがデザインだ。“デザイン”とは、“提案”の同義語なのだ。(57頁)

 顧客基点で、顧客の立場に立って想いを巡らせ、顧客にとって価値のあるものを形にして提案すること。これがデザインである。むろん、顧客にとっての価値の効用を重視するデザイン思考と、提供者側のオペレーションを重視する効率性という考え方は、利益相反を起すことが宿命づけられている。著者は対立する両者を踏まえたうえで、デザインを重視するとして、以下のように述べる。

 顧客価値を高められるのであれば、いかにオペレーションの面などでの困難が増すとしても、それは克服されなければならないのだと考えた。(53頁)

 企業のCEOとしての決意表明とも形容できる、清々しく簡潔な宣言である。効率性やオペレーションにおいて、基点はサービス提供者側にあり、顧客の側にはいないことに着目するべきであろう。そうであるからこそ著者は、業務効率性よりも顧客の立場に立ったデザインを重視するのである。さらに、現代の全てのビジネスパーソンにとって、デザイン力は必要不可欠であると著者は主張し、そのために必要とされる組織形態についても提案する。

 直列型の組織よりも、クラウド的な発想に基づく並列型の組織のほうが、これからの時代には有効性を発揮する可能性が高い。これは財務資本から知的資本へという時代の流れとも重なる。半世紀前、この国の未来を創ったのは轍とコンクリートだった。それを手にするためには、資金が重要だった。そしてこれからのこの国を創るのは、デザインだ。そのために必要となるのは、知性だ。(67~68頁)

 デザインがどの状況や背景においても重要な考え方であると著者はしていないことに留意するべきであろう。時代を取り巻くパラダイムに鑑みて、デザインが求められる時もあろうし、他の考え方が重要な場合もある。そのうえで、現代のビジネスを取り巻く環境要因を鑑みれば、知性を持つ人々のつながりによるデザイン力こそが求められるのである。

 思えば、私が社長で彼らが社員だからといって、では私が資本家で彼らが労働者かといえば、両者の間の関係は決してそんな図式で示されるものではない。彼らこそ、確かな“知的資本”を有する資本家なのだ。彼らと私は、その意味でも直列の関係にあるわけではなく、互いに並列に置かれているのだ。その認識なくして、優れたプロフェッショナルと協業の関係を築くことなど、できるはずがないだろう。(95~96頁)

 直列のレポーティング・ラインを拡げていけば、社長と従業員との関係にまで辿り着く。そこに至って著者は、社長と従業員との関係であっても並列関係であるべきだと断言する。経営資本を持つ経営者と、知的資本を持つ従業員とは、資本という価値をお互いにパラレルにやり取りする関係だからである。そうであればこそ、書籍のタイトルが知的「資本」論となっている所以であろう。では、並列関係という、下手をすればヨコに広がるばかりで拡散してしまいかねない関係性において、一つの企業体はどのように統合されていくのか。

 企画会社に当てはめれば、遠心力が向かうのは顧客だ。そして求心力が向かうのは仲間だ。スタッフ一人ひとりが、顧客に引かれる力と仲間に引かれる力を同じように持つことによって、イワシの群れの機動性を具現化することができる。
 だから、やはり自由と愛だと思う。自由は遠心力を生み、愛は求心力に対応する。愛を信頼や共感という言葉に置き換えてもいいだろう。ともかく、そうした価値観を持ち続けることができる人こそ、ヒューマンスケールの組織のスタッフとして、ふさわしい人なのだ。(182~183頁)

 遠心力と求心力、自由と愛。こうした二つのベクトルを統合させられるよう、組織自体をいかにデザインするかが、私たちに問われているのではないだろうか。


2015年1月17日土曜日

【第404回】『壬生義士伝(下)』(浅田次郎、文藝春秋社、2002年)

 上巻と同様に、下巻でも様々な人々による吉村貫一郎に対する語りが続く。まずは漫画「るろうに剣心」でも登場する元新選組三番隊組長・斎藤一による語りから。他者から距離を保とうとし、吉村に対しても厳しい見立てをしている人物であるからこそ、その口から出る言葉は清々しい。以下に引用する二箇所に関しては、前者は仁について考えさせられるし、後者は美について思わせられる。

 自室に戻って、おのれを責めたよ。この世に、他人の気持ちを常に斟酌する仁者というものが本当にいるとしたら、それはあの吉村貫一郎のことではあるまいかと思うた。
 善なる者を忌み嫌うはわしの本性じゃが、それはそれとしても、仁なる者をゆえなく侮蔑するわしは、ただの卑怯者ではないかと思うた。
 あの悪い時代にも、善なる者はいくらでもいた。しかし、仁なる者は他に知らなかった。(38頁)

 美しい城下であった。この美しい城下に生まれ育った、かけがえのない美しい侍を、わしは殺してしもうた。いっときはおのれが手で殺さんとし、あげくの果ては見殺しにしてしもうた。(82頁)

 次に、吉村貫一郎の長男である嘉一郎を取りあげたい。詳しくは本作を読んでいただきたいが、複雑な感情を父に対して抱いているように描写されている彼が、父に対してどのように思っていたかの吐露は感動的である。遺書の中で以下のように感謝の念を伝えている。親として、このように子供に書かれたら本望なのではないかと夢想する。

 嘉一郎は
 父上と母上の子でござんす
 そのことだけで
 天下一の果報者にてござんした
 十七年の生涯は
 牛馬のごとく短けえが
 来世も
 父上と母上の子に生まれるのだれば
 わしは
 十七年の生涯で良がんす
 いんや七たび
 十七で死にてえと思いあんす(387~388頁)

 最後に引用したいのは、幼馴染みでありながらも、運命の変転の結果として足軽組頭として足軽である吉村貫一郎を統率することになった大野次郎右衛門である。次郎右衛門による貫一郎の処分の是非が、この物語の一つのテーマであるが、物語の最後に記載される次郎右衛門の手紙に、彼の真の思いが凝縮されている。ネタバレになってしまうので不要な解説はしないが、彼が貫一郎の息子をあるところに養子に出すための手紙であり、遺書でもある。次郎右衛門が、いかに貫一郎を一人物として評価していたかが分かるし、幼馴染みというもののありがたみというものが身に染みる。

 此者之父者
 誠之南部武士ニテ御座候
 義士ニ御座候(438頁)

 では義とはなにか。本書のタイトルでもあるため、著者が何を以て義と捉えているのかが最も大事なテーマとなるだろう。義について、本作を通底するものを、シンプルに、次郎右衛門の言葉として以下のように記している。

 日本男子 身命不惜妻子息女二給尽御事 断ジテ非賤卑 断テ義挙ト存ジ候(443頁)

2015年1月14日水曜日

【第403回】『気流の鳴る音(2回目)』(真木悠介、筑摩書房、2003年)

 社会学者はなぜかくも鮮やかに「社会」を描き出すことができるのだろうか、と再読し終えた今、改めて感嘆させられる。視野が私たちと異なるのか、問いを立てるのがうまいのか、はたまた単に研究リテラシーが卓抜しているからなのか。本書は、人類学者カスタネダがメキシコのヤキ族の老人ドン・ファンから学んだフィールド調査を、社会学者・見田宗介がやさしく記した作品である。ペンネームである真木悠介の名義で書かれているところから、学術書のような形式張った形式ではないものと判断してよいだろう。しかし、その視野の広さや表現の鋭さは、形式はどうであれ、社会学者の碩学のそれである。

 まずはアウトラインから押さえていく。著者は、ドン・ファンの語る思想を四つの局面に基づいて解説する(44頁)。

 Ⅰ カラスの予言ー人間主義の彼岸
 Ⅱ 「世界を止める」ー<明晰の罠>からの解放
 Ⅲ 「統禦された愚」ー意志を意志する
 Ⅳ 「心のある道」ー<意味への疎外>からの解放

 著者によれば、この四つの局面は厳密なプロセスやステップというわけではないが、順に見ていくことで理解が深まり易いようだ。それでは順を追って見ていくこととしよう。

Ⅰ カラスの予言ー人間主義の彼岸

 カラスが予言するというような諸民族のいいつたえにおいて、問題は個々の動物や植物の行動を「予兆」としてよみとる知識の蓄積といったものではない。そのような個々の「予兆」への技術化された知識自体は、われわれの「世界」の中にも、たとえば仮説的情報として切りとってくることができる。けれどもこのような「知恵」じたいをたえず生成する母体そのものは、たとえばこの世界のすべてのものごとの調和的・非調和的な連動性への敏感さや、自己自身をその運動する全自然の一片として感受する平衡感覚の如きものであり、「予兆」への技術化された個々の知識とは、このような基礎感覚の小さな露頭にすぎないのだろう。(56頁)

 近代社会の中にいる私たちは、物事を断片化して捉えることを「当たり前」のこととして半ば自動的に行なってしまう。断片化された事象は、普遍的な言葉によって表現されることで、どのような人が眺めても同じ事象として認識される。しかし本来、世界とはそうした一様な存在ではなく、豊潤で多様な可塑性に富んだ存在である。誰が見ても説明可能な普遍的事象はたしかに存在するのであろうが、人によって認識できたりできなかったりする主観的な事象もまた、存在すると考えるのが自然ではないか。ドン・ファンが指摘する「予兆」とは、そうした私たちの一様な眺め方に一石を投じ、自動化を妨げてくれる投げかけである。こうした多元的な世界認識という前提に立つことで、Ⅱの認識の有り様を意識することができる。

Ⅱ 「世界を止める」ー<明晰の罠>からの解放

 現象学的な判断停止、人類学的な判断停止、経済学的な判断停止に共通する構造として、<世界を止める>、すなわち自己の生きる世界の自明性を解体するという作用がある。
 このことによってはじめて、Ⅰ 異世界を理解すること、Ⅱ 自世界自体の存立を理解すること、Ⅲ 実践的に自己の「世界」を解放し豊饒化することが可能となる。「世界」のあり方は「生」のあり方の対象的な対応に他ならないから、このⅢはいいかえれば、自己自身の生を根柢から解放し豊饒化することに他ならない。(93~94頁)

 フッサールの判断停止(エポケー)を用いながら、ある事象に対する判断を留保することの重要性を述べているのがここでのポイントである。第Ⅰ局面で論じられた多元的な世界をそのものとして見るためには、私たちが慣れ親しんだ固定的で普遍的な世界認識のレンズを通して眺めようとすることを止める必要がある。

 「呪術師の世界」は、「ふつうの人の世界」の自明性をくずし、そこへの埋没からわれわれを解き放ってくれる翼だ。しかし一方「呪術師の世界」を絶対化し、そこに入りきりになってしまうと、こんどはわれわれはその世界の囚人となる。(84頁)

 近代人の行なう世界認識を止めるためには、ある種の呪術師が「予兆」を感じ取るような世界認識が存在することを認識することがその契機になるだろう。しかし、そうした呪術師の世界が「正しく」、近代社会における世界認識が「誤っている」という判断自体もまた近代的な思考の枠組みであり、固定的なものの見方である。著者が警告するのは、こうしたある特定の世界に入り込んでしまって抜け出せなくなることである。

 このような二つの「世界」の自己完結力のどちらにも身をゆだねることなしに主体性を保持する力を、ドン・ファンは特別な意味をこめて<意志>とよんでいる。<意志>(will)は<耽溺>(indulgence)の反対語であり、後者の惰性化する力に抗して、反惰性化し主体化する力である。(97頁)

 「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
 「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
 「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
 <明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。
 <明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。(100頁)

 ある世界認識に拘泥し固着しないために何が必要か。括弧の違いによって明晰という概念を著者が使い分けていることに留意していただきたい。ある世界を認識する「明晰」さに閉ざされることなく、そうした認識を超えた世界があることを<明晰>に自覚すること。<明晰>によって、世界の多元性をそのものとして理解し、ある特定の世界における「明晰」に内没することを止めることができる。そのための力を、著者は、ドン・ファンの言葉を用いながら意志と表現している。

 <焦点をあわせる見方>においては、あらかじめ手持ちの枠組みにあるものだけが見える。「自分の知っていること」だけが見える。<焦点をあわせない見方>とは、予期せぬものへの自由な構えだ。それは世界の<地>の部分に関心を配って「世界」を豊饒化する。(107頁)

 こうした意志の力によってどのように世界を見ることになるのか。ここで著者は、特定のレンズによって「焦点をあわせる見方」を用いるのではなく「焦点をあわせない見方」を提示する。それは図と地が反転し続けるように、多元的な世界の認識の有り様が、非連続的に変わり続ける見方である。

Ⅲ 「統禦された愚」ー意志を意志する

 <コントロールされた愚かさ>とは、明識によって媒介された愚かさ、明晰な愚行、自由な愛着、対自化された執着である。(138頁)

 第Ⅱ局面の主題であった<世界を止める>とは逆に、<コントロールされた愚かさ>とは「世界をつくる」(項目を選ぶ)ことに他ならない。「世界を止める」ということが未だ、消極的な意味での主体性の獲得にすぎないのにたいし、<意志を意志する>というこの局面の主題とは、積極的な主体性の確立である。(139~140頁)

 第Ⅱ局面において特定の世界認識を止めるという消極的な主体性を獲得した後に、私たちは積極的に主体性を確立する第Ⅲ局面へと至る。<焦点をあわせる見方>を正とし、<焦点をあわせない見方>を持ち続けるために意志という消極的な主体性を確立することを反とするならば、意志を意志することは合と呼べる。ここにおいて私たちは、自らが、しかし意図的なものではなく自然な流れの中において自ずと主体性を確立することができるのである。

Ⅳ 「心のある道」ー<意味への疎外>からの解放

 行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。(151頁)

 一見して主体性を確立したと認識したとしても、その主体的な事象が他者や自分に対して説明するための「意味」として存在していないか。そうした「意味」に外化した主体性に基づいた行動は疎外された空虚なものとなってしまう。ここに、主体性の陥る罠とも呼べるものがあるだろう。

 不可避のものとしての死への認識が、いったんは意味論的な回路を獲得した精神の、「未来」への意味の疎外をとつぜんに遮断するので、現在のかけがえなさへと逆流した意味の感覚が、世界を輝きで充たすのだ。(152頁)

 ドン・ファンが知者の生活を「あふれんばかりに充実している」というとき、それは生活に「意味がある」からではない。生活が意味へと疎外されていないからだ。つまり生活が、外的な「意味」による支えを必要としないだけの、内的な密度をもっているからだ。(159頁)

 主体性を「意味」へと外化させないための一つの有り様として、死という有限性を意識するということが挙げられている。多様で無限な世界認識の中において、有限な存在における主体性を意識的に選択することによって、私たちの世界は自ずと満ちてくる。それは他者に説明するための「意味」ではないのはもちろんのこと、自分を納得させるための「意味」へと外化されることのない主体性である。自分自身の選択であるとともに、自分という枠に閉ざされない全体性の中における共同主観的な「われわれ」という感覚を有する主体性であるとも呼べるのかもしれない。


2015年1月12日月曜日

【第402回】『壬生義士伝(上)』(浅田次郎、文藝春秋社、2002年)

 昼食時に某同僚と話していて、私が歴史小説を最近読んでいることから、司馬、吉川、池波といった方々の小説の話で盛り上がった。その話の流れで「浅田次郎の歴史物は読んだことがなかったが、これはすごく良かった」と勧められた本書。私も著者の歴史小説を読んだことがなかったので興味を持った。

 主人公は吉村貫一郎という、南部藩を脱藩して新選組に入った浪人である。つまり、物語の舞台は幕末である。新選組の一員ではあるのだが、世間的には有名でない人物であろうし、少なくとも私は知らなかった。本作は、吉村貫一郎の独白と、彼を取り巻く人物たち、たとえば新選組における同士や後輩、南部藩時代の教え子といった人々からの語りとが交互に展開される不思議な構成である。この構成によって、読者に主人公の魅力を訴えかけるレベルが高まっているように私には思える。

 いくつか興味深いと感じた点を抜き書きしていく。

 妙なやつなんだよ、吉村ってのは。剣術はたいしたものなんだが武張ったところがねえ。学問はあっても鼻にかけるわけじゃねえ。かと言って、立派なやつかというと、そうでもねえんだ。ほら、どこにだっているだろ。何だって一通りはできて、考えてみりゃてえしたものなんだが、どうもさほどてえしたものにゃ見えねえってやつ。(55頁)

 同期として新選組に加入した人物による評である。印象に欠ける人物とも読み取れるが、他方でこうした存在こそが組織において重要なのではないか。少なくとも私には、一つの理想的な人物のあり方のように思える。

 吉村先生は侍に憧れていたあたしらみんなの、憧れそのものだったからね。長い武士の世の中が続くうちに、侍の体にべたべたとまとわりついてきた嘘や飾りを、きれいに取っ払っちまえば、侍はああいう姿になるんです。(345頁)

 こちらは吉村貫一郎の新選組における教え子による述懐である。南部藩の中でも恵まれた出自ではない下級武士である吉村であるからこそ、理想の武士の有り様を目指して文武両道で励んできたのである。そうであるからこそ、見てくればかりで本質がない当時の上級武士からは欠落してしまった武士の本分のようなものが吉村に見出されたのではないだろうか。

 「何ができると言うほど、おまえは何もしていないじゃないか。生まれてきたからには、何かしらなすべきことがあるはずだ。何もしていないおまえは、ここで死んではならない」(388~389頁)

 鳥羽伏見の戦いで劣勢に喘ぐ幕府側。その中で矢尽き刃折れて死を思い始める教え子に対して、吉村が叱咤するシーンである。死を徒に美化するのではなく、むしろ生を通じて自分自身や社会にとって善を為そうとする吉村の考え方は、美しい。自分自身の命を大事にできない状態にある方にこそ、読んでほしい場面である。

 それが、武士ってやつさ。本音と建前がいつもちがう、侍って化物だよ。俺たちはみんな、武士道にたたられていたんだ。
 ひとりひとりが、よせばいいのに尊皇攘夷の舞台に上がっちまった。そのこと自体が茶番なんだけどな。
 で、それぞれが本音ってのをおくびにも出さず、建前だけの芝居をせにゃならなかった。朝起きてから夜寝るまで、何から何まで。(84頁)

 吉村とは直接的な関係はないが、ある新選組の隊士が語るこのシーン。新選組を美化する方もあるだろうし、薩長を美化する方もいるだろう。しかし、後世に生きる私たちは、武士道や侍といったものを徒に美しいものとして奉ることは考えものではないだろうか。私にとっては、いろいろと考えさせられる部分である。

2015年1月11日日曜日

【第401回】『ハンナ・アーレント』(矢野久美子、中央公論新社、2014年)

 大学以来、哲学や社会学に類する書籍を好み、自由に読んできた。そのため、アーレントの名前を目にすることは多かった。明快な論理を展開する哲学者であるという印象を持っており、彼女の書籍を読もうと思ったこともある。しかし他方で、読むのには苦労するという評判を何度となく目にし、また実際に書籍を書店でパラパラと捲って難儀しそうだという感覚を持ち、ためらってきた。そこで発想を変えて、彼女の哲学の解説書であり、かつ彼女自身の半生を題材にした書籍であれば読めるだろうと思い直し、軽い気持ちで本書を読んでみた。2015年はハンナ・アーレントを苦労してでも読もうと思わせられるほど、彼女の魅力が詰まった一冊だった。

 以下からは、ナチ時代におけるユダヤ人、全体主義、考えること、という三つのテーマを取りあげたい。

 まず、ナチ時代におけるユダヤ人について。

 とりわけ亡命ユダヤ人は「われわれのパンを奪う」不審な外国人として、メディアや大衆による排外主義的な言動にもさらされた。(49頁)

 ナチ政権下におけるユダヤ人への排外的な許し難い出来事に対して、当時を知らない私たちはそうした暴挙にばかり意識が向く。その結果として、当時のユダヤ人の方々を慮る気持ちが湧き上がり、彼(女)らは亡命先でも同情や温かい眼差しを受けたのではないかと思いがちだ。少なくとも私はそうであった。しかし、考えてみれば当たり前であるが、当時の経済状況を鑑みれば、亡命先の国の経済も芳しくない。経済状況が優れない亡命先の社会においては、亡命してきた大量のユダヤ人の方々が、エイリアンとして排除されたという著者の指摘は、鋭く、重たい。

 慈善事業として資金援助はしても政治的に行動することを忌避し、反ユダヤ主義から避難してきたユダヤ人たちを同胞としては見なさなかった。彼らは、早い時期の知識人亡命者たちのことも「博士様、たかり屋様」と呼び、嫌悪感を隠さなかったが、激増するユダヤ人難民にたいしては、自分たちが同化してきた社会の反ユダヤ主義を高めるとして、厄介払いするような雰囲気もあったのである。(54頁)

 亡命先の国民と同様に、ヨーロッパの他国に従前から溶け込んでいたユダヤ社会における人々も、亡命してくる同胞に冷淡であったという点も驚きであると共に、理解できよう。自国(ドイツ)において政権から迫害され、亡命先における異国の国民からも、また亡命先における同胞からも厄介払いされる当時のユダヤ人亡命者たち。亡命者=温かい援助を他国で得られる方々、という図式を持ってしまうのは、大陸と陸続きでない島国に生きる私たちの思考様式の現れなのであろう。

 次に、全体主義について。彼女のあまりに有名な『全体主義の起原』を紐解きながら、著者は解説を試みている。

 アーレントはこれにたいして、「ひとたびすべてが<政治化>されてしまうと、もはやだれ一人として政治に関心をもたなくなる」と述べている。すべての人びとが全体的支配に巻き込まれ、総力戦を戦うとき、選択や決断や責任にたいする自覚が失われる。(96頁)
 全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分がおこなったことと自分の身に降りかかることとの間には何も関係がない。すべての行為は無意味になる。(中略)アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。(112~113頁)

 全体主義の構図は、一つひとつの行為の連関が人々には認識できず、積極的に関与していなくてもシステムを生きながらえさせることにコミットしてしまうことである。したがって、一人ひとりの行為者に悪辣な意図は存在していない。このシステムの中での心理状況は、実験心理学の分野でお馴染みのミルグラム実験を想起すれば良いだろう。

 では、こうした全体主義がどのように構築されるのか。アーレントはイデオロギーとテロルがその本質であるとして述べる。とりわけ以下に引用する箇所は、歴史からの教訓として後世を生きる私たちが学ばなければならないものであろう。

 アーレントは、「新しい支配形式」である全体主義の本質を、「イデオロギー」と「テロル」に見いだした。イデオロギー的思考は、過去・現在・未来について全体的に世界を説明することを約束する。そしていっさいの経験を無視して、予測不可能で偶然性に満ちている人びとの行為の特質と無関係な説明体系をつくりだす。確実なものとして見なされる前提から出発し、完全な論理的一貫性に即して、事実を処理するのである。全体主義的な威嚇の手段であるテロルは、複数の人間たちがつむぎだす一切の人間関係を破壊し、人びとの自発的な行為を不可能にして人びとのあいだにある世界を消滅させる。そうしたなかで、自由な行為の空間を喪失した人間たちは孤立し原子化する。そしてイデオロギーが、そのような孤立した人間を必然的な論理体系のなかに組み込む。孤立した寄る辺のない人間にとって、すべてをその論理のなかで説明するイデオロギーが魅力を発するのである。(127~128頁)

 このように考えれば、全体主義が生み出すネガティヴな影響は加害者/被害者という安易な二分法で論じられないことが分かるだろう。全体主義を否定するということは、全体主義の代表例であるナチを断罪しさえすれば済む問題ではないのである。

 アーレントはナチの先例のない犯罪を刑死しているわけではけっしてないが、ナチを断罪してすむ問題でもないと考えていた。また、加害者だけなく被害者においても道徳が混乱することを、アーレントは全体主義の決定的な特徴ととらえていた。アイヒマンの無思考性と悪の凡庸さという問題は、この裁判によってアーレントがはじめて痛感した問題であった。(188頁)

 最後に、考えることに関するアーレントの考察を見ていきたい。

 アーレントは別の論稿では「何もしないという可能性」、「不参加という可能性」という言葉を使っている。彼女は、こうした力のなさを認識するためには現実と直面するための「善き意志と善き信念」を必要とすると指摘し、絶望的な状況においては「自分の無能力を認めること」が強さと力を残すのだ、と語った。独裁体制下で公的参加を拒んだ人びとは、そうした体制を支持することを拒み、不参加・非協力を選んだのである。そしてこうした「無能力」を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった。(202~203頁)

 全体主義の中において何かに加担するのではなく、はっきりと不参加を表明すること。むろん、そうした状況下で不参加を表明するという困難な決断をするためには、思考を通じた自己対話が重要であるとアーレントはしている。ではなにを思考するべきなのか。

 「理論がどれほど抽象的に聞こえようと、議論がどれほど首尾一貫したものに見えようと、そうした言葉の背後には、われわれが言わなければならないことの意味が詰まった事件や物語がある」と彼女は言う。個々の事件や物語へと脱線し、多くの解釈が混在する「物語」よりも、理路整然とした論証のほうが理解しやすい、という知的先入見あるいは慣習のようなものがある。しかしそれだけでは人間の経験の意味を救い出すことはできない、と彼女は考えていた。(216頁)

 アーレントは、単に事実を積み重ねて論証を行なうのではなく、物語を紡ぎ出すことによって自分自身の経験を意味付けることが重要であるという。全体主義が提示する物語に対抗するためには、自分自身の経験から生み出した物語しかない。そのためにも思考し続けること。アーレントからのメッセージを私たちは重く受け止め、未来に活かしていきたいものである。


2015年1月10日土曜日

【第400回】『いまこそロールズに学べ』(仲正昌樹、春秋社、2013年)

 ジョン・ロールズの名前を初めて目にしたのは学部時代に受けた政治思想の授業である。彼の哲学は当時の私には印象的で、無知のヴェールやマキシミンルールといった概念は新鮮であった。約十年後、サンデルがブームになった際に、そのロールズが論破されているのを目の当たりにして懐かしい感覚と共に衝撃を受けた。と同時に、改めてロールズの思想に触れたいと思った。ロールズの著作そのものはハードルが高いように思え、まずは解説書を読もうと考えたのである。

 「自由」と「平等」の両立を可能にする体系的な「正義」論を構想したうえで、合理的(rational)な人ならば、それを受け入れるであろうことをーー彼独自の理論的な前提の下でーー証明してみせた。(20頁)

 ロールズが正義論を著した意図は自由と平等の両立を理論的に可能とするためのものであった。それを万人にとって受け容れられる哲学的なアプローチを正義論では取ったのである。

 ロールズが問題にしているのは、「全体としての利益」ではなく、「全ての当事者の利益」である。通常の功利主義であれば、ある立場の人たちの得る利益が、他の立場の人たちの被る不利益を上回れば、不平等は正当化される。それに対してロールズは、全ての当事者にとって、不平等のある状態の方が自分にとって有利であると信ずべき根拠があることが不平等の許容される条件である、との見解を取っている。(45頁)

 まずロールズが論破しようとしたのは功利主義である。極めて乱暴に言えば、現代における自由主義や保守主義の陣営における思想的なバックボーンとして功利主義は用いられていて、私たちにとっても馴染み深い考え方である。ロールズは具体的に、二つの原理に基づいた正義論を展開していると著者はしている。第一原理は「ルールの範囲内における自由を保証。「自由」を志向。」(45頁)し、第二原理は「ルールの範囲内で許される不平等の程度。「平等」を志向。」(45頁)する。

 「正義感覚」が、多くの人が社会化の過程においてごく普通に身に付ける能力であり、制度志向的な性質を有していることを示したうえで、ロールズは、「正義感覚」を備えた人々は、「原初状態original position」において、全員にとってフェアな仕方で、社会的協働を組織化することを可能にする正義の二原理を設定することに合意するだろうと推測する(52頁)

 彼は、「原初状態」にある人々が、「無知のヴェールthe veil of ignorance」の下に置かれていると仮定したうえで、彼らがどのような法制度を構築するか推論を進めていく。(『正義論』のカギになる)「無知のヴェール」とは、各人がその社会の中で過去、現在、未来においてどのような地位にあるのか、自然の素質や才能において他者と比べて有利か不利か、どのような利害や選好を持つのかといった情報を一時的に遮断してしまう、仮想の装置である。(77頁)

 無知のヴェールという想像上の装置をもとにした原初状態としての存在である人間観をロールズは正義論の大前提として置く。原初状態においては、先述した第一原理と第二原理とを用いた正義の観念を、人々は妥当なものとして認めるはずであることを、論理的に展開しているのである。

 こうした正義論によってロールズが拓いた世界観はどのようなものであったのであろうか。

 「リベラリズム」に哲学的バックボーンを与えるものとして期待されたのが、「原初状態」と「無知のヴェール」という道具立てによって、格差原理を正当化することを試みた、ロールズの「公正としての正義」である。(261頁)

 共産主義と対立する自由主義陣営におけるリベラリズムの理論的バックボーンを構築すること。これがロールズが目指した世界観であった。次に、そうした世界観の中において生きる人々に対して彼はどのようなメッセージを送ろうとしたのか。

 彼の正義論は、「最も不遇な人」に共感し、常に利他的に振る舞う聖人になることを私たちに強いるものではなく、個人の自己中心的な選択を社会的協働のための諸制度の樹立へと誘導している、私たちに自然と備わっている社会的想像力を、“もう少しだけ”拡張することを要請する、ささやかな提案なのである。(263頁)

 無知のヴェールという思考装置によって、不遇の中で生きている他者に対する視線を柔らかくすることを可能としたかったのではないか。


2015年1月5日月曜日

【第399回】『三国志(八)』(吉川英治、講談社、1989年)

 劉備、関羽、張飛亡き後、蜀の興隆を目指して獅子奮迅の如く戦野を駆け巡る孔明。その様には、私たちが学べるものがいくつもある。

 総じて、敵がわれを謀らんとするときは、わが計略は行いやすい、十中八、九はかならずかかるものだ。(25頁)

 反対の立場に身を置いてみると、思わずはっとさせられる孔明の言葉である。つまり、自分自身が何らかの策謀を心に抱いているとき、それを他者に利用されて手玉に取られるリスクが大きい。むろん、何か大きなことを成し遂げようとする時には計略も大事であろうが、日常的には謀などせずに正々堂々と生きることがいいように思う。自明のことではあるが、改めて大事にしたい。

 孔明が涙をふるって馬謖を斬ったことは、彼の一死を、万世に活かした。(中略)
 そのため、敗軍の常とされている軍令紀律の怠りは厳正にひきしめられ、また孔明自身が官位を貶して、ふかく自己の責任をおそれている態度も、全軍の将士の心に、
「総帥の咎は、全兵の咎だ。わが諸葛亮ひとりに罪を帰してはおけない。今に見ろ」
 という敵愾心をいよいよ深めた。(121頁)

 泣いて馬謖を斬るという故事成語でも有名なエピソードである。規律違反を犯した愛弟子を厳正に処分することで規律重視を明らかにすることであるとともに、孔明は自分自身も罪を受けて官位を下げることを帝に奏上している。こうした、規律違反者への処分と、そうした人物の失敗を招いた原因の一つとして自分自身を律する態度とが、規律の重要性を人々に浸透させたのである。

「口舌を以ていたずらに民を叱るな。むしろ良風を興して風に倣わせよ。風を興すもの師と吏にあり。吏と師にして善風を示さんか、克己の範を垂れその下に懶惰の民と悪風を見ることなけん」(260頁)

 いたく至言である。いたずらに命令するだけでは、相手は動かない。自分自身が率先垂範師、その結果を示し、プロセスを言語化することによって、相手は、自ずから主体的に動くようになるのであろう。

「真に、彼や天下の奇才。おそらくこの地上に、再びかくの如き人を見ることはあるまい」(364頁)

 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な司馬懿仲達は、孔明をして魏におけるライバルと認められた人物である。その仲達が述べた孔明に対する評価が引用の部分である。他者の言葉により、孔明のすごさがまた、より引き立つ。

2015年1月4日日曜日

【第398回】『三国志(七)』(吉川英治、講談社、1989年)

 三国志を彩る英傑が次々と亡くなる本作。中でも、関羽、張飛、劉備という桃園の誓いで義兄弟の契りを結んだ三人の最期が美しくもあり、痛ましくもある。

「呉侯は人をみる明がない。懦夫に説くような甘言はよせ。窮したりといえど、関羽は武門の珠だ。砕けても光は失わず白きは変えぬ。不日、城を出て孫権といさぎよく一戦を決するであろう。立ち帰ってそう告げられよ」(98頁)

 呉からの使者が勧める投降を断固として受け付けず、死地へ赴く決意を述べる関羽。特に「砕けても光は失わず白きは変えぬ。」という部分が印象的だ。

「それみろ、やればできるくせに。放してやるから、必死になって、調えろ」(196頁)

 関羽の弔い合戦に燃える張飛。いちはやく戦地に赴こうとするために、非現実的な期間での準備を指示された臣下が不可能な旨を唱えると大勢の前で打擲してしまう。いかに英傑であろうとも、そうした相手の人格を否定する行動によって、あえなく寝首を掻かれて不本意な最期を迎えることとなってしまう。

「丞相よ。人将に死なんとするやその言よしという。朕の言葉に、いたずらに謙譲であってはならぬぞ。……君の才は、曹丕に十倍する。また孫権ごときは比肩もできない。……故によく蜀を安んじ、わが基業をいよいよ不壊となすであろう。ただ太子劉禅は、まだ幼年なので、将来は分らない。もし劉禅がよく帝たるの天質をそなえているものならば、御身が輔佐してくれればまことに歓ばしい。しかし、彼不才にして、帝王の器でない時は、丞相、君みずから蜀の帝となって、万民を収めよ……」(280頁)

 劉備が最期を迎えるに際して孔明に語った言葉である。自分の嫡子を輔佐してほしいという前半の依頼はよく分かる。しかし、後半では、嫡子の力量が不十分である場合は、孔明自らが嫡子に替わって蜀の国を治めるよう指示している。とかく、最期を迎えるに際して、嫡子のかわいさ余って冷静な決断を下せないリーダーは多い。それに対して、劉備のこの発言には、リーダーとしての度量の広さが現れていると言えよう。

2015年1月3日土曜日

【第397回】『三国志(六)』(吉川英治、講談社、1989年)

 赤壁の戦いを経て、いよいよ蜀を得る段階へと至る劉備。義に悖る行為によって蜀を奪うことを断固として拒否し、孔明の言葉すらも時に受け容れず、義を重んじながらいかにして国主になり得るのかが興味深い。

 曹操のまえでは、あのように不遜を極めて張松も、玄徳のまえには、実に、謙虚な人だった。
 人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。(107頁)

 同じ一人の武将が、曹操と劉備の前での様子が異なる様を踏まえて、著者がこのように述べている。私たちはよく他者の言動に対して怒りをおぼえることがある。しかし、それは、他者の本質ではなく、自分自身の本質を他者に投影しているだけなのかもしれない。

「中庸。それは予の生活の信条でもある」(164頁)

 孔明に孫子が宿っているように、劉備の生き方には孔子が宿っているのであろう。