2015年1月17日土曜日

【第404回】『壬生義士伝(下)』(浅田次郎、文藝春秋社、2002年)

 上巻と同様に、下巻でも様々な人々による吉村貫一郎に対する語りが続く。まずは漫画「るろうに剣心」でも登場する元新選組三番隊組長・斎藤一による語りから。他者から距離を保とうとし、吉村に対しても厳しい見立てをしている人物であるからこそ、その口から出る言葉は清々しい。以下に引用する二箇所に関しては、前者は仁について考えさせられるし、後者は美について思わせられる。

 自室に戻って、おのれを責めたよ。この世に、他人の気持ちを常に斟酌する仁者というものが本当にいるとしたら、それはあの吉村貫一郎のことではあるまいかと思うた。
 善なる者を忌み嫌うはわしの本性じゃが、それはそれとしても、仁なる者をゆえなく侮蔑するわしは、ただの卑怯者ではないかと思うた。
 あの悪い時代にも、善なる者はいくらでもいた。しかし、仁なる者は他に知らなかった。(38頁)

 美しい城下であった。この美しい城下に生まれ育った、かけがえのない美しい侍を、わしは殺してしもうた。いっときはおのれが手で殺さんとし、あげくの果ては見殺しにしてしもうた。(82頁)

 次に、吉村貫一郎の長男である嘉一郎を取りあげたい。詳しくは本作を読んでいただきたいが、複雑な感情を父に対して抱いているように描写されている彼が、父に対してどのように思っていたかの吐露は感動的である。遺書の中で以下のように感謝の念を伝えている。親として、このように子供に書かれたら本望なのではないかと夢想する。

 嘉一郎は
 父上と母上の子でござんす
 そのことだけで
 天下一の果報者にてござんした
 十七年の生涯は
 牛馬のごとく短けえが
 来世も
 父上と母上の子に生まれるのだれば
 わしは
 十七年の生涯で良がんす
 いんや七たび
 十七で死にてえと思いあんす(387~388頁)

 最後に引用したいのは、幼馴染みでありながらも、運命の変転の結果として足軽組頭として足軽である吉村貫一郎を統率することになった大野次郎右衛門である。次郎右衛門による貫一郎の処分の是非が、この物語の一つのテーマであるが、物語の最後に記載される次郎右衛門の手紙に、彼の真の思いが凝縮されている。ネタバレになってしまうので不要な解説はしないが、彼が貫一郎の息子をあるところに養子に出すための手紙であり、遺書でもある。次郎右衛門が、いかに貫一郎を一人物として評価していたかが分かるし、幼馴染みというもののありがたみというものが身に染みる。

 此者之父者
 誠之南部武士ニテ御座候
 義士ニ御座候(438頁)

 では義とはなにか。本書のタイトルでもあるため、著者が何を以て義と捉えているのかが最も大事なテーマとなるだろう。義について、本作を通底するものを、シンプルに、次郎右衛門の言葉として以下のように記している。

 日本男子 身命不惜妻子息女二給尽御事 断ジテ非賤卑 断テ義挙ト存ジ候(443頁)

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