三国志を彩る英傑が次々と亡くなる本作。中でも、関羽、張飛、劉備という桃園の誓いで義兄弟の契りを結んだ三人の最期が美しくもあり、痛ましくもある。
「呉侯は人をみる明がない。懦夫に説くような甘言はよせ。窮したりといえど、関羽は武門の珠だ。砕けても光は失わず白きは変えぬ。不日、城を出て孫権といさぎよく一戦を決するであろう。立ち帰ってそう告げられよ」(98頁)
呉からの使者が勧める投降を断固として受け付けず、死地へ赴く決意を述べる関羽。特に「砕けても光は失わず白きは変えぬ。」という部分が印象的だ。
「それみろ、やればできるくせに。放してやるから、必死になって、調えろ」(196頁)
関羽の弔い合戦に燃える張飛。いちはやく戦地に赴こうとするために、非現実的な期間での準備を指示された臣下が不可能な旨を唱えると大勢の前で打擲してしまう。いかに英傑であろうとも、そうした相手の人格を否定する行動によって、あえなく寝首を掻かれて不本意な最期を迎えることとなってしまう。
「丞相よ。人将に死なんとするやその言よしという。朕の言葉に、いたずらに謙譲であってはならぬぞ。……君の才は、曹丕に十倍する。また孫権ごときは比肩もできない。……故によく蜀を安んじ、わが基業をいよいよ不壊となすであろう。ただ太子劉禅は、まだ幼年なので、将来は分らない。もし劉禅がよく帝たるの天質をそなえているものならば、御身が輔佐してくれればまことに歓ばしい。しかし、彼不才にして、帝王の器でない時は、丞相、君みずから蜀の帝となって、万民を収めよ……」(280頁)
劉備が最期を迎えるに際して孔明に語った言葉である。自分の嫡子を輔佐してほしいという前半の依頼はよく分かる。しかし、後半では、嫡子の力量が不十分である場合は、孔明自らが嫡子に替わって蜀の国を治めるよう指示している。とかく、最期を迎えるに際して、嫡子のかわいさ余って冷静な決断を下せないリーダーは多い。それに対して、劉備のこの発言には、リーダーとしての度量の広さが現れていると言えよう。
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