著者の博士課程論文をベースに置きながら、一般向けに平易に書き直したビジネス書である。京都花街でのフィールドワークを通じて、人事・人材育成・キャリアを論じた書籍である。伝統的な産業における知見が、企業における人事システムにも示唆を与えるという興味深い一冊である。
まず、芸舞妓のキャリア全体を俯瞰してみよう。本書の93~97頁の記載をもとに七つのステップとして以下のようにまとめられる。
(一)仕込みさん
舞妓さんとしてデビューするまでの約一年間の修業期間。
(二)見習いさん
舞妓さんとしてのデビュー(見世出し)に至るまでに必要な実地研修の約一ヶ月の期間。
(三)見世出しから一年間
「新人」の舞妓さんとしての装いで過ごす期間。
(四)舞妓さんになって約一年後
「新人」としての装いから通常の舞妓さんと同じ装いができるようになり、舞妓さんとしての対応が求められる期間。
(五)舞妓さんになって二~三年後
中堅から古参としての存在となり、後輩指導など自分のこと以外への目配りが求められる期間。
(六)「衿替え」して、芸妓さんになる
お座敷で責任を持って場を組み立てて段取りを行なうことが求められる期間。
(七)自前さん芸妓さん
年季期間(通算約五~六年)が明けると「自前さん」となり、それまでの置屋での住み込み生活から一人暮らしに代わり、自分自身で生計を立てるようになる期間。これ以降は、自分の意思で芸妓さんを廃業が可能にもなり、自分自身でキャリアパスを創り込むことが求められるようになる。
自前さん芸妓さんになることが一人前になると見做せば、ポイントは二つであろう。一つめは、一人前になるまでのステップが確立されている点である。企業においては、求められるJob Descriptionが存在したり、コンピテンシー・モデルがこのキャリアパスに該当するだろう。しかし、ここまで精緻に確立したものはなかなかないのが実情であろうから、花街におけるキャリアパスの創り込みから学ぶ点は多いように思える。二つめは、一人前になるための期間が、Dreyfus(1983)が熟達研究の知見から導き出した十年間という期間よりも短い点である。長い年月にわたって反映するビジネスモデルの中において、一人前になるまでの期間が短いということは、効果的な人材育成が為されていると捉えることも可能ではないだろうか。
こうした効果的な人材育成の概念を、著者は、芸舞妓の「学びのサイクル」(188頁)というモデルとして提示している。詳細は同書の当該頁を参照いただきたいが、ポイントは、能力形成のサイクルがステップになっている点と、それぞれのステップにおいて多様なステイクホルダーが学びに関与している点であろう。
まず、学びのステップは、以下の五段階である。
(ステップ1)基本的技能と規範の学習
(ステップ2)実践のための練習(即興性)
(ステップ3)お座敷での実践
(ステップ4)基本的技能と即興性と規範の評価やチェックを受け、置屋へ持ち帰る
(ステップ5)持ち帰った評価やチェックをもとにお姉さんに訊き、ステップ1へ戻る
次にそれぞれのステップにおいて関与するステイクホルダーを見ていく。
ステップ1では、芸舞妓さんが通う学校で基礎的な内容を学習し、それをもとに置屋で復習をするという流れである。ここで学んだ内容を実践に移すための練習を、ステップ2において置屋で行ないフィードバックを受ける。お茶屋でのお座敷に出られるようになった後には、ステップ3における実践を行ない、そこでお茶屋だけではなく顧客からもフィードバックをステップ4で受けている点が興味深い。とりわけ馴染み客からのフィードバックは、芸舞妓さんにとって、定点観測的に自分自身の技能や規範をチェックすることができるものであり、貴重なものであろう。お茶屋という舞台、およびそこでの外部の顧客からのフィードバックを置屋に持ち帰り、身内からのフィードバックをステップ5で受け、再びステップ1における基礎学習へと繋げる。こうした一連のループによって学びが形成される。
ここで企業においても示唆深い点は、フィードバックがループしている点と、その内容が多様性に富んでいる点である。現在の日本企業では若手が育たないという声が多く言われるようであるが、果して周囲の人間がどれだけ若手にフィードバックを与えているだろうか。フィードバックを与える主体が上司だけに限定され、かつ上司はプレイング・マネジャーで忙しくフィードバックを充分に行なえない状況も多いだろう。数十年前のように、上司のみではなく先輩社員が現場での教育担当となっていた時代と、現代における差異は、こうしたフィードバックの多様性と量の違いなのではないか。そうであれば、企業の人事が行なうべきことのヒントとして、フィードバックの主体者をいかに確保し、そうした主体者がフィードバックできるようにいかに促すか。これが私たちに求められているのではないだろうか。