漱石の絶筆として有名な本作。未完の作品を読むのは初めてであるが、その終わり方に新鮮な驚きをおぼえる。完結しないからこそ、読者は、先を想像することが自由にできる。「未完の大器」という言葉があるように、完成していないものに対して、私たちは魅せられるものなのかもしれない。
彼の知識は豊富な代りに雑駁であった。したがって彼は多くの問題に口を出したがった。けれどもいつまで行っても傍観者の態度を離れる事ができなかった。それは彼の位置が彼を余儀なくするばかりでなく、彼の性質が彼をそこに抑えつけておくせいでもあった。彼は或頭をもっていた。けれども彼には手がなかった。もしくは手があっても、それを使おうとしなかった。彼は始終懐手をしていたがった。一種の勉強家であると共に一種の不精者に生れついた彼は、ついに活字で飯を食わなければならない運命の所有者に過ぎなかった。(Kindle No. 817)
主人公である津田の叔父の描写である。皮肉な表現の中に、現代を生きる私たちでも想像できるような人物像が見出せる。
「どうだ解ったか、おい。これが実戦というものだぜ。いくら余裕があったって、金持に交際があったって、いくら気位を高く構えたって、実戦において敗北すりゃそれまでだろう。だから僕が先刻から云うんだ、実地を踏んで鍛え上げない人間は、木偶の坊と同じ事だって」(Kindle No. 7528)
厭味な友人である小林が津田に対して述べる台詞。小憎らしい人物である小林ではあるが、不思議と憎みきれないような人物描写になっているところが漱石の為せるわざであろう。
彼はどこかでおやと思った。今まで前の方ばかり眺めて、ここに世の中があるのだときめてかかった彼は、急に後をふり返らせられた。そうして自分と反対な存在を注視すべく立ちどまった。するとああああこれも人間だという心持が、今日までまだ会った事もない幽霊のようなものを見つめているうちに起った。極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた。(Kindle No. 7849)
ハッとさせれる文章である。本書で最も印象的であり、考えさせられる部分であった。
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