著者の作品が好きで、何度か美術館を訪れたことがある。その世界観を好きな方であれば、著者の絵画の世界観の奥深さを垣間見ることができる本書は興味深く読めるだろう。
風景とは何であろうか。私達が風景を認識するのは、個々の眼を通して心に感知することであるから、厳密な意味では、誰にも同じ風景は存在しないとも言える。ただ、人間同士の心は互いに通じ合えるものである以上、私の風景は私達の風景となり得る。私は画家であり、風景を心に深く感得するのには、どこ迄も私自身の風景観を掘り下げるより道は無いのである。しかし、画家の特殊な風景観が在るのだろうか。私は画家である前に人間である。(15~16頁)
なぜ風景を描くのか。写真とは異なり、風景を絵画作品として描く理由が、端的に示されている。自然の中に入り、その中から自分自身というフィルターを通じて世界を描き出す。そこには、画家という特殊・個別的なものの見方から、一人の人間としての他者と共感可能なものの見方によって風景を描くという態度が現れる。
私はずっと以前から、自分は生きているのではなくて、生かされていると感じる、また、人生の歩みも、歩んでいるのではなくて、歩まされていると感じる、そういう考えのもとに今日まで、自分の道をたどってきたような気がするのです。
私は宗教心の薄いものでありますから、私がなにによって生かされ、なにによって歩かされているかは、わからないのであります。しかしそう感じることによって、地上に存在するすべてのものと自己とが同じ宿命につながる、同じ根をもつ、同梱の存在であると感じたのです。
それ以来、私の見る風景、私の相対する風景の中に、私の心につながる大自然の息づかい、鼓動、そういうものがきこえるようになってきたと思われるのです。(59頁)
著者の自然に対する姿勢は、人生に対する姿勢へとつながるものであるということがここで明らかにされている。生きるのではなく生かされる、歩むのではなく歩まされるという感覚。一見すると受身な態度にも捉えられるが、むしろ自然という大きな存在への謙虚な姿勢によって、自然を感じ取るという積極的な態度と言えるのではないだろうか。