「かぐや姫」の物語として幼少の頃に絵本で親に読んでもらったり、高校の古文の授業でその一節を学ぶなど、竹取物語は私たちにとって身近な存在である。シンプルな構成のために理解しやすく、物語の起承転結もしっかりとしている。
しかし、古典として受け継がれる物語には、時代を経て伝えられるメッセージがある。著者は、印象的な一部分を読むだけではなもったいなく、全体を理解することの重要性を冒頭で以下のように述べている。
ほんとうのかぐや姫は、近づく求婚者たちに難題を出して破滅に追いやる冷酷な女である。悪党、人殺しとののしられる非情な女なのだ。
かぐや姫は天上界で罪を犯し、そのつぐないのために人間界に降りてきたという。では、どのようなつぐないをして、ふたたび月の都に帰るのか。ーー
ある場面のつまみぐいでは、けっして『竹取物語』の真価をとらえることはできません。全編を読み通して、はじめてかぐや姫の真の姿を、輝く光のなかに発見できるでしょう。(3~4頁)
「非情な女」とここでは形容しているが、その後の帝とのやり取りも含みながら、次第に人間として成長していく様が描かれていることも、竹取物語の興味深さの一つであると著者は述べている。つまり、単純な美しいストーリー展開の物語ではなく、かぐや姫という一人の人物の心の葛藤と成長を読み取ることができるのである。
そうであったとしても五人の求婚者への仕打ちにも近い無理難題には恐れ入るばかりである。江戸期に書かれた竹取物語の研究書を用いながら、そこには当時の政権批判が含まれていたのではないかと著者は述べている。
江戸時代の研究書『竹取物語考』(加納諸平著)には、五人の貴公子のモデルとして実在する人物が紹介されている。(中略)
作者が実在する皇族・貴族を笑いものにするように構成したのは、時の藤原政権を批判するためだというのである。この一事で『竹取物語』のすべてを説明しきることはできないが、体制批判が作品の内部にあることは確かである。(63頁)
メタファによって権力者を批判するという手法は、古今東西において有効性を持つ普遍的な原則なのかもしれない。そうしたエネルギーが物語の魅力を増すことになり、各段におけるウィットに富んだ皮肉もまた、興味深いものになるのである。
【第666回】『ビギナーズ・クラシックス 方丈記(全)』(武田友宏編、角川学芸出版、2007年)
【第667回】『ビギナーズ・クラシックス 古事記』(角川書店編、角川学芸出版、2002年)
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