2018年6月24日日曜日

【第848回】『現代社会の理論』(見田宗介、岩波書店、1996年)


 近代以降における世界的な対戦である第一次世界大戦も第二次世界大戦も、経済的な行き詰まりが一つの大きな契機となって引き起こされた、と教科書で私たちは習った。実際にそうした側面はあるのだろうし、その結果として資本主義が戦争や軍事産業と相互依存関係にあるということは指摘されてきた。

 しかし、著者は、第二次大戦以降、それまでの大戦を引き起こしたレベルと近いオイルショックも金融危機も、世界的な戦争を引き起こさなかった。資本主義諸国は、不況から自力で復興してきたことに、資本主義のポテンシャルを著者は見ている。

 理論としてここで肝要の点は、資本主義という一つのシステムが、必ずしも軍事需要に依存するということなしに、決定的な恐慌を回避し繁栄を持続する形式を見出したということ、この新しい形式として、「消費社会化」という現象をまず把握しておくことができるということである。(15頁)

 資本主義は、私たちが消費を繰り返していく中で経済が循環するという戦争に依存しない消費社会という形式を生み出した。それによって、自律的に成長し続ける経済システムが構築されたというのが現代という社会なのである。

 情報化/消費化が見出した<市場の無限性>という成長の無限空間は、<資源の有限性>という、新しい臨界と遭遇していた。(67頁)

 しかし、地球という有限なリソースが自律的成長の制約となっていることを著者は指摘する。それは、環境問題をはじめとしたシステムの限界の帰結として現れている。

 「大量生産/大量消費」のシステムとしてふつう語られているものは、一つの無限幻想の形式である。事実は、「大量採取/大量生産/大量消費/大量廃棄」という限界づけられたシステムである。
 つまり生産の最初の始点と、消費の最後の末端で、この惑星とその気圏との、「自然」の資源と環境の与件に依存し、その許容する範囲に限定されてしか存立しえない。(68頁)

 私たちは大量生産・大量消費という二つだけをセットとして消費社会の特徴として捉えがちだ。しかし、その前後に採取と廃棄というリソースの制約があることに注目する必要がある。有限な環境の中で、現代の私たちは生きているということを意識する必要がある。

【第142回】『気流の鳴る音』(真木悠介、筑摩書房、2003年)
【第164回】『まなざしの地獄』(見田宗介、河出書房新社、2008年)

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