薩摩時代から維新にかけての盟友であり、最後は「賊軍」にもなった西郷隆盛が人気であるのに対して、後世から大久保利通はあまり肯定的に見られていないようだ。
しかし、西郷隆盛や高杉晋作らが幕府を倒すエネルギーを発揮したのに対して、倒幕後の統治にエネルギーを注いだのが大久保である。大久保なくして近代日本が形をなしたかはわからない。本書では、大久保を知る多様な人々がその人となりを語っており、大久保利通という人物が立体的に描かれる。
父はこういう相談には頭から反対したり、いけないと言って止めたりはせず、あまり賛成しない時は、ただもっと考えてみたらよかろうと言うのが常であった。(31頁)
大久保の次男・牧野伸顕が語った箇所である。子どもの意志を尊重し、放任ではなくオープン質問で子どもに考えさせて責任感を持って人生に取り組めるように関与しているようだ。三男・大久保利武も「子供は大変可愛がった方でした。」(203頁)と述懐しているように、子どもを愛し、子どもから愛された人物であった様子が見受けられる。
久光公は碁が好きだ。碁をもって近づけば、近づけぬことはあるまい。その時、公はまだお徒目付である。到底お傍へは寄れぬが、碁ならばお慰みの序に、お側へ上がることもできる、お側へ上がってしまえば、いかなるお叱りを蒙っても関わず、思うところを吐露して君公を動かそう、そうして家老なんどに藩政を任さず、新進の鋭才でもって藩政を改革し、勤王の魁をやろう、こういうつもりで万事に思慮周密の大久保公が、これからぼつぼつ碁を習いはじめたのである。(264頁)
妹や姪が語った箇所であり、大久保の政略的な動きが否定的に後世で捉えられるようになる根拠ともなるようだ。著者は、この談話が得られた後である1921年に発見された大久保自身の日記に久光と打つ約九年前から碁を打っていた箇所から「碁を習いはじめた」という箇所の誤謬を主張する。
著者の大久保擁護もわからなくはないが、やはり大久保は、島津久光と共有できる場を創るために意図的に碁を利用したのではないだろうか。但し、こうした戦略的な行為は、否定的に捉えられるべきものではなく、むしろ当たり前でありさらには好ましい行為のように私には思える。相手の懐に入ろうと思えば、相手の価値観に触れ、相手の土俵に上がることが重要であり、大久保の行動のどこを否定的に捉えるのか、私にはよくわからない。
物事を成し遂げるために、自身の想いを共有するステイクホルダーを増やすことは、いつの時代においても重要だと改めて考えさせられた。
【第644回】『「明治」という国家(上)』(司馬遼太郎、日本放送出版協会、1994年)
【第446回】『代表的日本人』(内村鑑三、鈴木範久訳、岩波書店、1995年)
【第846回】『ビギナーズ 日本の思想 新版 南洲翁遺訓』(猪飼隆明訳・解説、KADOKAWA、2017年)
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