2019年1月19日土曜日

【第922回】『タテ社会の人間社会』(中根千枝、講談社、1967年)


 社会学における古典的名著と呼ばれる一冊。出版から半世紀以上が過ぎたいま読んでも新鮮な感じを受けるのだからすごい。たしかに時代を経て日本社会は変化してきおり、明らかに古い印象を受ける箇所はある。しかし、日本社会を通底する「タテ社会」の本質は、今でも読者を魅了するだろう。

 一定の個人からなる社会集団の構成の要因を、きわめて抽象的にとらえると、二つの異なる原理ーー資格と場ーーが設定できる。すなわち、集団構成の第一条件が、それを構成する個人の「資格」の共通性にあるものと、「場」の共有によるものである。(26頁)

 様々な社会を比較した時に、資格と場の二つの要素の捉え方の度合いによって特徴が形成されるという。では日本社会はどうかというと、「日本人の集団意識は非常に場に置かれて」(28頁)いると著者は述べる。これは企業組織を想起すればわかりやすい。

 欧米の企業では職種に対する専門性が求められ、一つの職種でキャリアをすすめるのに対して、日本の企業ではその企業組織に求められる特殊知識が求められジョブローテーションで異なる部門での業務を経験する。その結果として、同じ企業に属する社員同士の精神的結びつきが強くなり、同じ職種でも他社の人々との交流は限定的である。もちろん、時代を経るに従ってその度合いは変わってきているが、今でもこのような特徴は残っていると言えるだろう。

 年功序列制というのは、勤続年数に応じて、地位や賃金体系が設定されている明確な制度であるが、このように制度化されなくとも、日本のどのような分野における社会集団においても、入団してからの年数というものが、その集団内における個人の位置・発言権・権力行使に大きく影響しているのがつねである。いいかえれば、個人の集団成員との実際の接触の長さ自体が個人の社会的資本となっているのである。しかし、その資本は他の集団に転用できないものであるから、集団をAからBに変わるということは、個人にとって非常な損失となる。(55頁)

 場の共有に意識が置かれる帰結として、実質的な年功序列制が組織の原理として導入されると著者は指摘する。つまり、場をいかに共有したかという点に価値があるため、長くその場にいて場における分脈や歴史を理解していることが組織でうまく機能する条件となるのである。

 「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。(71頁)

 年功序列制は、序列に従った力関係を導きながらも、組織を構成する人々の間に情緒的な関係が築かれる。「同じ釜の飯を食べる仲」という、苦楽をともにしながら同じ目的に向かって進む強固な組織となる面がある。

 日本人の人間関係のあり方、それによってできる「タテ」の組織は、必然的に、将校とか、大学教授、労働者などという共通の資格というものを基盤としたグループ意識を非常に弱める結果となっている。この内部構造からくる同類意識の薄弱性は、社会集団が枠によってできるため、自己の集団外にある同類とも袂を分かっていることと相まって、いっそう弱体化されている。ここに同類意識に代わって登場するのがいわゆる同族(一族郎党的な)意識である。(93~94頁)

 他方で、「タテ」の組織は親分・子分といった内側の論理に固執し、外に対して閉じた頑なな態度にも繋がりかねない。この傾向は、排外的かつ敵対的なものにすらなる可能性を有していることに留意が必要であろう。

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