フーコーといえばディスコース(言説)。というわけで、フーコーをもう学んでみたいと思った時にキーワード検索して見つけた本書。社会学が好きで、フーコーをかじった程度に理解していた身として、難しくはあれどもなんとなく読める箇所もあり、あまり難しく考えずに読み進めると良いのだと思う。
現在そうであることがいつもそうであったわけではないことを示すこと、しかじかの形象が形成されたプロセスを明るみに出しつつそれを解体する可能性を手に入れること、これが、彼の歴史研究の目的であったということだ。(14~15頁)
フーコーの研究の目的がこのように端的にまとめられている。その上で私が興味深いと感じたのは「力」に関する彼の分析である。
権力は知の客体を生み出すということ。端的に言うなら、権力は知を生み出すということ。(中略)処罰形式の歴史的変化を分析するにあたり、権力を、支配階級が所有する特権としてではなく、戦略的な諸関係およびその効果として分析すべきであることを強調しつつ、フーコーは実際、権力と知とのあいだの関係についてもやはり伝統的な考え方から自由になる必要があると主張している。つまり、権力が留保される場所にのみ知は存在しうる、あるいは、知は禁止や利害から離れる場合にのみ発展しうる、などといった、西洋を古くから支配してきた先入見を捨てて、「権力はなにがしかの知を生み出す」ということを承認しなければならないのだ、と。(179頁)
知は権力から独立したものだと考えられがちであるが、権力と知との関係性について触れるフーコーの指摘の鋭さである。
【第50回】『フーコー・コレクション1 狂気・理性』(M.フーコー、筑摩書房、2006年)
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