2019年6月22日土曜日

【第962回】『遠野物語』(柳田国男、青空文庫、1976年)


 民俗学者である著者が、岩手県遠野地方でのフィールドスタディで聞き取った話を著述した作品。ユング心理学を直近で読んだからか、人々に膾炙する物語というものに興味がわく。特に同じような意味内容の物語が異口同音に出てくるところが集団的無意識を裏打ちするようで面白い。

 以下は、郭公と時鳥の所以と捉えるか、食糧が十分ではなかった地方における悲劇と見るか、いずれにしろ考えさせられる。

五三
 郭公と時鳥とは昔ありし姉妹なり。郭公は姉なるがある時芋を掘りて焼き、そのまわりの堅きところを自ら食い、中の軟かなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食う分は一層旨かるべしと想いて、庖丁にてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて堅いところということなり。妹さてはよきところをのみおのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず、やがてまたこれも鳥になりて庖丁かけたと啼きたりと云う。遠野にては時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。盛岡辺にては時鳥はどちゃへ飛んでたと啼くと言う。(Kindle ver. No. 526)

【第331回】『民俗学の旅』(宮本常一、講談社、1993年)

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