美しい文体に触れると心象風景に現れるビジョンに焦点が合い、現実世界が遠景となる。ために、物理的に疲れていたり精神的に疲弊している時にはホッと一息をつける。そうした美しい文章を読みたい折には、夏目漱石、三島由紀夫、村上春樹、そして著者のいずれかの本を読むようにしている。
本作では、十九世紀パリを舞台にドラクロワとショパンとの親交を基本軸に、様々な人物がその補助線として二人と交流を重ねる様が描かれる。抑制の利いた穏やかな筆致の中にも著者の美しい文体が物語を構成していく。静かな情景の中にも、登場人物の心の襞が描かれているようだ。
日常のあらゆる記憶から逃れたところで、気がつけば数時間もの時を過ごした。時間の経つのがまるで感ぜられなかった。あっと言う間だった。それでも、知らぬ間にからだを抜けていった時間の澱が、少しずつ足腰に溜まって痛みを発し始めていたので、彼は自分が、何時までもここに留まっている訳にはいかないことを否応もなく感じさせられた。名残惜しいが長居しすぎたようにも思った。最後に見た麒麟の不自然に伸びた頸の格好が、興を醒ませて、彼に帰る決心をさせた。(116頁)
美しい文章を読むことは、美しい絵画の前で時間を過ごすことと近い。美術館を訪れ、時間を全く気にせずに没頭する。その行為は、日常から時間的にも空間的にも距離を置くことにほかならない。そうすることで、日常に改めて入っていこうという気力が自ずと湧いてくる。
【第774回】『マチネの終わりに』(平野啓一郎、毎日新聞出版、2016年)
【第168回】『空白を満たしなさい』(平野啓一郎、講談社、2012年)
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