2019年9月22日日曜日

【第989回】『葬送 第二部(上)』(平野啓一郎、新潮社、2005年)


 静かに、淡々と、しかし確実に物語はもの悲しい展開へと向かうようだ。第一部の上巻の冒頭でショパンの死後の情景が描かれるために一つの予感を持って読者は物語を読み進める。そのために徒に暗い展開を予期し過ぎてしまうのかもしれない。

 或る意味で、天才とは一つの病です。僕には僕の天才の過剰は苦痛です。それは泉の規模を知らず際限もなく溢れ出る湧き水のようなものです。……吐き出しても、吐き出しても、……すぐに飽和してしまう。……僕はその窒息感に常に苛まれています。苦しくて、どうにも仕方がなくて、……いっそ枯渇するまで吐き出してしまうことが出来たならば、どれほどの心の安寧が得られることでしょう。(237~238頁)

 ドラクロワが自身について長く語るシーンである。私たち<普通>の人間は、良質なアウトプットを継続できる人物を天才として尊敬し、羨望の眼差しで眺める。あのようになってみたいと思う。

 しかし、月並みな言い方となってしまうが天才には天才の悩みがある。スランプや停滞といったものではなく、自身の内から創意やアイディアが湧き出すぎると、常に満足感が得られないのかもしれない。私たちは何かをアウトプットするとそれに心地よさを感じるものだが、天才には、その後にもまた新たなアウトプットの欲求が訪れて、余韻に浸れないのかもしれない。それはそれで苦痛だろう。

 時は本の頁を飛ばし飛ばし乱暴に捲ってゆくようにして慌しく過ぎ、二箇月が経って四月二十三日に憲法制定議会の最初の普通選挙が行われると、個々の人間がこの革命によって何を得、何を失ったかが一先ず明らかとなった。(187頁)

 この時間の経過の描写がすごい。物語の展開とは直接的に関係がないとしても、こうした表現に出会うとうれしくなる。

【第774回】『マチネの終わりに』(平野啓一郎、毎日新聞出版、2016年)
【第168回】『空白を満たしなさい』(平野啓一郎、講談社、2012年)

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