労働法の碩学の一人である著者による本書は、さながら労働法の入門書と言えるような、簡潔にして明瞭な書籍である。以下の部分には、日本における労働法の位置づけや、その特徴が端的に記されている。
日本の労働法は、他の先進諸国の労働法に比べて、当事者間の長期的な信頼関係を重視するという特徴をもっている。これは、一方では、人間関係を大切にし、日本企業の国際的競争力を支える源泉となってきたという点で、日本の労働法の長所ともいえる点である。しかし他方で、そこには、メンバーシップをもたない者を差別したり、組織の論理を重視するあまり個人が組織のなかに埋没してしまうという危険が潜んでいる。(48頁)
長期的な雇用に基づくメンバーシップを源泉とした日本企業の強みはまた、人材の流動性を妨げるという副作用をも生み出してきた。ビジネスにおいて柔軟な経営が求められる時代においては、人材の流動性もまた求められる。日本における労働法と、それを構成する判例法理では、整理解雇法理が硬直的であるとされてきた。しかし、著者は以下のように述べて、そうした見方が必ずしも正しいものではないと指摘する。
事業場や職務の限定付きで雇用されていた労働者に対して、その事業場や職務が廃止されることに伴ってなされた解雇の有効性が争われたこれまでの裁判例をみてみると、整理解雇の四要件(または四要素)をそのままあてはめて判断したものはむしろ少数で、①人員削減の必要性(廃止決定の合理性)のみを考慮するものや、それに加えて、②配転の可能性や④手続きの妥当性を考慮に入れて判断するものが多い。そして、このような事案では、結論として解雇を有効とした裁判例が多いことがわかる。逆に解雇が無効とされたのは、人員削減の必要性自体に疑問がある、同じ職務に就いていたのに解雇されなかった者がおりその経緯も明らかでない、有期契約の期間途中での解雇であり期間満了を待たずに解雇する必要性が認められない(労働契約法一七条一項参照)など、解雇という選択そのものの合理性が疑われるケースであった(中略)。
このように、整理解雇法理は、世間で思われているほど硬直的な厳格なものではない。実際に裁判例では、個別の事案の状況に応じて、解雇の合理性・相当性が比較的柔軟に判断されているといえる。社会的な事象を決して色眼鏡でみることなく、現実に起きていることをつぶさに観察する眼を養うことも、法学の門をくぐる際の重要な心構えである。(57~58頁)
次に、社員の安全や健康といった、古くて新しいテーマに関する法理について見てみたい。
労働者が会社に対し損害賠償の支払を求める法的根拠としては、まず、不法行為(民法七〇九条など)が考えられる。しかし、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は三年であり(同法七二四条)、また、労働者側が使用者の過失の存在を立証する責任を負うといった難点がある。そこで、最高裁判所は、不法行為以外の法的根拠を示した。使用者は労働契約上の信義則に基づき労働者の生命や健康を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負うとし、その義務をきちんと果たしていなかった使用者に、債務不履行(同法四一五条)の形で損害を賠償させることを認めたのである(その消滅時効は一〇年となる〔同法一六七条〕)。労働契約法は、これを、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」という形で、法律上明文化している(五条)。
この安全配慮義務は、単に労働契約を締結している労働者と使用者との間だけでなく、事実上指揮監督をして働かせているといった「特別の社会的接触関係」にある当事者間であれば、広くそこに発生する義務であるとされている。(142~143頁)
最後に、労働者という考え方について、労働基準法と労働組合法のそれぞれの持つ意味合いの違いについて取りあげる。
労働基準法は、人的な従属関係(「使用」性)のもとに置かれる労働者を対象に、使用者に賃金の通貨・直接・全額・一定期日払いなどの具体的な作為や、法定基準を超える労働をさせないといった不作為を命じている。それとは異なり、労働組合法は、経済的に弱い地位にある労働者に団結活動や団体交渉を行うことを認めて、対等な立場での労働条件の決定を促そうとするものである。この法の主旨(一条一項参照)から、法が適用される労働者かどうかを判断する際には、主として、使用者より経済的に弱い地位にあるという経済的従属性が求められ、労働基準法のように厳格な意味での人的従属性(「使用」性)は要求されていないのである。(188~189頁)
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