著者の書籍をじっくりと読むのは「Human Resource Champions」以来である。同書で提示された四象限のモデルが印象的であるとともに一つの完成形のようにも感じられたため、それ以降の書籍にはなかなか手が伸びなかった。しかし、本書もまた、各国のHRに求められるコンピテンシーを数年に渡って調査したものの結果をもとにして論が進められており、興味深い一冊である。研究者の方々にとっても興味深い知見なのかもしれないが、実務家にとって示唆的な内容が多いと言えよう。
競争優位の残された未開拓領域は、いまや会社が「知っていること」ではなく、会社が「創り出せるもの」なのである。(中略)テクノロジーの移り変わりが激しくなり、企業文化を持続可能な成功を収めることに特化しなければならない現在、技術からさらに視野を広げて、こう問いかける必要がある。「企業文化の行動計画に携わるもっともすぐれた思想家やクリエイターは、どの部門に配属されているべきなのだろうか?」
それは人事だ。長年のリサーチが、はっきりとそう示している。テクノロジーの興亡が激しいこの時代、競争優位は人事部門から生まれるのだ。(30~31頁)
HR担当者にとってマインドセットが変わるような指摘である。HRは、現業部門が変化することをサポートするという役割ではなく、変化を促す考え方や設計思想じたいを自ら創り出し、現業部門とともに実装していく役割を担うのである。
われわれは、人事部門を企業(ビジネス)の中にあるもうひとつの企業(ビジネス)と見なしている。戦略と目標を持ち、それらを企業文化、人材、リーダーシップに転換することに焦点を絞った企業(ビジネス)だと。そこでは、人事のプロはつねに相容れない要求(パラドックス)を意識していなければならない。(50頁)
こうした価値を創り出す活動をいかに実践していくか。そのためには、HRは、企業の中においてビジネスを行う主体として捉える必要があり、現業部門との間にパートナーシップを構築することが求められるだろう。これこそが、ビジネスパートナーという存在であるHRとしての真の有り様なのではないか。
各論においても興味深い部分が散見される。とりわけ取りあげたいものを二点だけ取りあげることとしよう。
世界のサンプルと比べて、中国の人事のプロたちは学歴水準が低い。参加者の五八パーセントが大学しか卒業しておらず、大学院卒は二八パーセントである。それとは対照的に、世界のサンプルでは大学卒の割合は三八パーセントで、五〇パーセントが大学院卒である。(155頁)
私自身は日常において学歴というものを意識することは滅多にない。そのようなものは不要とは言わないまでも、人材のバックグラウンドを判断する上での数多の要素の一つにすぎない。しかし、この上述した人事部門における大学院卒の比率のデータには驚かされた。繰り返すが、HRにおいて学歴が高いということ自体に意義があるのではない。世界における約半数のHRが修士以上の学歴であることの持つ意味合いは、HRとしてのキャリアを歩む途中で大学院に通い、修士号を取得したことの結果ではなかろうか。つまり、自分自身で問題意識を持ち、それを育み研究を行うということを、他国のHRのプロフェッショナルは当り前のこととして行っているのではないか。このように考えれば、日本の企業におけるHRのプロフェッショナリティーに危機感を抱く気持ちを持ってしまう。
一部の会社ではリバース・メンタリングをおこない、仕事と生活のバランスのとり方について若手社員が組織上部の人間にアドバイスしている。(176頁)
寡聞にもリバース・メンタリングという概念を知らなかったのであるが、面白い取り組みである。仕事や生活におけるダイバーシティを学ぶ上では、上位者が下位者に教育をするという従来の発想では立ち行かない。ヨーロッパ企業を取りあげたリバース・メンタリングという考え方は、その一つのソリューションになるのではないだろうか。
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